♦♦ 5 ♦♦ 間違いだらけの、絵本の世界

「僕と一緒にいたくないんだね」


 キレイに笑って、そう言ったハルカは、今までのハルカとは少し違って見えた。強く握られた手から、底知れない不安が押し寄せてくる。


 ―――痛い。怖い。


(ぁ……髪の色)


 その瞬間、ハルカの黒い髪を見て、初めて会った時の違和感を思い出した。思い起こせば、あの絵本の中の男の子は、確かにをしていた。


 すると、そこから一気に絵本と違う箇所を思い出す。


 お菓子の家は、中まで全てお菓子で出来ていたし、ガラスのお城には恐ろしい魔女がいるはずだった。


 虹色の川だって渡れた。シャボン玉の鳥なんて、いなかった。願えば、なんでも出てくる魔法だって、男の子も主人公も二人とも使えなかった。


 じゃぁ、この世界は―――?


「アンナ」

「――ッ」


 手により一層力がこもって、私は肩を震わせた。ゆっくりと視線を上げれば、またハルカと目が合った。


「なんで……?」


「え?」


「なんで、なんで、なんで!? なんで、あんな世界のことまだ考えてるの!? あんな残酷な世界の何がいいの!? 忘れてよアンナ、この世界最高でしょ!? 何が嫌?何が不満なの!?お願い行かないで、ずっと僕と一緒にいて!!あと、44分なんだ!アンナの!!お願い、お願い、僕と一緒にいて!僕とあの川を渡って、今度こそ一緒に生まれ変わろうよ!!」

「ひ―――ッ」


 瞬間、私は弾かれたようにハルカの手を振り払った。鬼気迫るハルカの姿に、ガクガクを身体が震える。


 命? 生まれ変わる? 

 何、言ってるの?


「そう──」


 するとハルカが、また小さく呟いた。

 振り払われた手を見つめると


「これが……アンナの”答え”なんだね」


 そういったハルカは、どこか



 ―――泣きそうな顔をしていた。



「ハ、ルカ……?」


「じゃぁ……」


「え?」


「じゃぁ、急がなきゃ……っ」


 そう言って、苦々しげに、取り出した懐中時計を見つめたハルカは、また私に、手を差し出してきた。


「……アンナ、おいで」


「……っ」


 差し出された手を見つめて、私は困惑する。


 何がなんだか分からなかった。


 この手を取っていいのか、いけないのか、それすらも分からなくて、恐怖と不安で、涙でいっぱいになる。


 ハルカは、あの絵本の男の子じゃない。

 じゃぁ──


「あなたは……だれ、なの?」

「……」


 涙ながらに問いかける。だけど、ハルカはそれに答えることはなく


「アンナ、僕を信じて……もう、時間がない……っ」


そう言ってまた、手を差し出してくる。


「っ……ぅ……信じる、って……っ」


「早く行かなきゃ」


「行くって、どこに……っ」


「────”扉”が、あるところ」


 そう言ったハルカは、いつものように優しく笑っていて、私は自然と、その手を取ってしまった。






 ◆◇◆




 その扉は、深い深い森の中にあった。


 今にも狼が出そうな不気味な森の中。そこにあの絵本と同じ古びた木製の扉があって、ハルカは私の手を引いて、その扉の前に連れていく。


 だけど


「おや、”名無しのボウヤ”じゃないかぃ」

「「!?」」


 森の大きな木の上から、声が聞こえた。

 真っ黒なローブを着た半透明の”何か”が、ハルカを見て語りかける。


「まさか、帰しちまうのかぃ、その子?」


 その幽霊みたいな生き物は、私達の前まで来ると、ゆらゆらと揺れながら


「あと3分。あと3分~♪ 6時44分まで、あと3分~♪ その時計が止まったら~欲しいものは君のもの~♪」


「何、あれ……っ」


「ゴーストだよ。この扉の門番」


 門番と言ったそれは、扉の鍵らしきものをクルクルと回しながら、顔のない顔面で目を見開く。


「ボウヤは、この子が来るのを、ずっと待ってたんだろう?」


「あぁ、待ってたよ。ずっとずっと何年も、……でも、


 そう言ったハルカは、とても苦しそうな表情を浮かべていた。


「どんな形でもぃいじゃなぃか、その子が望んだことさ」


「違う。アンナは望んでない。アンナは、ただ、逃げたかっただけだ……っ」


「……ハルカ、なに言ってるの?」


 意味が分からなかった。


 だけど、ハルカは私の背を押すと、その門番を見つめて


「鍵を開けて、アンナをあっちの世界に帰す」


「ぁ~あ~やっと来たのにぃ~。ボウヤにあの川を渡ってほしいのにぃ~」


「うるさいよ、早く開けて!」


「はぃはぃ。お嬢さん、お嬢さん。帰りたいなら早くしな。後に2分だ」


「アンナ、急いで……!」


「ま、まって! ハルカも一緒にッ」


「ゴメン。僕は──行けない」


 そう言ったハルカは悲しそうに笑って、その後また、私の手を優しく握りしめてきた。


「アンナ、ありがとう。僕に名前を付けてくれて。短い間だったけど、欲しかったものが手に入った。お父さんとお母さんによろしくね。戻ったら、ちゃんと伝えるんだよ」


「伝えるって……何を?」


「自分の気持ち」


「自分の……?」


「うん。我慢しないで伝えて。苦しむ必要はない。耐える必要はない。逃げる方法なら他にいくらだってある。だからもう二度と──選ばないで……!」


「きゃ――――ッ!?」


 瞬間、ハルカが扉をあけた。


 深い深い闇の中、ハルカが強引に私を押しだし手を離せば、私の身体は吸い込まれるように、闇の中に落ちていく。


「ハルカ――—ッ!!」


 叫ぶ声と同時に手を伸ばした。だけど、そんな私にハルカは


「またね、アンナ。次アンナがここに来る時は―――」






「――――――え?」


 その言葉を最後に、私が目にしたハルカは


 扉の奥で、泣きながら



 笑っていた。












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