透明空

細矢和葉

透ける

 真っ白な私の部屋に、真っ白なスカートを履いて腰かける。テーブルも、便箋も。窓から見える清々しい夏空を見上げた。不誠実な人間が愛を得て、一途な人間が報われないなら、と思う。私は一途だった。報われたかった。私の花束は物置の花瓶で枯れて消え失せた。枯れたことにすら気が付けないくらいに砂と同じように空に溶けた。空色の花瓶を、あなたの空色の目を愛したのに。空は世界を見下すように、空色の目は私を見下げた。

「愛せない」「気が滅入る」「嫌いだ」「苛付く」「顔も見たくない」

 私は空っぽだった。もう何も入らないくらいに膨張して、空っぽだった。私を見下げる夜色の目に、私の愛した空色はもう、見えなかった。背を向けることは怖かったけれど、これに誰かが「失恋」って名前を付けたんだろう。


 目の前に紅が広がる。

 「愛してるよ」

 突然向けられた思いがけない人からの花束に顔をうずめて私は酷く泣いた。あまりにも真っ直ぐな紅色の花束。笑えるくらいに愛された。とびきりの花瓶に、日の当たる部屋に。空色がしたような仕打ちと真逆になるように、私は紅を花瓶に活けた。紅色と二人、よく眺められるように。

 愛されている私に、あなたのせいでどこにもいなくなった私に花束を。


 私は今日を便箋に書き記した。


 目を瞑って過去みたいな未来に想いを馳せようとする。思いがけず、私は紅色に愛されているけれど。空色のあなたはもうどこにもいない。空色は私を愛せない運命だった。その運命を今なら私は愛せる。ただ、ただ、私はあなたとの未来を夢にして描いたんだ。その色は澄んだ、澄んだ淡い青色。

 そうやっていつか塗った夢の色が、ぎゅっときつく瞑った瞼の裏で夜闇色の絵の具になって広がった。誰かを信じようって気持ちも、誰かに愛されるような私だって自負も、あなたの笑う横顔が踏み躙っていく。もう戻らない。万年筆のインクを抜くために水に浸ける。詰まりに詰まったインクは滲みださない。躙り、滲まない。窓から見える青空はただ爽やかで、私はきっと涙しか出ない。インクの抜けない万年筆を諦めようかと引き上げると、黒に近いほどに濃く染まった藍色が、便箋の上では青空色の藍色が、夜空みたいな染みを私の白いスカートに落とした。滲む素振りすらどこにも見えなかったのに。

 ねえ空色、闇色。名前を呼ぶ。あなたは今幸せ?


 私はさ、不幸だ。


 それは青空に向けた皮肉だったし、実際のところ私は幸せなんだ。いつかあなたを忘れさせてください。あまりに透けるように美しかったあなたの笑顔を、私は日に透かすことすら叶わない。私の心に残ったこれを傷と呼ぶなら、あなただって傷ついたはずなんだ。

 だけど、私を愛したあなたはこの世にはもういない。あなたを愛した私も、この世にはもういない。そうじゃないと、辛いわ。空色。


 思いがけない紅色を、愛していこう。そしたらきっと何も見えないよりはましだ。私の頭を撫でる紅のその手に全て預けてしまいたくなる。涙は出るようで出ない。

「あなた」

その三文字が目の前の紅で塗りつぶされてしまうように、藍色が、空色が、私を焦がした夜色が、二度と私を苛めないよう。

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