Final chapter Tower of qliphoth ⑫

 急遽チャーターした自家用機が動き出したところで、我来はようやくひと心地つくことができた。羽田空港の航空ダイヤを大いに乱すこととなったが、知ったことではない。どうとでもなる。

 本社が壊滅しようとも、日本各地にニッタミの支社は国内外にもいくつもある。まずは資産に凍結などの危険などが及ばないように手配した。

 本社の壊滅、そして『懇親会』でVIPが死亡したことによる影響は避けられないだろう。株式も下落する。『勉強会』内での自分の地位も危うい。

 だがそれでも立ち直る術はある。自分の手の中にあるカード、ナノマシンと新型DAEのデータがあれば十分にそれが可能だ。いや、もしくはそれ以上の恩恵も期待できる。清勝館学園などの教育事業は手放さなければならないが、あんなもの我来にとっては数ある踏み台の一つに過ぎなかった。名を変え、体を変えることになるだろうがニッタミの流れを受け継ぐ戦闘プロパイダが我来にとって新たに主となる事業に成り得るだろう。政権の意向に従い、治安維持などの事業を受託すれば、瑕疵のついた自分の経歴も修復することが可能だ。大丈夫だ。自分はまだ立ち直れる。立て直せる。そう言い聞かせていた。

「あの、我来様、お電話です……」

 キャビンアテンダントがおずおずと戸惑いを隠せない表情を浮かべて、通信機を差し出してきた。

 我来は苛立ちを露わにして、「後にしろ」と突き返す。どうせ国内の支社からの連絡だろう。「私は無事だと伝えておけ」と付け加えた。

「それが……國中様とのことですが」

 告げられたその名に驚き、我来は顔を上げる。國中から連想するのは同じ『勉強会』の一員である國中覚、あるいはその父である國中祝。祝は政界を引退した身であるが未だにその影響が強い与党内の重鎮も重鎮だ。覚の方もその息子であるため、無視するわけにはいかなかった。

「貸せ」

 焦りと苛立ちを隠そうともせず、キャビンアテンダントからひったくるように通信機を取り上げる。

「我来です。この度は大変お騒がせして申し訳ありません! この事態の収拾は必ず……!」

 そこで吹き出すような声がした。あざ笑うような笑い声が続く。

『ばーか、引っ掛かってやんのー。國中は國中でも司の方でしたー、ざーんねーん』

 何が起きているのか、少しの間認識することができず、我来は酸欠の金魚のように口をぱくぱくとさせるだけだった。言葉が出ない。

『あろあろー、株式会社ニッタミホールディングス代表、ニッタミグループ総裁、現役参議院議員の我来臓一さまー? 個人チャーター機の乗り心地はいかがかなー?』

 こんな所にまで通信を入れてくるとは。我来は目を見開き、焦りを露わにする。全身に嫌な汗が吹き出た。

『突然の連絡失礼しますー。私、シマダ武装警備の羽田、羽田司と申しますー。またの名を國中司と言います。覚の方から聞いてるでしょ、僕のこと』

 慇懃無礼な自己紹介をする男の名には覚えがあった。シマダ武装警備のトップにして社会衛生省のブラックリストに名を連ねている。國中家の嫡男でありながらも裏切り者。

 どういうわけだ。普通の人間がプライベートジェットの回線など把握しようが無いはず。それをどうやって突き止めた。国内支社から何かしらの手段で手に入れたのか。我来は考えうる可能性に考えを巡らせる。いや、そんな回りくどいことをしては時間がかかる。それに連中はあの悪名高い愚連隊だ。もっと直接的な手段に出る。

 それ以前になぜ自分が高跳びしようとしているのか、連中はどうやって調べたのか。そこでようやく我来は一つの結論に達することができた。 これくらいの芸当、連中なら可能だ。

 それにしたって速すぎる。いや、連中の中にはそれを可能にする者がいる。雪村朝海。ナノマシンユーザー。その身柄を、正確には彼女の脳髄を我来は欲していた。そのために我来は田淵に雪村朝海の身柄の拉致を依頼したのだ。

 その彼女が、今自分に牙を剥いた。その事実が我来を更に苛立たせる。ナノマシンに冒された化け物め……! 人非人の分際で……!

 我来は思わず通信機を投げつけそうになる。それを察知したのか、

『おーっと、待って待って話は最後まで聞いてくださいよ。でないと、どうなっても知りませんよ?』

 羽田が言葉を続けた。

『実は貴方とお話したくてたまらないという人間がいましてね、その者に代わりますね』

 通信先が切り替わるわずかなノイズの後、女の声……正確に言えばまだ少女の声が我来の耳朶を叩いた。

『我来臓一ですね。影山総悟の娘、影山美月と申します。父が大変お世話になったようですね』

 我来臓一の肩に死神が手をかけた。


「忘れたとは言わせない。私はお前が殺した影山総悟の娘、影山美月だ……!」

 ニッタミ本社社屋B棟屋上ヘリポートに、白銀のDAEの姿があった。東京湾の海風が吹きすさび、後頭部から伸びるポニーテールが大きく揺れている。

 美月は東京湾を挟んで羽田空港を見下ろしていた。〈シンデレラアンバー〉のシステムが望遠機能を起動し、美月の視界上に我来が登場しているであろうプライベートジェット機がズームアップされる。

『あの時の子供かっ……!』

「覚えがあるようね。よかった」

 驚きと恐れを孕んだ我来の声だった。

『はっ、今更お前達に何が出来る? 大方まだ社内にいるようだが、そこから空港にまで乗り込むか? そうしている内に私は既に太平洋の上だ! お仲間に航空機をクラッキングしてもらうか? 仮に私を捕まえられたとしても、誰が私を裁けるものか! 司法がか? 政府がか? 国民がか? やれるものならやってみろ! 司法などいくらでも捻じ曲げられる! 社会的制裁を受けさせるか? 無理だな! 逆に私を貶めるようなことを言った人間は逆に私が裁いてやるさ! 私にはその権利がある。私にはそれができる! その力があるのだよ!』

「そうね、お前は司法的にも社会的にも全く裁かれることはない。だからわたしが裁く。我来臓一、お前を死を以て裁く。わたしがお前を殺す。お前は、私が直接手をかけなければ気が済まない」

 美月は淡々とした口調で、自らの権威と権力を誇示してみせる我来を全否定した。静かな声だったが、我来にはそれが決して脅しやブラフなどでは無いように聞こえた。

「例えお前が七十億の人間に聖人として崇められていたとしても、実際にお前がキルジナ人民共和国で何万人もの飢えた子供達を救っていても……」

 これから行うことの宣言、完遂させるということの宣言である。

「お前は、わたしが、殺す」

 そして美月は腰部背面に保持していた大型の銃を手にし、掲げてみせた。これがお前を殺す得物だと見せつけるように、レールガンを掲げてみせた。


『整備不良による離陸直後のエンジン爆発事故。うん、この程度なら僕もシナリオを用意できるよ』

 羽田によるGOサインだ。

『でもいいのかい? あの自家用機に乗っているのは我来だけじゃない。航空機のパイロットやCAもいる。君は無関係な人達を……』

「今更の話でしょう」

 羽田の言葉を美月は遮って断じる。

「それに無関係じゃありません。我来に与するのであれば、どんな人間であってもわたしの敵です」

 夕夜は傍で片膝を着いてレールガンを構えた美月を見遣ると、腰部背面の充電用ケーブルを伸ばすと美月の方へと放った。美月はそのケーブルを受け取ると、レールガンへと接続した。その次に、羽田空港の方向を遠目に見遣った。真っ直ぐに伸びる格好路灯火が見える。AIによってズームインされる。滑走路の前では離陸許可を待つ大型旅客機の前に割り込む小型チャーター機の姿が見えた。おそらく、それに我来が搭乗しているのだろう。順番も守らず割り込みとは、とんだ不届き者だと胸の内で吐き捨てた。

 美月の視界上にレールガンの情報が網膜投影される。雪梅がレールガンを未完成品と注意した理由が羅列されていく。まず、レールガンに内蔵された弾(プロジェクタイル)は三発分であるにも関わらず、発射するための電力エネルギー内蔵量は一発半分だった。足らない上に中途半端。おそらく雪梅は美月達が出発するギリギリまで充電していたのだろうが、結局間に合わずじまいだったということなのだろう。

 そのため今ここで二発目を撃つためには、DAE本体からの給電を必要とした。だが既に〈シンデレラアンバー〉は背部オプションのサブバッテリーで稼働している状態だ。レールガンの照準演算にもエネルギーを必要とするため、〈黒瞥〉からエネルギーを貰うことにしたのだ。

 美月は羽田空港方面にレールガンを向ける。先程と同じように銃身が変形し、獰猛な肉食動物が牙を剥いたような形となる。

 狙撃距離は十数キロに及ぶ。しかもターゲットは空へ飛び立たんと高速で移動している。通常の携行火器では狙撃は到底不可能だ。

 だがレールガンであれば、そして〈シンデレラアンバー〉の演算と美月の才覚が合わされた、それは不可能な話ではなくなる。

 夕夜はフェイスカバーを開放する。自分の仕事はこれで終わった。美月は失敗することは無い。そう確信できるだけの信頼が彼にはあった。

 というわけで、一足お先に一服させてもらおうと、サイドスカートの多目的スペースに手を伸ばし煙草を取ろうとしたその時、

「くそっ、まだいやがったか!」

「先輩っ!」

〈シンデレラアンバー〉と〈黒瞥〉のシステムがアラートを表示。夕夜が背後を振り返る。視線の先にはまだ何もないが、網膜には敵の接近を伝えるアラートが投影された。

 みしり、みしりという微かだが重い足音が、聴覚センサーに届く。

 夕夜から見て、ヘリポートの縁から焼けただれた頭が見える。やがてその全身が姿を表す。

「ありゃあもうゾンビなんかじゃねえ……ターミネーターか何かかよ……!」

 そしてアラートの発生源が姿を現した。〈ティーガーシュベルト〉を纏った怪物。頭部をズタズタに引き裂かれ、そして穴だらけになりながらも、なお怨敵を追う怪物の唯一形を残している右目が夕夜を睨めつけた。

〈ティーガーシュベルト〉のシステムは完全に死んでいることが網膜投影で表示される。完全にデッドウェイトと化した鎧を引きずりながらゆっくりと歩み寄ってくるその様は、さながら本当にゾンビのようでもあった。

 夕夜はフンセンの方へ踏み出し対峙する。首元の緊急脱着ボタンを強く押し込むと、DAEのそこかしこに設えられたボルトが小さく炸裂した。力を喪ったDAEが抜け殻のように夕夜の身から外されていく。黒いスキンスーツ姿になった夕夜は脱いだ〈黒瞥〉の武装からファイアボールを一挺取り出す。

「先輩……」

 美月は首を巡らし、心配と不安の目を夕夜に向ける。

「お前は我来の狙撃に集中しろ! この化け物は俺が相手する!」 

『夕夜のアホ! しっかりトドメ刺さねえからだ!』状況を認識しこちらに向かっているであろうキリカからの通信。

「至近距離でマガジン一本分ぶち込まれて、まだ立ち上がる化け物がいたら教えてくれよ!」

『……すまん、そりゃ無理な話だわな』

 確かにあの時に呼吸は止まっていた。〈黒瞥〉のシステムも死亡と判断した。だがこうやって満身創痍ながらもフンセンは立っている。

「顔ふっ飛ばされたら死ぬのが礼儀だろうがよ。それともアレか、キルジナ人はなんか儀式でもしないと黄泉帰る性質でもあんのかよ」

 夕夜は軽口を叩くが、その表情は目の前に立ちふさがる受け入れ難い現実に苦悶の色と脂汗を浮かべている

「〈カラード〉、レールガンのチャージは」

『残り三十秒です』

 守口が答える。

「応援がくるまでは」

『およそ三十秒です』

 その返答の声もどこか苦々しいものが含まれていた。

「今まで生きてきた中で一番長い三十秒になりそうだ。おっかなくて泣きたくなってくる」

 夕夜は溜息と共に、ファイアボールをフンセンに向けた。

「おい影山、帰ったらなんか飯奢れ。焼き肉な」

 そう言って夕夜はファイアボールのトリガーを引いた。五十口径のAE弾が〈ティーガーシュベルト〉の装甲に食い込む。通電されていない人工筋肉では防御力を得ることはできない。

 ファイアボールは元々デザートイーグルの思想を下地としており、さらに〈黒瞥〉装着を前提とした作りとなっている。重量も生身の人間が持つには辛く、五十口径のAE弾を吐き出すハンドガンなどとても片手打ちなど出来る代物では無い。一発トリガーを引く毎に貫くような衝撃が夕夜の腕全体を襲う。疲労の蓄積が限界にまで達した現状ではマズルジャンプに腕をもっていかれ連射もできなければ、重量に振り回され照準も定まらない。更に悪いことに、フンセンはその五十口径AE弾を正面から喰らっても、仰け反り足を止めるだけで致命にはなっていないようだった。

 仰け反らせて足が止まるだけ、まだマシか。夕夜は乾ききった唇を舐める。

「おらおら、こっちだ! キルジナのクソ土人!」

 夕夜は横方向に旋回し始め、美月から距離を話していく。フンセンもそれを追うように歩みを進めた。

 幸い、最早自我の意識さえ喪失したようなフンセンではあったが、目の前に現れた夕夜を文字通り死んでも許さない敵と認識しているようで、レールガンを構えている美月には目もくれていなかった。

 じりじりと夕夜とフンセンの距離が詰まる。ある程度の距離が縮まったところでフンセンは突進を開始した。ファイアボールによる迎撃もデッドウェイトになった〈ティーガーシュベルト〉の重量もものともせず、夕夜めがけ殺意をぶつけていく。果たしてその殺意はフンセン自身から湧き出る殺意なのか、それともナノマシンによってプログラムされたものなのか。

 夕夜、横方向に転がり突進を回避。だが追撃が襲いかかる。アッパーとも言えない、乱暴な拳の振り上げに殴り飛ばされた。よろめく夕夜にラリアットとも言えない、振り回される腕が直撃した。ついに夕夜が地面にダウンするとフンセンはその上に組み伏せた。

「いい加減、くたばれこの野郎っ!!」

 ファイアボールのマズルブレードを唯一残った右目に突き刺し、抉り回す。フンセンは痛みに絶叫するが、夕夜から離れようとはしない。だがそれにも限界が来たのか、組み伏せていた夕夜を掴み上げ、投げ飛ばした。

 受け身も取れず、激しく地面に身を打ち付ける夕夜。その拍子に夕夜はファイアボールを取り落としてしまっていた。

「おい影山! 焼き肉だけじゃ済まさねえからな!」

 夕夜が切れた口腔とともに吐き捨てる。

 スキンスーツそのものも〈黒瞥〉に用いられている特殊人工筋肉製であるため防御力はあるが、それでも無いよりマシという程度である。

 フンセンが前かがみに突進してくる。鈍重な肉食恐竜のような体勢だった。夕夜はその好機を逃さない。カウンターで爛れた頭部に膝を突き刺した。激痛に悶えるフンセン。だが拳を振り上げ反撃する。夕夜は身構えながら回避。砲撃のような一撃が掠める。

「発展途上国のクズは往生際も悪いのかよ! あぁ!?」

 夕夜が日本語で挑発するように喚き立てる。口にする言語を英語に切り替える余裕も無かった。

 残り少ない集中力と体力を総動員して、フンセンの大木のように振り回される腕を、砲撃のようなパンチを回避していく。もう夕夜の方にも精神的な余裕というものが尽きていた。

《レールガン、チャージコンプリート。トリガーセイフティ解除》

 その言葉を美月は待ち焦がれていた。

 照準補正、弾道計算、全ての演算は既に完了している。

 美月は何ら躊躇もなく、レールガンのトリガーを引いた。

 ニッタミ本社ビルを落雷の如き衝撃が再び襲うと、電磁投射された初速マッハ超えの弾(プロジェクタイル)が放たれた。

 我来臓一を、そして奴を永田町の席に座らせ続けたこの国の人間全てに対する裁きの雷槌。稲妻を纏った流星は二度、大田区の夜空に瞬いた。

〈シンデレラアンバー〉の全ての演算能力を以てしてロックオンされたレールガンは寸分の狂いも無く、離陸中の我来の旅客機を貫いた。

 羽田沖に花火が打ち上げられた。

 羽田の夜空に咲いた炎の花弁はひらひらと舞い降りると、東京湾に着水した。旅客機の腹に抱え込んでいた燃料によって海水の上でも炎の勢いは増していく。

 時刻は午前零時。月の夜。黒く蠢く東京湾に焔が踊った。

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