アダバナハヨミヨリカエリザク(5)


               ※


 クルミが地下壕への階段を下りて行くのを見送りながら────。


 それがしは手にした六文銭を揺らす。

 微かな金音を立てる六文銭……といっても、当代の金だ。否、一枚は金ですら無いただの金具のようだ。

 つたなく不格好なそれは、だが、幼子おさなごにしては上出来であろう。それがしのために苦労して作り上げてくれたのだから、まあ、悪い気はせん。


 細い鎖に連なったそれを首に提げ、懐に収める。


「そら、貴様らも早く戻れ」


 改めて、それがしは周囲の幼子たちにも戻るよう呼びかけたのだが。


「ねえ、ユキムラ、またあれやって!」

「あれ?」

「うん、あれ! キラキラくるくるまわすの!」


 ああ、槍の曲芸か……。

 期待満面の此奴こやつらには悪いが、今はそれどころでは無いのだ。


「悪いが今は……」


 渋い返答に、幼子たちの笑顔がたちまち曇る。

 ……さて、不満もあらわに食い下がってきたなら、叱りつけてやるところなのだがな。

 みな寂しそうにしながらも、素直に地下へと戻ろうとするものだから、どうにも腹の据わりが悪くなる。


「少しくらいなら、遊んでやれば良いだろう」


 テンの静かな声。

 コイツはまたコイツで、真顔で言って来るのだから始末が悪い。これでなお突っぱねては、完全にそれがしが悪者ではないか。


 ……だが、そうだな。


 まだ日も高い。

 この後、しばらくコイツらに我慢を強いることになるのは明白なのだから、今のうちに気晴らしのひとつもさせてやる方が、士気の維持にも繋がるだろう。


「……仕方無い、少しだけ遊んでやろう」


 六文銭の礼もあるしな。

 溜め息まじりに呟けば、幼子たちは途端に嬉しそうにはしゃぎだす。

 まったく、躁鬱そううつの激しいことだ。斯様かように万事に一喜一憂していては、ただでさえ幼く弱い身が持たぬだろうに。


 それでも、沈んでおるよりは笑うておる方が良いのは道理か。


「自分は先に下りていよう」


 そう言って、テンはさっさと階段を下りて行く。

 それがしに気をつかったつもりか? いや、そもそもテンのやつはその姿のせいで、幼子たちから微妙に緊張されているからな。どちらかといえばそちらへの配慮か。


 やれやれと向き直ってみれば、幼子のひとりが、近くの瓦礫がれきの上によじ登っていた。


「おい、何をしている?」

「……あれ……を……とるんだ……」


 指差した先、瓦礫の上に挟まっているのは透明な……〝ぺっとぼとる〟とかいう当代の杯器だ。以前に同じく、手玉の代わりに用いさせようというのだろうが、短い手足で瓦礫をよじ登る姿はハッキリと危なげだ。

 危ないから下りろ……と、警告する間も無く、幼子のつかんだ瓦礫がボロリと崩れた。

 そのまま真っ逆さまに転落する。


「……!?」


 それがしは瞬時に地を蹴り飛び込んで、銀銃槍を突き出した。銃口を幼子の襟首に引っかけて、どうにか中空で絡め取った。


 何とか間に合ったが……! 


「無茶をするな馬鹿者……」


 安堵で気が抜けてしまい、怒鳴るよりも呻いてしまった。

 銀銃槍の先で宙吊りになった幼子は、だが、眼を輝かせて周囲を見回している。


「たっけー! すげーよくみえる」


 嬉しそうに笑っている。

 己の背丈の倍以上だからな。そりゃあ高いし、見晴らしも良いだろう……が、今まさに間一髪の危機であったのを理解していないのか?

 まあ、コイツは一番幼いようだしな。怯えて泣き出すよりは頼もしいとも言えるが……何にせよ、幼子の行動はさっぱり読めん。


 それがしは思わず溜め息をこぼしつつ、銀銃槍を突き上げて幼子を宙に放り、降ってきたところを左腕で受け止めた。

 乱暴ではあるが、此奴なら問題なかろう。

 案の定、腕の中の幼子は一瞬の浮遊感に興奮した様子で歓声を上げた。


「うわぁーっ、すげー!」

「いいなあ!」

「ぼくもやって!」


 たちまち他の幼子まで盛り上がって催促してくる始末。

 ……しまったな、横着せずにゆっくり下ろせば良かった。

 どうしたものかと思案していると。


「ねえ、あっちに〝アカぞなえ〟がいたよ!」


 腕に抱えた幼子が燥いだ声を上げた。


「ウマにのった〝アカぞなえ〟……ユキムラのトモダチかなあ?」


 赤備えの騎兵だと?


 幼子の示した方を見やるが、鉄車の残骸や瓦礫に遮られて見通せない。

 今し方に放り上げた視点から見えたということは、距離はそう隔ててはいまい。

 意識を集中してみれば……確かに、こちらに近づいてくる気配がある。


 油断が過ぎたな。


 此奴らの喧噪があったとはいえ、気づかぬままにここまで接近をゆるしてしまうとは。


「……貴様ら、遊ぶのは後だ。急いで下に行って隠れろ」


 抱えていた幼子を下ろしつつ、意識して冷徹な声音で告げた。

 それがしの態度の変化を察したのだろう。居並ぶ幼子たちはビクつきながらも、すぐに頷きを返して地下壕への階段に向かってくれる。

 相変わらず危機への対応が習慣づいているのは助かるが、すなわち、あの幼子たちはそれが身に染みるほどに危機に遭遇して来たということだ。


 かつて、戦国乱世に踏みにじられた民草の如くに────。


 それがしは息吹も深く、地下への下り口を背にして身構える。

 重く激しく響いたひづめの音。

 睨みやれば、眼前十数歩先に横たわった大型車両の上に、その騎馬は現れていた。


 鋼の色彩に鎧われたたくましき軍馬。馬鎧で武装しているのかと思いきや、違うな。あれは、馬そのものが鋼の身体を備えているのだ。


 冥府の軍馬……で、あるか?


 高みにあって、彫像の如く微動だにせぬ鋼鉄の騎馬。その背に跨がる武者は、先刻に幼子が告げた通りの赤備えの甲冑姿だった。


  武者人形……?


 一瞬、そう思った。

 というのも、その深紅の武者姿があまりにも小柄だったからだ。

 それは正に子供が甲冑を着込んでいるが如くに、跨がった鋼の騎馬が大きくあればこそ、なおのことにその小さきを露骨としている。

 確かに息づく気配と、放たれるヒリつくような闘気が無ければ、あるいは馬も武者もカラクリ仕掛けの作り物ではないかと疑うところだった。


「ほう……」


 怪訝けげんそうな声音。

 それは深紅の赤備えの中で、唯一漆黒に染まった面頬めんほお越しにこぼれ出た声。男の声だが、幼子のものには聞こえない。


「随分と若作りになっておるが、その顔立ち、たたずまい、よもや武藤むとう昌幸まさゆきか? 久しいな」


 昌幸?

 それは我が父の名だ。

 それがしの姿に父の面影を見たのか? なれば、此奴こやつは父を知る者……武藤の姓で呼ばわるなら、武田家臣団の古株だろう。

 この尋常ならざる闘気、何より、小兵の赤備え……ならば、それがしの知る限りではひとりしか居らぬな。


 山県やまがた三郎兵衛さぶろうのひょうえ昌景まさかげ

 甲斐武田軍の四天王に数えられ、戦場にあっては激しい畏怖をもって〝信玄の小男出たり〟と恐れられた猛将だ。


 後世でどのように語られているかは知らぬが、もし〝最強の赤備え〟と呼ばわるは? と問われるなら、それは真田さなだでも井伊いいの赤鬼でも無く、三郎兵衛尉さぶろうひょうえのじょうであると多くが答えるだろう。

 かほどの武士もののふがイクサとして黄泉返り、ここに現れた。

 それが如何なる因果のゆえかは知らぬが、少なくとも、友好的では無いことは、先刻からまき散らされている闘気が如実に示している。


 思わず、銀銃槍を握る手に力が鼓舞こぶる。

 闘気を真っ向から受け止めて構えるそれがしに、だが、当の相手はどこか困惑したように首をかしげた。


「赤備えをまとい、銃砲を携えて敵に対峙する……どうした昌幸? 知恵者のオマエが、何とも勇ましいじゃないか」


 どこか親しげで、少し懐かしそうに、しかし、どうにも喜ばしくはなさそうな複雑な声音だった。


「いずれにせよ、自慢の知恵も策謀も冥府にド忘れて来たようだな……そう、例えば〝金ケ崎かねがさき退ぐち〟だ。あの戦にて、必勝であるはずだった織田勢が何ゆえ大敗するに至ったか……」


 突然の語りは何を思ってか?

 ただ、その声音は今度はハッキリとした失望に沈んでいる。


浅井あざいの裏切り……絶対にあり得ぬと踏んでいた後方からの攻め手、その一手により織田の必勝は崩れ去った。経緯は如何にあれ、そこから攻められるなど絶対に無いと踏まえた場所こそ、付け入るべき要ということだ。戦術の基本であろうに……、なあ? オマエはそんなことも忘れてしまったのか?」


 そんな深い失望とあきれをあらわに、赤備えの小兵は嘆息した。


「勇ましくそこに陣取って、オマエは何を守っているつもりなのだ?」


 問いかけは哀れみすら宿して粛々しゅくしゅくと。

 直後、背後にわき上がった無数の気配に、それがしは戦慄した。


 屍鬼の気配だった。


 後方にある階段の先、地下壕の奥で無数の屍鬼がうごめく気配。十や二十ではきかぬ大群の気配。それが、突如として地下にわきあがったのだ。


 地下鉄……地下に張り巡らされた交通路。ならば、屍鬼は昼夜の別なく蠢いている!

 そして、塞いでいた瓦礫を破って躍り込んだというのか……!?


 爆発音などは聞こえなかった。ならば、鬼号とやらがその怪力であの量の瓦礫を除いたと? 馬鹿な、いくら何でも……否、現にこうして屍鬼の気配があふれているのだ!


 それがしは焦燥のままに身をひるがえし、階段路に飛び込んだ。


 背後に響いたのは、再度の嘆息。

 敵の進軍経路を失念した上に、慌てふためいて敵に背を向ける。確かにあきれ果てるのも詮無き無様だろう。


 だが、今はとにかく、駆け出す両脚に全力を込めた。


 階段路を一足飛びに下りる。彼方に響く微かな喧噪に歯噛みしつつ、長く伸びた通路を駆け抜け、防火扉とやらを押し開けた。

 途端にハッキリと届く喧噪。

 そこに混ざる幼子たちの悲鳴を聞き取りながら、それがしは折り返しの階段を一気に駆け下りて広間に躍り込んだ。


 広間の中央、改札とかいう仕切りの前でへたり込んでいる五人の幼子たち。クルミは居ない、あの座敷に居るのか? テンたちは────。


 思考は、迫る屍鬼共の喧噪に掻き乱される。

 改札の向こう、最下層である〝ほーむ〟とやらに続く階段路から駆け上がって来た屍鬼の群れ。

 緩慢ではない、雪崩なだれの如き勢いで殺到して来る。

 幼子たちが悲鳴を上げた。

 それがしは瞬時に銀銃槍を構え、その狙いを屍鬼共に向ける。


 幼子たちを巻き込まずに、当てられるか……!?


 逡巡している暇は無い。

 気を張り、意を澄まし、引き金を絞った。


 最早慣れ親しんだ銃声と反動、改札を乗り越えようとしていた屍号三体がまとめて吹き飛んだ。

 それがしは立て続けに三発を撃ち込む。一発はさらに迫る屍号を穿ち飛ばし、二発目が別の屍号の肩口を弾けさせ、三発目が改札を越えて来た狗号を撃ち抜いたところで、声を張り上げる。


「立て! こっちへ来い!」


 幼子たちは身を起こしつつも動きは遅々としてぎこちない。

 当然だ。年端もゆかぬ身だ。迫り来る屍鬼共の圧力を前にして、機敏に動けるわけもない。

 さらに下から押し寄せて来る屍鬼共、群れを成して迫るそれは銃撃で押さえ込める量では無い。

 それがしは即座に駆け出した。

 床を蹴り抜く勢いで踏み込み、幼子たちとの間合いを詰める。

 新たな屍鬼が迫っている。

 駆けながら狙い撃つが、不安定な射撃は大きく逸れて壁面を穿つ。当然に屍鬼は顕在で、むしろそれがしの方が反動で体勢を崩した。

 無様な失速を、歯を食いしばった踏み込みで打ち消して前へと駆ける。

 屍鬼共が改札に手をかけていた。

 それがしは銀銃槍を構える。


 間合いは、まだ遠い!

 

 焦燥のままに大きく踏み込む。

 屍鬼が改札を乗り越え、異形の爪を振り上げた。

 うずくまった幼子たちが掠れた呻きをこぼす。

 無数の幼い瞳が、助けを求めてそれがしを見ていた。

 構えた槍の、そのから、こちらを見ていた。


 ああ、この手に握った槍が、もっと長ければ────。


 あの日、あの時、あの場所で、届くこと無く潰えた我が願い。

 目指した勝利へと届かぬ一手を、悔い、嘆いた。それが、それこそが真田さなだ信繁のぶしげを呪縛する無念の因果。


 


 銀銃槍を振りかぶり、銃口が後方に向いた瞬間に引き金を絞った。銃声が響き、銃火が弾け、反動がそれがしの疾走を後押して加速する。

 半ば吹き飛ぶように前へと踏み込みながら、握り締めた銀銃槍を横薙ぎに振り放った。

 展開した銃剣の刃が鋭利に煌めき、空を裂く。

 銃声に連なり響いた斬撃音が、群がる屍鬼数体をまとめて薙ぎ払った。

 蒼く燃え上がりながら、吹き飛ぶように崩れ落ちる屍鬼共。その向こうから乗り出して来たのは、豪腕を振り上げた亜号屍鬼の巨躯。

 隔てる改札ごと押し潰さんとするような圧力に、それがしは両足を踏み締め、握り締めた銀銃槍を全力で突き出した。

 銃剣が亜号の胸を貫き、噴き上がった蒼炎が視界を染め上げる。

 

「ユキムラ……!」


 蒼い炎の中で、幼子たちの声が張り上げられた。

 怯え、震えながら、赤備えの英雄に助けを求める悲痛な声が、両の鼓膜を貫くように深く、響いて────。


「……ぅぉおおおおおおぉぉぉォォォァァァァーーーッ!!!」

 

 絶叫に喉が引き攣れ、銀銃槍を振るう腕が軋み、踏み止まろうとした両足が崩れる。

 視界を埋めて押し寄せる屍鬼の群れ、圧倒的な暴の勢いは改札を砕き、打ち壊し、この場の全てを呑み込んで荒れ狂った。

 それがしは抗おうと、狂ったように四肢に力を込め、引き金を絞る。

 暴風の如き衝撃。

 爆発の如き破砕音。

 世界が揺れるような感覚と共に、視界を覆う蒼炎がなお激しく燃え上がった。


 爆風にあおられたような圧力と、床に叩きつけられた衝撃、痛みを伴わぬ重圧に身悶える中で、鬼火の蒼が強く激しく燃え上がる。

 視界を焼き尽くすかの如き蒼の爆炎は、だが、すぐにその勢いを弱めてかき消えた。


 まるで燃え種を無くしたかのように、蒼炎が急速に勢いを弱める中で、だが、まだ視界は晴れない。


 周囲には大量の噴煙が巻き上がっている。


 何が……起きた……!?

 幼子たちは……!?


 それがしは起き上がろうとしたが、鬼火に包まれた四肢がゴリゴリと硬質な音を響かせて、上手く動いてくれぬ。


 骨が砕けておるのか……だが、構っておれるか!


 ひしゃげた両足で足掻き、ねじ曲がった両腕を床に叩きつけて、かしいだ身体を無理矢理に起こす。

 巻き上がる噴煙越しにまず垣間見えたのは、まばゆい陽光だった。


 太陽……だと!?


 見れば、地下壕の天井が崩落し、空が覗いていた。

 暴れ狂う屍鬼の暴威に老朽した地下が堪え切れなんだか、それとも、意図的に仕掛けられた崩壊か。

 崩れ落ちた瓦礫は、広間の半分を埋め尽くしている。

 下層への下り口も、改札も、押し迫っていた屍鬼共も、


 そして、幼子たちも────。


「……ハッ……何だ……それは……」


 乾いた悪態が、喉奥からこぼれ出た。

 何なのだそれは……このフザケた事態は、何だと言うのだ!

 ゴキリと、銀銃槍を握り締めた手が音を立てた。

 込めた力が強すぎて、指が砕けたか?

 か弱いことだ。ああ、こんなに弱々しい腕だから、せっかくの得物も扱い切れず、〝こだま〟を響かせることも叶わず、こうして無様にくずおれることになるのだ。


 目指した勝利に、届くことも無く……!


 身じろぎに、胸元で微かに金音が鳴った。

 首から提げた六文銭。つたなく不格好なそれを、弱々しく握り締める。


〝……もう、なくしちゃだめだよ……〟


 そう言って微笑んだ少年の名を、それがしは知らぬ。

 不安そうにしていた少女の名も、憶えておらぬ。

 銀銃槍で釣り上げられて燥いでいた少年や、他の幼子も同様だ。幾度か呼び合っているのを聞いていたはずなのに、それがしはロクに憶えようとしなかった。

 クルミの名とて、成り行きで憶えただけのこと。


 幼子は苦手だ。

 

 嫌っているわけではない。

 苦手なだけだ。

 だから、積極的に関わろうとはしなかった。

 それでも、名すら気にしていなかったなどと、何とも薄情に過ぎる。

 武士にとって名は重き要。

 いわんや、それは武士で無くとも変わるまい。

 名も知らぬでは、今、この不明を詫びることすらも叶わぬではないか。


「……ハッ……本当に、無様なことだ……」


 込み上げた自嘲のままに、口の端を歪めた。


 カカン……と、硬い音が響く。

 石造りの床を踏む蹄の音。さっきから近づいていたその音には、当然ながら気づいていた。


「また、守れなんだな。昌幸……」


 馬上の赤備えが、静かな声音で告げた。


「己の力及ばず、思い届かず、振るう武は空回り……。あの長篠ながしのの窮地にて、ワシらにもっと信があれば、勝頼かつより殿は無謀な吶喊とっかんを思いとどまってくれただろうか? あるいは、ワシらにもっと武勇があれば、戦況を覆すことができただろうか? 否、そもそも、ワシらがもっと意を凝らしておれば、信玄公を倒れさせることも無かったのではないか……」


 なあ、昌幸よ────。


「あの長篠で、みなが無意味に散り逝く中で、ワシは悔いた。このような終わりは嫌だと嘆いた。死ぬことに……ではない。死して散るそのこと自体に畏怖も忌避も無い。主君が目指す天下へのいしずえとなれるのならば、応とも、喜んでこの首を差し出そう」


 だが────。


「無意味な最期には堪えられぬ。ただ、ただ、意味も無く使い潰されるなどたまらない! ワシは、武士として意味のある最期が欲しいのだ!」


 吼えた武者の胸元が蒼光を放った。

 赤備えの甲冑をすり抜けて蒼く浮かび上がって見えたのは〝ホマレ〟の文字。それがこの山県昌景の刻んだ〝因果の銘〟か────。


 なるほどな。

 血迷った主君の無謀で散った死は、武士の誉れに非ずということか。

 名高き赤備えの大先輩が、なかなかどうして、浅ましい。まあ、武士も人の子だ、己の名誉を守りたい気持ちはわからんでもない。


 だがな、あの幼子たちが言うに、赤備えは英雄の証らしい。


 ならば、弱きを守る正義の味方としては、貴様のような俗物は相応しく無いんじゃあないのか?


「オマエもあの長篠に居たのだから思い知っていよう、無意味な死の耐え難きを知っていよう、なれば昌幸よ! オマエは────」


「先ほどから昌幸昌幸と、無礼な御仁だな。それがしは、そのような名前ではない」


 ウンザリと吐き捨て、ゆるりと立ち上がる。

 全身には未だ鬼火がくすぶっており、四肢の軋みは激しいものの、だましだまし動く分にはどうにかなりそうだ。

 ならば、赤備えの武士として、いつまでもくずおれてはいられない。

 右手につかんだ銀銃槍を肩に担ぎ、馬上のイクサを睨み上げる。


「それがし、最早寄る辺無き落人なれど、賜りし名は魂魄に刻み込んでおる。なればこそ名乗らせて貰おう、我が名は……」


 左手でつかんだ〝六文銭〟を、強く、強く、握り締めて誓う。


「我が名は、真田源二郎


 真っ向から、意識して堂々と、名乗りを張り上げた。

 あの幼子たちが信じて憧れた、赤備えを纏いし英雄の名前。日ノ本一とうたわれたつわものの名前。

 名は武士の要だ。

 それがしは幼子すら守れぬ弱兵なれど、名乗ったからには、その義、貫き通すしか道はあるまいな。

 ……で、あれば、まずは眼前の俗物にを思い知らせてやるとしよう。

 それがしは気概も新たに、銀銃槍を振り下ろして腰だめに構え持つ。


 いざ────。


「……不惜身命ふしゃくしんみょう……つかまつる」 


 声音は鋭く、踏み込みは強く、眼前の敵へと闘志を叩きつけた。




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黄昏のIX・A アズサヨシタカ @AzusaYoshitaka

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