Epilogue Titus Andronicus
Epilogue Titus Andronicus
東京都東村山市。
元は資材置き場だったと思われる森林の中の空き地に二台のワゴンと一台のトレーラーが立ち入ってきた。ワゴンからは次々とライフルをスリングに吊っている傭兵達が降車してきた。さらにはトレーラーのカーゴからは二機の〈キュクロプス〉が姿を現す。
傭兵集団『シュナメール』はこの日、『倉持製造』という企業から貨物の運搬と護衛を依頼されていた。
シュナメールのリーダーである女性、渡辺がトレーラーのハンドルを握っている。
「何も無いじゃない……」
『依頼人とも連絡が取れません』
別のワゴンに乗車している傭兵からの通信。
「どうなってるの……」
渡辺が運転席の窓を開けて身を乗り出す。やはり、依頼人も貨物と思しき物資の影も形も無かった。
次の瞬間、渡辺が乗車しているトレーラーが爆散した。
突然の事態に傭兵達が慌てふためく。
「社長!? 社長!!」傭兵達が呼びかけるが返事は無い。中にいたであろう渡辺を救出しようと、二機の〈キュクロプス〉が爆散したトレーラーに駆け寄ってくる。
残った傭兵達が散り散りとなり全周囲に対し索敵を行う。明らかに敵襲ではあるが、その敵の姿が全く確認できない。そもそも敵が襲撃してきたのか? トラップを仕掛け潜んでいるのではないだろうか?
シュナメールの傭兵達の上空から一つの人影がゆっくりと舞い降りてきたのは、その時だった。
ヒトが空に浮かんでいる?
傭兵達は目の前の現実をすぐに呑み込むことができずにいた。DAEは空を飛ばない。そのような固定観念が現状の認識を拒んでいた。
人影はDAEだった。真紅の第二世代型。見覚えがあった。忘れるはずも無い。自分達が陥れた機体。〈エアバスター〉。
だがそのフォルムは自分達の記憶のものとは幾分か差異があった。アークジェットの光を吹き出しているバーニアの数が増えている。足裏と背面に加え、肥大化したふくらはぎと腰横のサイドスカート。
なによりそのシルエットが大きく変化していた。背面からは翼が広がっていた。
〈エアバスター〉はM32グレネードランチャーを手にした。おそらくそれでトレーラーを爆破したのだろう。
「よーう! 久しぶりだな! シュナメールのクソども! 残念だが最初からここにはお前らに運んでもらいたい荷物も無いし、仕事を依頼した『倉持製造』なんて業者も無い。騙して悪いが……って言いたいところなんだが、お前ら身に覚えはあんだろ?」
〈エアバスター〉の装着者の声。楔キリカの声だった。
「傭兵稼業は信頼が第一ってのはわかってるはずだよな。お前らみたいなアホがのさばっていたら業界全体に悪影響だ。ってなわけで、死ね」
キリカ、手にしていたM32グレネードランチャーを乱射する。そこかしこで榴弾が弾け、爆炎が炸裂した。ワゴンがグレネードによる爆撃で炸裂した。
シュナメールの傭兵達が反撃に打って出る。だが最早、破れかぶれといった具合だ。
〈エアバスター〉の翼が躍動し、真紅のDAEが空高く舞い上がる。そして急降下すると、武装をマブプルマサダ・アサルトライフルに持ち替え頭上から銃撃していく。
銃撃を免れた傭兵の一人が空を駆ける〈エアバスター〉を追う。だが突如、目の前の光景が歪む。
その歪んだ空間が人影となり、その正体を形成していく。一機の白銀のDAEだった。〈シンデレラアンバー〉である。〈シンデレラアンバー〉の背部から数本の腕が伸びてきた。それは腕というよりも、触手と呼べるものだった。その触手が傭兵に襲いかかり、嬲り倒した後にトドメを刺す。
別方向から一機の〈キュクロプス〉が突進してくる。バトルアクスを振りかざし、美月の背中へ振り下ろそうとする。
美月の網膜投影にアラート。美月は敵の攻撃に対処しようと振り向く。だがそれよりも速く、手の空いていた一本の触手がバトルアクスを弾き返すと、もう一本触手が先端のブレードの付いた三本のクローを閉じ、ドリルのように回転させると敵〈キュクロプス〉の装甲を中の装着者ごと穿ち貫いた。
美月が踊るように身を翻らせる。背中のオプション兵装から伸び切った八本の触手が周囲の傭兵達をなぎ倒していった。
「これ、俺の出番無さそうじゃないか」
あまり覇気の感じられない低い少年の声。夕夜のものだった。
「給料分の仕事くらいしろー」
キリカに言われて、茂みの中に潜伏していた漆黒のDAE〈黒瞥〉が姿を現す。肩に手を充てがうと肩部に鞘にマウントされていたナイフのロックが解かれる。先日のニッタミでの任務を鑑みて、敵に武器を奪われないようにするための〈黒瞥〉の新たな措置(アップデート)だった。
夕夜はそのナイフを握ると、手近な敵から仕留めていった。
最後の一人と思しき敵を倒すと、〈エアバスター〉が二人の元へ降下してきた。
「どーよ二人とも、すごいだろ。世界初の完全に空戦に対応したDAEだぜ」
キリカが振り返って二人に背中を見せる。〈エアバスター〉の背中には折り畳まれた翼のようなフィンが存在していた。さらに腰部両側面と両ふくらはぎにもバーニアが増設されている。これらにより〈エアバスター〉の一時的な空中機動は空戦と呼べるレベルにまで発展した。
「名付けて『エアバスター・アーラ』だ」
「アーラ……イタリア語で翼って意味か」
これまで辛島が装着していた〈エアバスター〉は美月によって欠片も残さず消し飛ばされてしまった。そのため今、キリカが装着している〈エアバスター〉は彼女に適合するように完全に新造されたものとなる。
「で、美月の具合はどんなんなのさ?」
「『テンタクルドレス』ですね。すごく便利ですよ。私自身が認識してない敵にもオートで反応して、反撃してくれます」
〈シンデレラアンバー〉の背部オプション装備は新たなものに換装されていた。八本の触手が背中から伸びていた。
『テンタクルドレス』。複数の触手での同時攻撃を可能とした〈シンデレラアンバー〉の近接格闘用オプション兵装である。
これらの触手は通常時はシステム側が制御しており、接近するアラート発生源に対しオートで防御と反撃を行う。無論、これらはプロセッサバースト時には疑似神経接続により触手の一本一本が美月にとって身体の一部と化す。
「その光学迷彩もすごいな。俺の仕事無くなるぞ」と夕夜が零す。
「ただこれ、バッテリー消費がものすごくて……今のところは緊急回避にだけ使ったほうがいいですね。先輩の〈黒瞥〉のようにステルス性を活かして潜入といった作戦行動には向いてないですよ」
『空間歪曲型光学迷彩スフィア』。発生装置付近の周辺空間を通過する光そのものを歪曲させることで〈シンデレラアンバー〉を光学的に不可視とする機能である。
三人のアラートが表示されたのはその時だった。爆散したトレーラーから投げ出された渡辺がまだ生きていたのだ。
夕夜が再びナイフを手にして彼女の元へ歩み寄る。
「わったなっべさーん。裏切り者の渡辺真由子さーん。お加減いかがですかー?」
ナイフをくるくる回しながら、夕夜は這いつくばってる渡辺の傍にしゃがみ込む。いかつい相貌のマスクが彼女を睨みつけた。
「お久しぶりです。真崎ですよ、真崎夕夜。いやぁ、何度か一緒に仕事した人とこういう形で再会するなんてほんと悲しいっす、ガラスのハートの十代なんで。あんたらがニッタミ側に付いたのは、勝ち馬に乗せてもらおうって魂胆なんだろ? 別にその考えも悪くはない。むしろ傭兵としては至極当然のものだ。だがな、あんたを間違いを犯した。シマダを敵に回すなら裏切りなんかじゃなくて、ちゃんと手順踏んでニッタミ側に付けば良かったんだ。そうすれば後腐れなんか無いから、俺達もこんなお礼参りみたいなことをしなくて済む。殺し合いって言っても俺達はいち企業として経済活動をやってるんだ。別の業種でもこんなことやったら総スカン食らうのは当然だと思うぜ?」
そうしてくるくる回していたナイフを逆手に持ち直す。そのナイフを渡辺の喉目掛けて突き立てた。
例え一つのメガコーポが潰え、強大な権力者が一人消えても世界はつつがなく回ることができる。
悪い奴が退治され、皆は幸せに暮らしましたとさ。エンドロールが流れてハッピーエンド。そんな風にできていない。
あるいは大きな悲劇を迎え、大切な誰かが死んだから、大勢の人々が死んだから、世界が何かを失ったらからといって、それで物語は終わらない。終わってくれない。
敗北条件を満たしたからゲームオーバーとなり世界は滅亡したり、既に立て直すことも不可能なほどに世界が崩れ落ちても、恐ろしいことに人々の意識は安らかに眠るように終わってなどくれない。
陽はまた昇る。愛する人が死のうが、国家が滅ぼうが、残酷なまでに明日はやってくる。
ニッタミの崩壊と我来の殺害に喜ぶ者、嘆く者、憤る者、様々な反応を示し考えを巡らす者がいた。その中で最も多かったのが何ら関心も興味も示さない者だった。数日はニュース番組が騒ぎ立てていたが、社会衛生省が報道の自粛を忖度させるまでもなく、やがてワイドショーはいつものように芸能人のスキャンダルに執心するようになっていった。
戦闘プロパイダ同士の戦闘行為は基本的に企業本社の襲撃は認められていない。今回のニッタミ本社を襲撃したシマダ側の言い分としては、トレーラーで物資を運搬していた際に襲撃を受け先制攻撃に対する反撃であるとした。無論、その程度の言い訳が通用するはずもないが、羽田はしっかりと警察に対する取引材料を用意していた。
アパッチを街中で飛ばした挙げ句、住宅地に墜落させたことについてだ。この時、警察は住民からの大量の一一〇番を受けていたが全て無視していたという証拠を羽田は朝海に握らせていた。
情報はいくらでも政府によって握りつぶせるが、それにも限度がある。更には『勉強会』の一員が禁止されているナノマシン技術に手を出したという客観的証拠もかなりの効き目があり、シマダ武装警備はお咎め無しとなった。
「アパッチが来なかったらどうするつもりだったんだ」
そう久槻が指摘するが、
「僕が二手三手用意していないと思うかい? 警察を黙らせるくらいのスキャンダルなんか、両手の指じゃ足りないくらい持ってるよ」
にんまりと羽田は答えてみせた。
「お疲れさま、影山さん」
ある日のこと。
シマダ武装警備の社食のテラスでカフェオレを啜っていた美月に声がかかる。声の主は守口だった。そして彼女の傍には一人の少女が連れ立っていた。齢にして自分より一つか二つ上だろうか。
「初めまして。辛島優奈と申します」
告げられた名前に美月の表情が固まる。
辛島宏樹本人から聞いた話では家族などいなかったはず……。
「彼女、今日は辛島君の私物を引き取りに来たんだって。持ってきてあげてくれないかな」
「……わかりました」
妹は死んだはず……そんな疑問を胸中に反芻させながら美月はオフィスに戻る。村木に来客を報告をすると、言われた通りに対応してくれと指示された。
美月はダンボール片手に辛島のデスクの前に立った。多忙続きでまだ辛島のデスクはあの日から手付かずのままだった。
コントラクターのデスクにはあまり物は無い傾向だ。自分のデスクもコーヒーカップと端末しかない。だが、辛島のデスクはその傾向に当てはまらないものだった。
飲みかけの缶コーヒー。食べかけのチョコレート菓子やグミ。椅子にはジャケットがかけられており、デスクの下にはサンダルが放置されている。スリープ状態のタブレットをつければ、違法ダウンロードしたと思しきポルノ雑誌の電子書籍が表示され思わず顔をしかめた。だがホーム画面に戻ると、画面の壁紙には先程の辛島優奈の写真が設定されていた。
美月の作業の手が止まる。
端末に貼り付けられた付箋のメモの日付はあの日を最後にしている。
あの時から生々しいまでに時間が止まっている。ついこの間まで辛島宏樹という人間がここで生きていたという形跡に、美月はわずかに息を呑む。
ひとまず飲食物だけを捨てることにして、あとは片っ端からダンボールに詰めていった。その中身を守口が確認する。端末などの機密に関わるものを弾いてもらい、残りの私物を優奈の前に差し出した。
優奈は兄の私物を一つ一つ手に取っては、大事そうにリュックの中に仕舞い込んでいく。使い古したジッポ。夕夜が薦めたと思しき薄汚れた小説の文庫本。コーヒーカップ。痔防止のためのクッション。彼女が持ってきたトランクに入り切らないものは、後日配送することになった。
その様子を美月と守口が見つめている。美月は小声で囁くように守口に訊ねてみた。
「あの、辛島さんって家族はいないはずでは……」
「社会衛生省に目をつけられないように、書類上は縁を切っていたそうよ……」
「あの、兄の仇を討っていただいたのは、影山さんだと聞いています」
二人の会話を聞いていたのか、優奈は美月達の方へ顔を上げた。
「復讐を遂げたところで兄が帰ってくるわけでもありません。復讐も倫理的に許されることではないと頭ではわかっています。それでも、私の中で一つの決着をつけることができたんです。また前を向いていこうと思うことができたんです。そのことについてお礼を言わせて下さい!」
優奈が頭を深く下げる。
「ありがとうございます! 兄の仇を打ってくれて……!」
美月はその礼を素直に受け取ることができなかった。その顔も見ることができず、美月は目を伏せる。
礼を言われるようなことなど、何もしていない。
身体の節々が軋み悲鳴を上げている。まるで油を挿していない機械のように思えた。
DAEを着用した任務の後はいつもこうだった。
美月はその日の業務を終えると静かにバルコニーへ出た。
陽はとっくに暮れ群青の黒に染まっている。バルコニーの眼下には暗い青の運河が豊洲の街並みの光を鏡のように写しだしながら静かに波を立てていた。
喫煙所にされているバルコニーには珍しく誰もいなかった。空気の抜けたビニールプールは雑に折りたたまれ、隅のほうに追いやられており、灰皿スタンドは元の位置へと戻っていた。
気がつけば秋は深まっていた。冷ややかな風が火照った頬を撫でて心地良かった。
美月はポケットからバージニア・エス・アイスバールのケースを取り出した、その時だった。
「おいっす!」
誰もいないはずのバルコニー。美月は身構え声の方へ振り返ると、能面の男が手すりの上に器用に立っていた。
「白拍子……!」
反射的に美月は己の武装を確認するが、すぐに焦りに表情を歪ませる。規定されているわけではないが、基本的にシマダ社屋内では銃器は持ち歩かない。あるのはブーツに仕込んだナイフだけ。対処のしようがなかった。ナイフを手に取ろうと屈んだだけでワイヤーでなます切りにされるだろう。
「声が小さ〜い! もう一丁! おいっすっ!」
「……お、おいっす」
拉致があかないので、美月はしぶしぶ答える。
「そんなに身構えなくていいよう。何も手出しはしない。今日は君のことをお祝いにきただけだ。まずは復讐の達成おめでとう〜影山美月ちゃん」
言いながら、白拍子は降伏するように諸手を上げてみせる。手にはワイヤーを仕込んだグローブを嵌められてはいなかった。
「さて、影山美月さん。当面の……というか一番大きな目標は達成されたようだけど、これからどうしていこうか見当はあるのかい?」
「そんなこと訊いてどうするの」
んふ、と白拍子は鼻を鳴らしてみせる。能面の下では愉悦に満ちた笑みを浮かべていることだろう。
「復讐というのは、生き方そのものだ。復讐するということは過去に拘泥し囚われるような考え方の極みとも言える。もう変えられることのない過去に殉じ、まだ何も既定されていないはずの未来を既定してしまう。復讐を為したということは、これから生きながらにして死んだような生き方をすることになる。そんな目も背けたくなるような業をまだ十代の少女が背負うことになったというのは、『俺』としても心が痛いんだよ」
「白々しい。そんなこと少しも思ってないくせに」
白拍子は能面をかたかたと揺らす。それがどんな意味を持つ返答なのかはわからなかった。
「後悔なんかしていない」
毅然と、あるいは射抜くような視線を美月は向ける。
「……そう言えるのも今のうちさ。過去は時間が経てば経つほど、どんどん重くなってくるものだよ。特に君の復讐は我来だけでなく多くの人を巻き込んだものだからね。人の身のままなら、蝕んでくるその過去にとてもじゃないが耐えられない……そう、人の身のままであるなら……ね」
白拍子は対峙する美月の目を見る。
獣の目だ。あるいは鬼か修羅の目。人の目でないことは確かだった。
能面の下の両の口端をにんまりと釣り上がらせる。
「それで、これから君は何を目的として生きるんだい? もう後戻りは出来ないよ。何も考えずに済んだ日常という終わらない夢心地に微睡んでいた、どこにでもいる普通の女子高生の影山美月ちゃんは死んだ。人殺しというものは、復讐というものはそういうものだ。言ったよ? 拘泥された過去が未来を既定してしまうって……」
「お前は勘違いしている。いつ私の復讐が終わったって言った?」
「おっとぉ? なになに? まだ足りないの? 欲しがり屋さんだねぇ」
「そう、全然足りない。我来臓一、一人だけじゃ全然喰い足りないの」
美月の言葉に、白拍子は能面のしたの双眸を弓なりに歪ませる。
人を食い殺す狼か。
人の為したことを破却し尽くす鬼か。
闘争の中でしか生きられない修羅か。
あるいは、拘泥した過去に縛られ呪詛と祟りを撒き散らす悪霊か。
眼前の少女が人ならざる存在になり果てたことに、白拍子は深い愉悦を感じていた。
白拍子は手すりの上に立ち上がる
「だったら一つ忠告してあげる。俺達傭兵は、いつだって魔弾を撃っている。狙った獲物は外さない外法の銃弾。いつか必ず最悪のタイミングで最悪の事態を引き起こす悪魔の造った銃弾だ。気をつけなよ?」
その言葉を最後に、大きく両手を広げてそしてゆっくりと仰向けに虚空へと倒れて、そして転落していった。
この程度であの男が死ぬことは無い。美月は手すりの向こう側を覗き込む。案の定白拍子の影の形も無かった。美月は嘆息しベンチの方へ戻って座る。
糞尿に浸った檻のような国だが、日の丸を尻に敷く連中に服従をすれば、とりあえずは一日、また一日をやり過ごすことができる。死に体の国家で考えることをやめた者たちは死にながら生きながらえている。
矜持を捨て、知性を捨て、自らの足で歩き出す意思も捨てて、それで楽になれるから、それでこれ以上悪いことにはならないからと妄想を繰り返す。
まさしく停滞でしかなく、生ではない。到底生きているとは言えず、ただ死んでいないだけのこと。
それすらもできない愚か者たちが自分達傭兵だ。
餓鬼道に飼われるくらいなら、修羅道に堕ちたほうがまだマシと平然と謳う悪鬼羅刹たち。
銃に狂い、硝煙に狂い、金に狂い、戦いに狂い、殺し合いに狂い、自らの命を売り物にする。
だがそれは、命を燃やし自らの生命を以て駆け抜けていることに違いはない。
我来が作り上げたナノマシンは、おそらく何らかの形で流出したと考えるのが現実的だろう。そしていつか、死んでも死なない兵士というものが生まれるだろう。そのようなもの、傭兵としての在り方とは真逆にある。人としての尊厳を踏みにじるものでしかない。
ナノマシンによってこれから兵士達は後腐れなく死ぬ自由すらも奪われるだろう。そしてそれは、市井の人々にも移りゆくだろう。『死ぬまで働け』から『死んでも働け』に移り変わるだろう。なんだか、この前夕夜から借りた小説のような世界だなと思った。
それは終わることを許されないことだ。
終わらない。終われない。終わらせてくれない。
明日が続く。
黄昏が続く。
終焉が続く。
終わらない終わりが続くことが日常となっている。
死んでも終わらない屍者の帝国。
きっとこの国が地図から消え去り終焉を迎えることになっても、つつがなく明日はやってくるのだろう。
美月はポケットからジッポを取り出す。村木が昔使っていたという代物を譲ってもらった。真鍮の上に施されたクロムメッキが傷だらけになっている年代物。カバーを弾くとシャキン、と耳に心地よい軽い金属音が鳴る。美月は何度もシャキンシャキン、と音を立てながら煙草を取り出し、一本咥える。
バージニア・エス・アイスバール。あの日から色々な銘柄を試してみて、これが一番口に合うと思えた。
フリントを擦り導火線(ウィック)から柔らかな炎が立ち上がる。
その炎は美月の明日を照らす灯りか。
あるいは東京を焼くものか。
ジッポを豊洲に立ち並ぶビル群の中に重ねてみる。美月から見て、湾岸都市が炎に焼かれるように見えた。
火のついた煙草から紫煙が立ち上がる。最初の一口を燻らせてふかす。
もうすっかり慣れてしまった一連の所作だ。
夜風が美月の頬を撫で、煙草の香りを彼女の学校の制服にこびりつかせていく。
今夜は月が無い。月が無くとも、人は狂える。
世界は闇に呑まれたのか。あるいは闇そのものがこの世界の姿とも言えるのか。
暗い青の川面に豊洲の街並みが鏡のように写し出されている。一つ一つの明かりが揺らめいている。
その明かりひとつひとつに多くの濃密な物語が込められている。
だが、誰もその物語を省みることも、鑑みることは無い。
もう物語を持つことに、何ら意味を持たせることのできない世界となってしまった。
夜風に吹かれて、煙草の先端が明く輝く。
夜風に吹かれて、紫煙が群青の闇にさらわれていく。
ただ一本の煙草の火だけが、月の無い夜の中で彼女の存在を示している。
ただ一本の煙草の火だけが、月の無い夜の中で彼女を照らしてあげている。
Fin.
戦闘株式会社シマダ武装警備 -Hate Crew Deathroll- 桃李 @tohri_kazu
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