♦♦ 6 ♦♦ 残酷な世界に、さようなら


◇◇◇



 真っ黒な世界から、次に訪れたのは、真っ白な世界だった。


 ぼんやりと双眸を開けば、白い天上と白いカーテンと、規則的に刻まれる機械音と、6時43分を指した時計の針がみえた。


(ここ……どこ?)


 身体が重い。痛いし、首もうまく動かない。それでも、ゆっくりと視線だけを動かすと、私を見下ろす母と目が合った。


杏菜アンナ!!」


 名前を呼ばれて、目を見開く。


 みれば、母の顔はひどく疲れ切った顔をしていて、私と目が合うなり、その瞳からはボロボロと涙を流し始めた。


「あぁぁぁぁぁ、うぅ……ッ、杏菜ッ、アンナぁぁ……ッ」


 泣きじゃくって、身動きの取れない私に覆い被さるようにして抱きしめてくる母をみて、困惑する。


 何が起こっているのか分からなかった。


 だけど、少しだけ動揺して、ふと視線をそらせば、そこには滅多に泣かない父が顔をぐしゃぐしゃ濡らして立っていた。


(ぁ……私……っ)


 その両親の泣き顔を見て、不意に思い出した。家の近くにある三階建ての廃ビル。そこから、私は


 ――――飛び降りたんだ。



「うぅぅ、杏菜っあぁぁぁあ」


 母の泣き声を聞いて、あの時のことを鮮明に思い出した。


 ただ、ふらふらと屋上にいった。

 ここから飛び降りたら『楽』になれると思った。


 でも――


(こんなに心配かけるなんて……思ってなかった……っ)


 母と父の姿を見て、不意にハルカのことを思い出して、涙がたまらずにあふれてきた。


 母の目には深いクマが出来ていて、きっと数日眠らずに私の側に付き添っていたんだと思った。飛び降りた後、家族がどうなるかなんて、なにも考えてなかった。


 ただ、自分の事しか考えられなくて―――


『アンナはただ、逃げたかっただけだ』


(そうだ、私は……逃げたかっただけ……っ)


 この世界から、あの現実から。

 ただ、逃げたかっただけ。


 すると、その瞬間、またハルカの言葉を思い出した。


 「ちゃんと伝えるんだよ」っていって、私を、この世界に送り返してくれた


 ハルカの言葉――




「ッ……お……母さん、ぉ……とぅ……さ、……っ」


 涙でいっぱいになった顔で、必死に声を震わせた。


「私……私ね、いじめ……られてるの……もう、もぅ、学校…………行きたくなぃ……ッ」


 叫んで、泣きじゃくって、必死に気持ちを伝えた。


 逃げたい。もう嫌だ。


 助けて、助けて、助けて―――




「……っ」


 すると、その瞬間。


 目を閉じた視界の奥で、ハルカが笑って褒めてくれた気がした。










 

 ◇◇◇





「行ってきまーす!」


 それから一年がたって、私の環境は目まぐるしく変わった。


 体に多少の傷や後遺症は残ったけど、いじめられていた中学校を転校して、また別の町にやってきてからは、友達も出来て、それなりに穏やかな日々を過ごしていた。


 なにげない休日――


 私は本屋によって、ノートと好きな漫画と、あの日ハルカにけなされた小説の最新刊を買って、小高い丘の上にある公園のベンチに腰かけた。


 空を見上げれば虹がかかていた。それは、あの絵本の世界で見たような、大きくて綺麗な虹で、その瞬間、私は思いだす。


春架ハルカ……」


 ぼそりと呟いて、目を閉じた。


 これは、あのあと母に聞いた話だけど、遠い昔、まだ母のお腹の中にいたころ、どうやら私は


 ――”双子”だったらしい。


 二卵性の女の子と男の子。そんな私たちに両親は『杏菜あんな』と『春架はるか』と名付けようとしていたんだって。


 だけど、男の子の方は、産声を上げることは出来ず、泣かずに亡くなった赤ちゃんは、その後、戸籍を与えられず、結局、名前を付けてあげられなかったって母は言っていた。


「春架が欲しかったものは、"家族"だったのかな?」


 だから、ずっと私を待っていたのかな?


 母が胎教として読み聞かせていた、あの絵本。お腹の中で、身を寄せ合って二人で聞いていた、あの"優しい世界"をつくりだして。


 春架が欲しかったのは、"自分の名前"と、それを呼んでくれる"家族"で、6時44分、私が死んで、あの懐中時計が止まってしまえば、手に入るはずだったんだよね?


 だけど――


『こんな形で来てほしくなかった』


 そのハルカの言葉を思い出して、目に涙が浮かんだ。


 あの日、私は、この”残酷な世界”と、をした。


 この世界に、生まれることができなかった春架は、自ら命を絶った私をみて、何を思ったんだろう。


『次、アンナがここに来る時は──』


 ──アンナが、”おばあちゃん”になっていたら、いいな?


 それはハルカが、私に最後に言った言葉だった。


 おばあちゃんになるまで、生きてと。


 だけど……


「私が、おばあちゃんになるまで、待ってるつもりなの?」


 なんて、気の遠くなる話だろう。


 今、14歳。おばあちゃんになるまで、あと何十年あるかな?


 その間、春架はずっと一人で待っているの?

 

 寂しくない?

 辛くはない?


 本当は一人になりたくなかったよね?

 ずっと一緒にいたかったんだよね?


 それなのに春架は、また一人になるのを覚悟して、私をこの世界に帰してくれた。


 どんなに辛くても

 そんなに苦しくても


 私が帰りたいと願った、この残酷な世界に――――



「春架……生きるよ、私」


 遥か彼方、空を見上げて、私は呟く。


「でもね……アレは、本当だったんだよ」


 あの時、春架の問いかけに「もちろん」と答えたのは、一緒にいたいと思ったのは、嘘じゃなかったんだよ?


「会いたいな……春架に」


 空を見あげれば、どこからかシャボン玉が飛んできた。ふわりふわりと、遊ぶようなシャボン玉。




 ねぇ、春架──


 もし、聞いているなら

 

 今度は、双子じゃなくていい。

 姉弟じゃなくていい。


 私が、”おばあちゃん”になるまで、待っていなくていいから


 早く、あの”三途にじいろの川”を渡って、生まれ変わっておいでよ。


 そしたら、今度は──



「私まだ、春架ハルカの考えた小説、読んでないよ……」




 今度は──


 この”残酷な世界”で







 ”夢”のある話をしよう―――





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絵本の中のヤンデレ男子は、私のことを逃がす気がない。 雪桜 @yukizakuraxxx

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