--------僕の結論--------
早く帰って、
雅己は、
日頃は節約の為に控えていた手土産を
少しでも早くと、発車ベルが鳴り響く快速にぎりぎり飛び乗った。何度も見ている車窓からの何もない景色が、輝いているように明るく見えた。
人間て、単純な生きものだなと微笑んで、他人に見られたら変な奴だと思われるかなと恥ずかしくなってみたり、誰に何と思われようが気にすることはないと、妙な自信が満ち溢れてきたりして、生きていることがそれだけで嬉しいと思った。
多幸感。久しく忘れていた感情であった。
幸福を感じる時、いつも傍に在るのは映里子の穏やかな笑顔だった。厳しい極貧生活の中で、苛々したり鬱々したりもするだろうにマイナスな感情をぶつけてくることもなく、特にポジティブなことを言うわけでもなく、ただ静かに寄り添って、くだらない冗談にも軽快に笑ってくれる。
失敗続きでも、
僕らは、幼い頃に一度運命に引き裂かれたけど、ずっと忘れられずに長い間互いに想い合い、求め続けて、もう一度巡り会えたんだ。
それは奇跡じゃない。必然、愛の力だ。僕は信じる。何があっても、神様でさえ、僕らを引き離すことは出来なかった。
今度、僕が主役を演じることになった映画は、パラレルワールドを描いたファンタジーなんだけど、その中に、世界を一夜だけ切り取って、運命を変えようとするシーンがあるんだ。タイトルもそのまま、一夜のキリトリセン。
物語は、最終的な答えを用意していない。観る者に考えさせる設定だ。
その最初の答えを、僕は映里子に聞いてみたい。役者として、観る人すべてに一人一人の結論を出してもらうその前に、演じる前の個人として、彼女の本当の気持ち、一番の感想を聞きたいんだ。
興奮気味にあれこれ考えるうちに、快速はぐんぐん飛ばし、あっという間に最寄り駅に到着した。改札を出れば、家までは歩いて数分の距離だ。
なんだか自分の家に帰るのにドキドキする。大切な人が待っている家。ボロくて小さなアパートだけど、二人で探して借りた僕らの城だ。
「ただいま」
薄い扉を開けると、映里子は夕食の支度をしていた。一人分でも足りないような乏しい材料から、魔法みたいに豊かなご馳走を作る天才。しかも、その工夫を楽しんでいるみたいに、嬉しそうにして。彼女のごはんを食べている限り、僕は死なない。
当たり前だと言わないでくれ。ここまで生きてくるのは、簡単なことではなかった。
誰だって、生きるってことは、ある程度大変かもしれないけど、僕の場合は特に子供の頃。生存権を脅かす事件や不安が多すぎた。今でも、昔のことは思い出すのもつらい。
親も親戚も、頼れる大人は皆次々に消えていった。一人彷徨うように明日に怯えて暮らした子供時代。ずっと、僕は探していたんだ。
幼い日に突然、親の都合で夜逃げ同然の引越しをしてから互いに行方知れずとなっていた初恋の人で、幼いながらも将来を誓い合った恋人を。同じ団地の住人として出会った運命の人だ。僕は、唯一の生き甲斐、映里子にもう一度会いたいという、ただその気持ちだけで生き延びてきた半死半生の捨て犬だった。
そんな僕が役者になろうと思ったのは、学歴や専門的な能力がないから仕方なくとか消去法みたいな理由じゃなくて、明確な目的があったからだ。
テレビや街頭のポスターなんかで、いつでも多くの人に顔を見られる立場になって、いつか行方も知れぬ映里子の目に留まるように。僕を見つけてもらう為に、とにかく有名になろうと考えたんだ。
結果。そうなる前に、僕らは街角で再会した。僕はその頃まったく無名の俳優志望のフリーターだったけど、映里子は行き交う人混みの中で、ちゃんと僕を見つけてくれた。
「おかえりなさい、マーくん。早かったね」
「エリちゃん、いつもありがとう。本当に感謝してるよ」
「どうしたのよ、改まっちゃって。今日、誕生日じゃないよね、何かの記念日だった?」
僕の素直な態度や、お土産や花にも、目を丸くして驚いている映里子が堪らなく可愛い。
「ううん。まだこれからだけど」
料理の邪魔をしてしまって悪かったと思う。でも、既に映里子は包丁を置き、ガスの火を一旦消して、こちらに向き直って僕を正面から見つめていた。
上目遣い、零れそうな大きな瞳、小さな唇。無意識のうちに、彼女を抱きしめて口づけた。戸惑いながらも背中を包み込む細い腕が、僕をあたためて離さない。
生きてるって、こういうこと。温もりが沁み込むように、命が満たされてゆく。
「ねえ何の記念日なの」
「今度ね、映画で主演をやることになった」
「そっかー、おめでとう!」
映里子は、ぱあっと満面の笑みを咲かせて喜んでくれた。
「ありがとう。それからね、まだ一役決まっただけで何の結果も出てないのに図々しいんだけど、僕たち籍を入れないか。エリちゃんと他人同士だなんて絶対おかしいよ」
笑顔で止まっていた美しい顔が歪んで、大粒の涙が白い頬を伝って落ちた。震える声で、はい、と聞こえた気がした。
さっきまでのふんわりと柔らかい抱擁とは打って変わって、映里子は僕の肩に全力でしがみつき、細い腕で僕を絞め殺すくらいの勢いで抱きしめるから、ほんの一瞬だけ、また死にたいと思ってしまった。今回は、嬉しすぎて、この時を過ぎてしまうのが惜しいくらいに大切に感じたからなんだけど。
それを正直に伝えたら、彼女は、私も同じこと思った、と返してきた。
ああやっぱり二人で生きよう。もっともっと大切な瞬間を一緒に繋いでいこう。どこまでも絶え間なく、未来へ。
ひとまずプロポーズまで一気に済ませてしまったから、いつものように映里子の手料理を頂いて、その後、僕は台本を朗読した。
映里子は、不思議な展開に興味を示し、身を乗り出して聴いていた。映画を観ているみたいに、手を口元に当てたり目を見開いて僕の作る表情を確かめたりしながら、熱心に耳を傾けて最後まで聴き入っていた。
最後の場面は、一度だけ運命を変えられるという状況で、恋人たちが選択を迫られるところだ。
パラレルワールドの、もうひとつのほうの世界。今自分が実際に生きている現実とは違うほうの、有り得ないほうの世界へ。一度きりの片道で、転移するチャンスが与えられる。
今生きている現実は何もなく世知辛い世の中であり、苦しい毎日をやっつけるようにして生きるだけで精一杯だけど、優しい恋人がいつでも傍に居て、愛し合う自由がある。
もうひとつの世界では、有り余る財産と地位と名声を生まれながらにして持っていて、その立場上、時には自分の心を抑えて、絶大な影響力を穏やかに保つ為に全体の調和を優先しなければならなかった。
生活の不安も、望めば手に入らない物もないと言える桁違いに豊かな暮らし。安全で満ち足りた環境。唯一例外として、調和を乱す異端的存在への自由な接触が許されないことを除いては。
しかし、その調和を乱す存在こそが、もうひとつの世界での恋人の立場であり、主人公の「彼」なのだ。
もうひとつの世界での彼女には、優しくて頼りになる富豪の婚約者が居る。異端としての恋人とは別れて、永劫の幸福が約束された平和な暮らしを選択する自由があるんだ。
尚、異端とされる恋人も、もうひとつの世界では別ジャンルの成功者であった。棲む世界が異なるだけで、富と名声は充分に持っていた。こちらの世界の「彼」のように怖がりの一人ぼっちでもない。
二通りの世界。果たして、彼女は、どちらを選ぶのか。
そこで、物語の幕は降りる。映画ではエンドロールが流れるのだ。すっきりしない終わり方だという批判も予想されるが、ここで何らかの結論を出してしまえば、それを上回る批判が殺到するであろう。
そんな究極の選択。
「エリちゃんだったらどうするかなって、聞いてみたかったんだ。演じる役者としてじゃなく、映画の中の彼としてね」
もうひとつの世界へ行けば、生活の不安とは無縁の暮らしがあり、恋人は一応成功者だが、会うのも難しい華やかで多忙な環境に在る。まあ彼女ならそれでも一途に追いかけるだろうけど、その先は波乱と冒険が続くだろうな。
一方こちらの現実は、言わずもがな。恋人は鳴かず飛ばずの無名俳優で、日々の暮らしはカツカツ。だけどいつも一番近くに居て、思いっきり愛し合える。
それだけ。飽きたら終わりだ。
それでも、今の僕を選んでくれるのか……
あ。映画の話だったのに、主人公があまりにも僕みたいだから、重なってる。
「このままがいいに決まってるじゃない。現状を取り替えたいと思うのは、今こうして目の前に居る存在と自分を否定するのと同じよ。
映里子は揺るぎない信念を持っているようで、何もない僕を選んでくれた。即答。
嬉しかった。
それ以上は野暮だから聞かなかったけど、何か取っておきの根拠があるみたいなんだ。いつか僕が銀幕のスターになった頃にでも、その
そんなことを思いながらもう一度、映里子をこの腕に抱きしめた。柔らかな温もりは、確かに生きる根拠であり僕のすべてだった。
何もいらない、君だけ傍に居てくれたら。初めて出会った幼い頃から、変わらない僕の結論だ。
「ねえマーくん。もし私が、とんでもない大金持ちのお嬢様だったとしても、こうしてアパートを借りて一緒に棲んで、プロポーズしてくれた?」
映里子が、僕の肩に顔を埋めて表情を見せないまま、不意に問いかけてきた。まるで隠された真実を告白するみたいに、緊張した小さな声で。何故そんなことを聞くのだろう。
僕は正直に答えた。
「エリちゃんを迎えに行くのは違いないけど、そういうことなら、ある程度成功して自信がついてからになるかもしれない。君を悲しませたくはないからね。心から幸せに笑っていてほしいんだ。どこの世界だって多分同じだよ。相手が本当に幸せになってほしいと願う気持ちが、愛だ」
半ば、独り言のようになってしまったから、言い訳みたいに付け加えた。
「ごめん。うまく言えないけど。愛してるよ、エリちゃん」
相変わらず顔も見えないまま、彼女は言った。
「今のそのままのマーくんがいいの。どうか離さないで。ね、異世界へ行けるのは一度きりって、それは間違いないよね?」
僕はそんなこと知らないけど、彼女がとても不安そうに聞くから、映画の主人公になりきって、覚えたての台詞を言ったんだ。
「そうだよ。人生でたった一度のチャンスなんだ。この選択が未来を、きっと生涯を決定することになる」
本当は、運命なんて人の意思で変えられるものじゃないけど、変えたいと思う執念みたいなものがエネルギーになって奇跡を呼ぶことはあるよね。離れ離れだった僕らが出会ったみたいに、欲しいものを手繰り寄せる力。きっとそれも愛だと、僕は信じてる。
もう離さないよ、エリちゃん。
僕は今ね、すごく君が欲しい。
--------THE END--------
一夜のキリトリセン 青い向日葵 @harumatukyukon
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