Final chapter Tower of qliphoth ⑬
「見て見て宇春ちゃん! 流れ星だよ!」
「あれは……もしやレールガンですか。噂には聞いてましたが……」
「はうあっ! 願い事言わなきゃ! 世界が滅びますように! 世界が滅びますように!! 世界が滅びますように!!!」
我来を乗せたプライベートジェット機だったものが燃え落ちていく光景を見て、フンセンが慟哭する。声帯も口腔も焼けているからか、獣の鳴き声にも似ていた。
「おい見ろよ、死に損ない! 汚え花火だぞ!」
夕夜が挑発する。
だがここで夕夜の体力と集中力が尽きた。夕夜は打撃を予測していたがフンセンが掴みかかってきたのだ。反応が遅れ、ついに夕夜が捕らえられた。
肩と首を強く掴まれる。首を掴む手の間に右手を差し込んだので絞め落とされることは無いが、だが右手ごと首をへし折られるのも時間の問題だった。
「先輩、今助けます!」
自らの為すべきことを完遂した感慨に耽る間も無く、美月は夕夜の救出に向かう。だがそこで、美月の視界が暗闇に覆われた。システムがダウンし美月の網膜への情報投影が停止したのだ。〈シンデレラアンバー〉のバッテリーがとうとう完全に枯渇したようで、彼女が纏う人工筋肉の鎧は完全にデッドウェイトと化し、美月自身にもたれかかる。美月が鎧う殻が完全にその役目を終えた。 午前零時を回り、シンデレラにかけられた魔法は消えてしまっていた。
安堵の息をつく間もない。美月は身を翻し、夕夜の援護に入ろうとする。
力の失せたDAEの重みで身動きができなくなる前に、なんとか首元のエマージェンシーボタンを押下して脱出を図る。装甲の接合部分が小さく炸裂する。美月は力を失った〈シンデレラアンバー〉から抜け出すと、エクスアームが保持しているM4カービンライフルを引き剥がす。
重い。
DAEの人の領域を超越した挙動に数時間晒され続けた肉体が悲鳴を上げている。それでなくとも、焦がれ続けていた仇敵を討ったという時点で既に美月の緊張の糸は途切れてしまっていた
ライフルを構える全身が痙攣する。狙えない。
震える照準の先では、夕夜が絶体絶命の窮地に立たされている。
距離にして十数メートル。いつものなら大した距離ではないというのに。
もう誰も失いたくないのに。
ここまできて。こんなところで。
焦燥が彼女の心を折ろうとした、その時だった。
フンセンの背中が爆発音とともに爆炎に襲われた。
「真打ちってのは、遅れて登場するもんだろ! なあ!?」
煙越しに声の主の姿が確認できた。
マグプルマサダを構えたキリカが不敵な笑みを浮かべていた。世界中の人間に勝利を誇るような邪悪な笑み。カービンの銃身下部にはアドオンのグレネードランチャーが装備されている。
「よくやった、お前たち」
村木が夜光に煌めく頭をひとつ撫でると、
「こういう時は手柄は上司に譲るといい。お前たちは休んでろ」
その言葉とは裏腹に、村木の語気には美月と夕夜に対する心配の念が込められている。
「遅すぎるんですよ! こっちは片腕無くなって、腹殴られまくって、向こう一、二週間は焼き肉どころじゃなくて流動食だ……!」
グレネードの爆風によってフンセンの拘束から逃れた夕夜が声を上げる。
「そんだけ喚く元気がありゃ大丈夫だ! それよりまだイケんだろ!?」
キリカがサイドアームのグロックを夕夜の方向目掛けて地面に滑らせる。夕夜は寄越されたグロックを握る。先程までのファイアボールとは打って変わった手にしっくり来る感触と軽さに安心感を覚える。
互いに流れ弾が当たらないように位置を移動すると、四人は挟撃の陣形を取る。
そして、ありったけの残りの銃弾をフンセンに叩き込んだ。
フンセンの死霊の如き叫喚が轟く。だが、それもすぐに無数の銃声に埋め尽くされる。それでもまだ反撃を試みようとするのか、よろめきながらキリカの元へ近付こうとする。
「くっせぇんだよ! 寄んな!!」
キリカは背負っていたフランキスパスに持ち帰ると散弾で押し返す。無数の暴力の粒に押し返されたフンセンはそのまま頭から転倒する。
自分の方が煙草臭いのに、と思いながらも野暮なことは口にしない美月。そのままライフルのトリガーを絞り続ける。
四方からの銃撃を受けてもフンセンは尚も立ち上がろうとする。だがその度にキリカが悪態と共にショットガンで大人しくさせた。
「ナノマシンを打たれて、人様のDAEを着せられて、それで超人になったつもりか? どんな気持ちだ? 死にたくても死ねないってのは。教えてくれよ、ゾンビ野郎」
明滅するマズルフラッシュに村木のスキンヘッドも明滅する。
「おらどうした、立てよ。お前の大好きな我来様が殺されちまったぞー? その仇が目の前にいるぞ? え?」
キリカがマグプルマサダのトリガーを引き絞りながら煽る。
「死ねよ」
グロックのトリガーを引き続ける夕夜の目には、完全に飽きがあった。
美月のその目にも感慨と言えるものは消え失せていた。
やがてその場で土下座するように蹲り、呻き声を漏らすだけとなった。
その姿は許しを乞うようにも美月には見えた。だがトリガーを絞る指を緩める気は毛頭無い。
我来に関わったのであれば、すべからく自分の敵だ。例えそれが、我来に利用されていた、騙されていたとあってもだ。一片たりとも尊厳や慈悲といったものをかけるつもりは無かった。美月は氷の眼で照準し続ける。
呻き声が止む頃には最早フンセンという個人を識別できない程となっていた。それでも銃撃を止めない。四人は撃ち続ける。明らかにフンセンが死亡したとわかっても、撃つことを止めない。最早、四人の目的はフンセンを殺害するよりも、只々自分の憤怒を叩きつけているだけのようでもあった。
銃声が大鳥居の夜空に小さく木霊する。耳鳴りが止まらない。
村木が空になった最後のマガジンを放る。かしゃん、と軽い音。それが打ち止めとなった。
「……長い夜だった」
「……全くだ」
村木とキリカは銃を下ろし、嘆息する。
今度という今度こそ緊張の糸が完全に切れて、美月はその場にへたりこんだ。体の線が露わになるスキンスーツ越しに夜気に触れて、少し心細さを覚えた。だがそれも全身の隅々にまで侵食する疲労に上書きされる。
羽田空港の滑走路からほど近い東京湾の海面には、プライベートジェット機だった残骸が炎に包まれて浮かんでいる。遠くでサイレンの音が満ちる。パトカーと救急車と消防車の揃い踏みである。海上のほうでは海上保安庁の船まで現れ始めたようだ。
「しかし、あれはもう死んだろう。というか死んでてくれ。あのキルジナ人じゃないんだからよ」
東京湾に浮かびながら炎をあげるプライベートジェットを遠目にしながら、夕夜が零す。
「いや、サイボーグになって復活するかもしれないぞ? ナノマシンでおイタを企んでたんだ。自分にナノマシンを打ち込んでるかもしれないだろ」
キリカがからかうように言う。
「勘弁してくれ。冗談にしては現実味がありすぎる」
夕夜がそう零しながらフンセンと呼ばれていたそれを一瞥する。〈ティーガーシュベルト〉を構築していたパーツは粉々に砕け、それらがフンセンと呼ばれていた肉塊と一緒くたになっている。アレではパーツを回収するより一から復元した方が早い。
「ああいう手合は、絶対に危なっかしい真似を自分ではやらないからな。その心配はないだろう」
村木が返す。
「ゾンビだろうが何だろうが、往生際悪く生きているのであれば、私がこの手で倒します」
「ほう、そいつは頼もしいな。これからもよろしく頼むぜ、名スナイパーさんよ」
村木が月光に照らされた禿頭を撫でながら言う。
美月は東京湾の海上に燃える炎を遠目でぼんやりと見つめていた。その目は人のものに非ざる氷の目だった。
復讐の鬼は、人を喰らう狼は、人を滅する修羅は生まれながらにして人外などではない。
人が怪物を作り出す。
大勢、多数が人を怪生とする。
今宵の美月の所業はまさしく悪鬼と罵られるには十分すぎるものだった。
いち大企業の長であり、国家の運営者の一人を殺した。その過程で無関係な者も大勢殺した。
いや、本当に無関係なのだろうか。我来に故意、不可抗力関わらず我来に与していたのなら、それは美月にとって討つべき敵に他ならなかった。
『一般的で善良な日本人』が美月を怪物に仕立て上げたのだ。
燃える夜闇の東京湾を眼下にしながら美月は薄く笑みを浮かべる。それで自分のことを悪鬼と罵るなら、好きに罵っているがいい、と。
映画やドラマなどで復讐など意味は無い。虚しさが残るだけだなどと吐き気を催すような説法が罷り通っている。あんなもの、嘘だと美月は今夜確信を得た。
今、彼女は爽快感に満ち満ちていた。
たとえそれが一時的なもので、本当は虚無と自己の不確かさを埋め合わせているだけのものだとしても。
だがそれと同時に、あの燃え盛る炎のように、自らの内に籠もる熱はまだ冷えていない。
復讐を終えてもそれが社会的に風化しては意味が無い、不特定多数に、あるいは社会的に記憶が消えない程に深い傷を刻みつけるような復讐を行うからこそ復讐たりえる。
その意味では彼女の復讐は終わっていない。離陸中の旅客機をレールガンで派手にぶち抜いた様は多くの人間が見届けていただろう。だがそれでも足りなかった。美月は喰い足りなかった。まだ殺してない。まだ復讐してない。我来の次は我来を生んだ者達だ。
誰に銃を向ければいいのかは、今のところはわからない。だが銃を置くつもりも無い。
これより先、ずっとシマダに籍を置くかどうかは自分でもわからない。
ならば自分は都合良くシマダを利用するまでだ。羽田が自分を都合良く利用したように。
狂った夜の終わりを告げる海の夜風が、死線に火照った彼女達を撫でる。
村木がラッキーストライクを取り出す。命のやり取りの後の一服はまた格別といったように、紫煙を美味そうに吸う。
「村木さん、俺にも煙草、一本いただけませんか?」
「おうおう、上司に向かって貰い煙草とはいい度胸だな」
その言葉とは裏腹に村木はジッポとラッキーストライクを夕夜に投げて寄越す。夕夜がそれを受け取ると、何の遠慮も無しに一本咥えて火をつける。血と硝煙と疲労の色にまみれた夕夜の顔がジッポの火に照らされる。
紫煙が夜風に流れて、いがらっぽい香りが美月の鼻をつく。いつもは不快としか思えないその匂いが、今ではどことなく安堵感をもたらしてくれた。
「あの……」
おずおずと美月がか細い声で尋ねる。
「うん、どした美月?」
自分も一服、とでもうようにアメリカンスピリットを咥えたキリカが振り向く。
「わたしにも、煙草、一本いただけませんか……?」
きょとんと呆けた表情を浮かべるキリカだが、すぐに品行方正な妹に悪い遊びを教える素行不良の姉のような邪悪な笑みを向けた。
「いけないだぞー、未成年の煙草はよー」
そうは言いながらも、キリカはアメリカンスピリットをハードケースから一本差し出す。美月はそれを受け取り咥えてみた。まだ煙草らしい味も何も感じられない。キリカは自分のジッポを着火すると、美月の咥えたアメリカンスピリットにジッポの火を近づける。だが上手く着火しない。
「軽く吸ってみな」
言われて、軽く吸いながら再び火を近づけると、上手く着火したようで煙草の先端が火に明滅し始める。
だが勢い余って紫煙は肺にまで勢い良く流れ込み、
「うえっ……げほっごほっ……!」
盛大にむせた。
「肺で吸う馬鹿がいるか。口の中で燻らせるんだ」
キリカが苦笑する。
生まれて始めて吸い込んだタールに咳が止まらない。不快感が胸を埋め、頭を揺らし目眩までしてくる。
はっきり言って、
「……まずいです」
「だろうな。煙草なんてまずいもんだ」
「じゃあなんでこんなもの、みんな好き好んで吸ってるんですか……」
キリカは自分も一本咥えると火を着けて、
「……いずれ、吸わなきゃやってらんなくなるさ」
美月が生まれて初めて吐き出した紫煙は、月夜の空、朧の雲間に消えていった。
村木が何やら通信を始めている。その口振りからすると、どうやら後続の後処理のための部隊が到着したようだ。
「ほれ、美月。撤収だとよ」
キリカが手招きをする。
「はい」
言われて美月は立ち上がる。もう一度、煙草に咥える。今度は上手く吸えたようで、口の中で燻らせる紫煙に味を感じた。
不味い。不味いが、不思議と心が安らぐ。
「美月ぃー」
「はい?」
「おつかれさん」
燃え上がる夜空を背に、人喰い鬼はまるで少女のような健やかで可憐な笑みを仲間達に向けた。
時刻は午前零時をとうに過ぎている。
シンデレラにかけられた魔法は既に解かれている。
月に照らされ少女から伸びる影は修羅の姿形をしていた。
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