第4話 告白

 地縛霊の志桜里しおりさんとの同居生活が始まってもう3週間になる。

 重い荷物の重心を掴んだ僕は海鈴みすずさんに負けず劣らずのスピードで仕事をこなし、自信がついてきた。初めはフォローされてばかりだったけど、最近では海鈴さんが困っている時に手を差し伸べることもあって、なんだか良い感じだ。

 

「俺が思うにさ、たぶん海鈴さんには彼氏がいないんだよね。噂は噂だったんだ」

「どうしたの急に?」

「だってさ、俺はほぼ毎日バイトしてるわけじゃん。で、その時は海鈴さんも一緒なの。鬼のようにシフト入れてるの。彼氏がいたら絶対遊びに行ってるって!」

「うーん。ただお金を貯めてるだけなんじゃ……」


 俺だって最初はその可能性しか考慮しなかった。しかし! 海鈴さんの俺に対する態度は日に日に親密なものになっている。当初は休みだった日も、俺のシフトに合わせて追加してるくらいだし。きっと俺と一緒に居たいに違いない。


「志桜里さん。俺、海鈴さんに告白するよ」

「……そう」

「え? そこは応援してくれないの?」

「あー、いやいや。弟に彼女ができる姉の気持ちってこんな感じなのかなーなんて思っただけ」

「志桜里さんって兄弟いるんですか?」

「いや、一人っ子だよ。こうして高校生の男の子と同居してるといろんな感情が湧き上がってくるんだ」


 俺も地縛霊がこんなに無害とは知らなかった。この3週間、事故物件サイトに書かれていたような超常現象も特に起こらなかったし、実に平和な夏休みだ。


「ねえ、九曜くようくん。私で告白の練習してみない?」

「練習……ですか?」

「あまり慣れてると軽い男と思われるかもしれないが、何の練習もなしに本命の告白というのも不安だろう? いろんなパターンで振ってメンタルを鍛えてあげる」


 二ヒヒと笑う志桜里さんは俺の恋愛に協力するというより、ただ単に俺を振って遊びたいだけに見えた。でも、志桜里さんの言うことも一理ある。一人暮らしまで始めたこの夏休み、最後の最後で失敗するわけにはいかない。


「それじゃあ志桜里さん。お願いします」

「任せない。どんな告白も全力で振ってあげる」

「なんで振る前提なんですか! 心に刺さったらOKしてくださいよ」

「……本当に……いいの?」

「え?」

 

 今までのふざけた雰囲気から一転、志桜里さんの表情が急に真面目なものになる。


「私、本気で九曜くんを好きになってもいいの?」

「そ、それは……」


 すぐさま否定できない自分がいた。俺が好きになったのは海鈴さん。のはずだ。最初は彼氏がいるからと諦めてたけど、その可能性が薄れて好きになって……。

 俺の『好き』って何なんだろう。バイト先が一緒になった可愛い子に彼氏が居ないから好きになるって、本当に俺は海鈴さんのことが好きなんだろうか。


「なーんて、ウソウソ! ダメだよ? あの場面では『俺は海鈴さんが好きなんです』って即答しないと」

「あ……そ、そうですよね。アハハ。やっぱり俺、告白の心構えができてなかったみたいです」

「まだバイトは一週間あるんだ。告白するなら最終日にしたらどうだい? 万が一の時も、気まずくならないだろう?」

「そうですね。そうします」


 一時のテンションで残りのバイト生活を棒に振るところだった。もし志桜里さんがいなかったらどうなっていたことか。


「いろいろアドバイスありがとうございます。明日も早いので、おやすみなさい」

「ああ、おやすみ」


***


告白の方法を考えながら海鈴さんと過ごすバイトの時間はあっと言う間で、気付けば最終日前日を迎えていた。


「志桜里さん、一か月間お世話になりました」

「なんだい急に? ああ、明日の朝には荷物をまとめて実家に戻るんだっけ?」

「はい。先にここを片付けて、それから最後のバイトです」

「そしていよいよ告白をする。と」


 初めはどうなるか不安でいっぱいだった一人暮らしも、志桜里さんという地縛霊がいたお陰で寂しさを感じることなく今日まで来れた。

 一度も実家に帰らなかったので両親は毎日メッセージを送ってくるけど、おかげさまで元気です。


「地縛霊がいた時はどうなるかと思いましたけど、志桜里さんが良い地縛霊で良かったです」

「私も久しぶりに人と話せて楽しかったよ。それも恋に悩める男子高校生とね」

「本当に一人で生活してたら、バイトも海鈴さんも諦めてたかもしれません。ありがとうございました」

「おいおい。礼を言うのはまだ早いんじゃないかい? ちゃんと告白を成功させないとだろ?」

「それもそうですね。ただ、告白が終わる頃には部屋の鍵も返してしまっているので……」


 良い結果か悪い結果になるかはわからない。でも、明日の午前で賃貸契約が切れる以上、バイトが終わったあとの告白結果を志桜里さんに伝えることはできない。もし僕が未練を残すとしたら、これなのかもしれない。


「構わないよ。キミはこれからを生きていくんだ。私みたいな幽霊に気を遣う必要はない」

「でも、俺の告白結果を知れないことが未練になって、さらに地縛霊としてのレベルが上がったりしたら……」

「あはは! こうして縛られるのはあくまで死んだ時の未練だよ。告白の件は関係ないから気にしなくていい」


 志桜里さんの言うことが真実かどうか確かめる術はないけど、それでも少しだけ肩の荷が下りた気がする。


「ところで、告白の練習はどうする? 一度くらいはやっておかない?」

「……そうですね。お願いします」

「ふふふ。コテンパンに振るのが楽しみだ」


 志桜里さんはとても楽しそうだ。たった一か月だけど、こうして毎晩、志桜里さんと話すのは楽しかったな。姉にはいつもイジめられてるという話をよく聞くけど、志桜里さんみたいな姉がいたら、毎日がこんな風に楽しかったのかもしれない。

 いや、実際に家族だったらウザいのかな。ウザそうだ。


「それじゃあ志桜里さん。お願いします」

「いつでもいいよ」


 シャツのすそを直し、しっかりと志桜里さんの目を見つめる。


「初めて会った時はビックリしました。でも、悪い霊じゃないのは直感したんです。根拠はないけど。年上でウザ絡みしてくるし、落ち着いてアレもできないし……でも、志桜里さんがいたから、一か月楽しく過ごせました。こういう出会いじゃなければ好きになってたと思います。でも、こういう出会いじゃなければ、志桜里さんと関わることもなかったと思います。ありがとうございました」


 告白の練習なんかじゃない。志桜里さんへの素直な気持ちをぶつけた。だって、今夜が最後だから。もう一度部屋を借りたら会える保証はどこにもない。今、目の前にいるチャンスを逃してはいけないと思った。


「そんな風に言われたら、私、九曜くんを好きになっちゃうよ?」

「コテンパンに俺を振るんじゃなかったんですか?」

「うぅ……イジわる。好きになるんじゃなくて、もう好きになってるの」

「…………」


 志桜里さんからの告白に俺は何も言えなかった。ある意味では両想いだ。だけど、人間と幽霊、超えられない壁がある。夏休みの初めに妄想した可愛い幽霊とのワンチャン。だけど実際には大きな障害がそこにはある。


「……ごめんなさい」

「よし! それでいいよ! これで九曜くんは海鈴ちゃんに思い切り告白できるね。ダメだよ? 女子大生のお姉さんに憧れを抱いたまま告白したら。告白の時点で浮気とか最低の男じゃん」

「は、ははは。そうですね。おかげで綺麗な体で告白できます」

「うん。本当に良かった。私を見つけてくれたのが九曜くんで」

「やたら褒められると気持ち悪いです」

「むぅー! 最後のお褒めの言葉なんだからありがたく受け止めなさい」


***


 翌朝、最後の朝食を取り、彼はまとめておいた荷物を持って部屋を出る。


「志桜里さん。改めてありがとうございました」

「こちらこそありがとう。告白、頑張ってね」

「はい。それでは、いってきます」

「いってらっしゃい」


 もうこの部屋に戻ることはないのに、30回も繰り返していると自然とこうなってしまう。


昨日、私は失恋した。ずっと前にできなかった、ちゃんとした失恋。

もしかしたら彼氏は浮気じゃなくて、たまたま他の女と歩いていただけかもしれない。そんな未練が私をこのアパートに縛り付けた。

あの時の真実はもうわからない。だから、私はちゃんと振られたかった。

悲しいけど、心の中にあるモヤモヤはスッキリと晴れていく。




 数年後、事故物件として有名だったこのアパートは汚名を返上し、恋愛成就のアパートとして有名になるのだった。

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