後日談:なんでもない夜

 ぱちりと目が覚めた。顔が窮屈に感じて触ると、面を付けている。邪魔くさい。雑に外して寝返りをうつ。まだ頭が半分眠っているが、なんだか体が楽なっているように感じる。今何時だ。窓の外は暗い。空の感じからして日が沈んで時間が経っていそうだ。久しぶりによく眠れた。寝る直前の事を思い出して隣を確認する。あいつが居たはずの所にはカミ蟲が丸まって眠っていた。

(帰ったか……)

 右目に触れてみるがなんともない。この数日、目を覚ましても尚纏わりついていた夢の感触が嘘のようだ。

「……狐月」

 名前くらい知ってる。何回聞かされたと思ってるんだ。こちらからも縁を結んでしまった。まあ仮の名だし、いづれ変えればいいかと思う。軽くシャワーを浴びて外に出よう。流石にお腹が空いた。



――どんっ。

 机の角にぶつかってコップの中身が揺れる。太ももが痛い。

「大丈夫か」

「ええ」

 そう答えた矢先に目測を誤って置いたはずの書類が床にこぼれる。

「さっきからずっとそんな調子じゃねぇか。今日はもう上がれ」

「いえ、本当に大丈夫ですから。報告書は僕が書いておきますね。もう上がる時間ですし、サクラさんはお夕飯食べに行ってきてください」

 そう言って半ば強引に交番からサクラさんを追い出した。落ちた書類をまとめて腰を下ろす。今は少しだけ一人になりたい。

 この村にきて2ヶ月と少し。香墨さんは基本的に人を名前で呼ばない。お巡りさんとか、おばあちゃんとか、お嬢さんとか。声をかける時は必ずその人の近くまで行くから、気付いてる人はあまりいないかもしれない。どうしてかは分からないけど、きっとそれがあの人のルールなのだ。なのにさっき――。

「ふふ。……こほん」

 職務中にいけないと思いつつも、つい顔が緩んでしまう。何度かせがんだ事はあったけれど、名前を呼んでもらう事がこんなに嬉しいことだとは思わなかった。香墨さんはゆっくり眠れているだろうか。寝相がいい、というより寝ているは間全く動かない性質のようだったから体が冷たいと生きているのか心配になる。衝動半分、心配半分。狐面を外そうかとも思ったけれど、やっぱりそれは出来なかった。勝手にしていいことじゃない。寝息はきちんと立てていたし、僕が出てくる時カミ蟲ちゃんにお願いしておいたから大丈夫だろう。どういう子かまだよく分からないけど、主人に何かあれば守ってくれる気がする。だってあの子は香墨さんが大好きなのだ。

「さて、報告書を作りましょうか」

 浮きだつ心を抑えつつ、真っ白なそれに向き直った。



 晩飯を食い終わってメイン通りを歩いていると、インクに汚れた狐面が歩いてきた。

「おっかねぇ変態が来た」

「おやおや。ページを捲る時やたらと紙をぐしゃぐしゃにしながら捲りそうなお巡りさんじゃないですか」

「何でわかったんだ……」

 いつもの調子ってことはもう大丈夫みたいだな。

「一杯行くか?」

「奢ってくれるなら」

 この間も俺だったろ、と言いながらいつもの居酒屋に足を向ける。熱燗におでんをつつきながら減らず口を叩きあうのも嫌いじゃない。まあ、さっきこいつの家に行った時、起き抜けの狐月が出てきたのには少し驚いたが。

「お前、狐月になんかしたのか?」

「なんのことだい?」

 とぼけているようにも、嘘をついてるようにも見えない。ということは本当に心当たりがないのか。こいつ絡みだと思ったんだがな。

「いや、何でもねぇ。にしてもお前あれだな。変なとこに地雷あんだな」

「そう?」

「だって本踏むとか、そりゃまあ褒められた事じゃねえけどあそこまでするか?」

「君は署の重要書類を土だらけの足で踏まれてビリビリに破かれたらどう思うんだい?」

「む……」

「そういうことだよ。俺の場合はその対象が広いだけ」

「だからってよぉ」

「いいじゃないか、君が止めたおかげてあの猿は死なずに済んだんだし」

「はぁ」

「君も書類は大事に扱い給えよ。じゃないと潰しちゃうから」

「げえ」

 冗談なのか本気なのか、いつもにも増して掴みどろこのない友人の前では暫く紙を触るのをやめようと思った。

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狐面村-カミ蟲の繭 霞月楼 @kagero75

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