色彩を識るに至り
出雲 蓬
前提剪定性歪曲症
「せんせい、みてこれ!」
子供と言うものは快活であり、無垢故に疑念と言う言葉を知らない。疑う余地が無ければそんな言葉を知る必要はないのだ。隠し事が無いのなら、脳の記憶領域に割くリソースを減らす事に繋がり、その分を別の物事に使えるから。幼い子供が情報を手に入れる上で必要かどうかを取捨選択するのは、私の様な大人の仕事だからだ。
「どうしたんだい?」
「これ!まっかできれいなの!」
「……本当だ、綺麗だね。また宝物箱に仕舞うのかい?」
「うん!せんせいにいわれたとおり、いろわけしてきれいにしてるよ!」
「そうか、それはいいことだ。偉いね」
「ん、えへへ」
「せんせ!オレもみどりのたまみつけた!」
「わたしもきいろのがらすみつけた!」
「こらこら、一人ずつだよ」
全く以て、子供と言うものは素直だ。特にこの年頃の子は、道や地面に落ちている煌びやかな色彩の物を良く拾っては見せてくる。それがまたどうして、目が良いのかよく観察しているのか綺麗なものが多い。泥や汚れを漱いだのだろう、水滴が滴るガラス玉やガラス片、塗装された煉瓦壁の破片などとにかく見つける。時には虫や植物まで集めてくるんだから好奇心も恐ろしい。その好奇心が私の願う方ではない方向にいかない事を願うのみではあるが。
「ねーねーせんせー」
「どうしたんだい?」
「どうしてそらってオレンジいろなの?」
ほら、こうして好奇心による質問をしてくる。この手の質問は答えたくないものなのだが、致し方ない。年齢相応の言葉をかけるべきか。
「そうだね……今の温度はどんな感じかな?」
「えっとね、あったかい!」
「オレンジ色は暖色と言って暖かい色と言われているんだ。きっとその温度が空にも伝わっているんだろう」
「へぇー、せんせいものしりだね!」
「先生も全部知っている訳ではないから間違っているかもしれないけれどね、でも納得してくれてよかった」
子供に対して正論や論理的な答えはナンセンスだと、個人的には感じている。感性に訴えかけた方が却って伝わりやすく、記憶に写し込むのに余計な手間もかからない。論理と言うものは然るべき年齢になった時に教えればいいし、そうでなくても自然と培うものだ。私はその土壌を整えるだけで言い。
「先生、そろそろ夕飯の時間です」
「ん、そうか。じゃあ全員を集めて食事にしよう」
私がたった一人で経営するこの孤児院は、生後間もない自我や認識が働いていない頃の子供のみを受け入れる専用の施設。その子たちを然るべき年齢にまで育てるのが此処の役目であり、ひいては私の役目でもある。今声をかけてきた少女は翌朝にここを去ることになっている。惜しむべき事ではあるが、しかしもう潮時でもある。送り出す時期を情で見誤ってはいけない。
子供たちが集まってくる。人数がさほど多くないため、程々の大きさのテーブルに食器が並べられた居間に続々と子供たちが座っていく。最年長の少女が更に盛りつけた料理を並べ戻ってくる。
「わぁ……きょうもおいしそう!」
「そうだね、彩が良い」
「おれこのあおいやさいきらい!」
「わたしもー」
「好き嫌いせず食べなさい」
短髪の少年と長髪の少女が同じようにある野菜を指し嫌悪の言葉を口にした。そこには青々とした色の物が炒められており、所々焦げ目のついたそれに塩胡椒が振られている。香ばしい匂いは大変食欲をそそる。
「さぁ、手を合わせて」
「いただきます!!」
翌日。この院を出ることになる少女が準備をしているのを私は車の中で待っていた。車内には退屈にならない様に書籍を何冊か、院には置いていない系統の物を放っている。新鮮な知識は良くも悪くも本人に衝撃を与え、価値観を変えるものだ。その助けになればいいのだが。
「ごめんなさいっ、終わりました!」
「うん、それじゃあ行こうか」
キーを回しエンジンを駆動させる。若干年季の入った車は低い唸り声をあげ、進みだす。陽気のいい空は清々しく透き通り、浮かぶ雲は余計な色を含むことなく漂い、あまりの暖かな木漏れ日に欠伸が転びでそうになる。若干口を開き、欠伸を噛み締める。
「天気がいいですねー」
「そうだね、思わず欠伸が出そうになってしまった」
「ふふ……先生ったら。でも本当に綺麗な空です」
「空が好きだったかい?」
「眺めるの好きなんです。真っ黒な雲も、赤みがかったオレンジ色の空も、全部綺麗だなって思います」
「そうか、それはいいことだ」
車が走る。目的地は然して遠いわけではない。舗装されてはいるが荒れたアスファルトは車を容赦なく揺らす。バックミラーをふと覗くと、私が置いていた本を読む少女の姿があった。その表情を測るには書籍が邪魔で、一体どんな顔をしているのかわからない。
「……先生」
「どうした?」
辺りは周囲に何もない小さな小屋が一つ建つ森の中。未舗装の砂利道はどうにも走りにくい。
「この本、色について色々書かれているんですね」
「暇潰しにでもとね」
「お気遣いありがとうございます、でも」
「…………」
車を停める。若干の慣性に体が前に揺れ、そして背凭れに戻る。シートベルトを外し、私は彼女の乗る後部座席の扉を開けた。擡げた彼女の顔に浮かぶ双眸はゆらゆらと揺れていた。
「クオリア、と呼ばれるものを知っているかい?」
彼女の手を取る。その手は生きている人間にしてはあまりに冷たく、弱々しい力しかなかった。
「人間個々人が持つ感覚質、行ってしまえば『何々の感じ』と言うものだ。雲のあの白い感じ、キャベツのあの瑞々しい感じ。そういった共通の言葉で表現できながら実際に個人が認識するものはその人間の感覚に依存する。そう私は解釈している」
手を引き車から降ろすと、そのまま小屋の中に連れる。
「私はそういった示し合わせる事の無い前提の条件、常識と広義に呼ばれるものに疑問を抱いてね。ではその前提がそもそも崩れていたらどうなるのか、修正力が働き気付くのか、気付く事の無いまま居られるのか。疑問は沸き上がった。だからそのために実験をすることにした」
小屋の中に少女を立たせる。不安げに辺りを見回し足を竦ませる彼女の姿を見ながら、手にするりと垂れる縄を握った。
「『当たり前』を知る前から教育し、『当たり前』が当たり前ではない内容にした場合、一体どんな事になるのか。私は気になった」
「せん……せい……?」
「さぁ、時間だ。答えを教えてくれ。君は今私の瞳がどう見える」
顔を至近距離にまで寄せ、彼女の瞳に私の瞳を移す。震えた口で、揺らいだ声を彼女は発した。
「み、緑色……」
「そうか、私のこの目の色は実は赤色なんだ。そして君が黒と言った雲の色は白であり、赤みがかったオレンジ色の空は透き通る青なんだ」
「ぁ……あ……」
「では毎度恒例の答え合わせだ」
しゅるりと音を立て、彼女の首に縄が巻き付く。瀬戸際に至るまで会話をするには、これが一番いい。
「君の瞳はアメジストの様だね、綺麗だよ」
ぐ、と。締まる。締まる。締まる。締まる。締まる。締まって締まって、白い皮膚が赤に滲み捻じれる。鮮やかな変化だ。その力が増すのに比例する様に、彼女の顔は歪に歪んでいく。
「あ……っ!か…………っ!」
「答えてくれ、死の瀬戸際に君は何を見る。どんな色を見る」
死。人の終末。始終の枷を嵌められた人間が至る場所。前提の全てを普通から与えられず生きてきた彼女は、その終わりに何を見るのか。
「せ……っん…………せっ」
「答えるんだ」
締まる力と共に彼女の手は力が無くなり、だらりと垂れる。瞳は虚ろに、口端からは唾液と泡が混ざり合いながらとろりと耽美な輝きを魅せる。その口から、朧気に言葉が漏れたのを私は聞き逃さなかった。
「し……………………ろ…………」
力が消えた。光が消えた。クオリアが一つ消えた。手を放し、倒れる彼女の足を掴み引きずると、小屋の奥にある地下へと続く床の扉を開ける。慣れない人間ならばそのまま胃の内容物を吐き戻しそうな匂いが漂う。彼女の衣服を全て剥ぐと、唾液に濡れた口元を拭い、見開かれた眼を優しく閉じる。体を持参したタオルで拭き、汚れが無いことを確認する。最後に頭を優しく撫でると、目の前の暗闇の先、死臭と躯でが重なるそこに彼女を放り込んだ。落下し終えたのを確認し、扉を閉める。
「ありがとう、君のお陰でまた一つサンプルができた」
今まで彼女の様に死んでいった人間。人間の死の淵に見る景色は何なのか。一つの疑問に答えを求め、そして総じて皆が皆白だと答えた。つまりは黒。もっと他に見えるものはないのかを聞いても、帰ってくるのは単一色。様々な色彩に彩られた人間も、歪められた色に囲まれた人間でも、見る景色は未だ同じ様な物だった。まだ、足りないらしい。
「さて、帰るか」
縄を元の場所に戻し、小屋を出る。鍵を閉め、万が一何者かが進入した時のために地下室諸共燃え尽きる程度の防衛装置を起動させる。それを確認し、車へと戻った。運転席に座り、後部座席を見ると彼女の読んでいた、色とその名称の書かれた書籍が乱雑に置かれていた。それを運転席の足元に置き、車を軽快に走らせて院に戻る。
玄関には、出迎えに来てくれた子供たちが待っていてくれた。本当に可愛いものだ。
「せんせーおかえりなさい!」
「おねえちゃん、だいじょうぶだった?」
無垢な顔で問うてくる。私は優しく頭を撫で、笑いながら答えた。
「あぁ、しっかり旅立ってくれたよ。綺麗な空に向かってね」
色彩を識るに至り 出雲 蓬 @yomogi1061
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