第6話 多分正解じゃない

             *           *


 まだ可能性の段階でしかないこともあり、沢松雪子は単身で大学を訪れた。厳密には門の外で待っていた。目当ての学生が出て来たのは、三十分ほど経った頃。大勢の人が行き交っていたが、見付けるのは容易かった。

「野庭衣恋さん? ちょっとお話いいかしら」

「はい?」

 声を掛けると、長袖姿の彼女は振り向き、目を何度かしばたたかせた。隣を歩く男子学生は連れらしく、同じように顔を向けていた。

「すみません。こういう者です」

 警察官であること示す。相手の様子を窺ったが、「え、何で警察の人が」というよくある反応しか見られなかった。

「何の用なんですか」

 男子学生の方が、やや色めきだって言った。気付くと沢松と野庭の間に立っている。

「少しお話をさせてもらいたいの。十年近く前のことになるわ」

 再度、反応を窺う沢松。野庭は顎先に右手の人差し指を当て、思い起こす風に斜め上へと視線を彷徨わせた。

「小学生の頃?」

「そう。心当たりがあるのでは」

「……同級生だった子が、何人か続けて亡くなっていますけど」

「そのこと」

 沢松は野庭を指差し、男子学生の方には目を向けた。

「そんな訳で彼女をお借りします。同席は認められませんので、あしからず」

「あ、あの、どこで。終わったら迎えに行きたいのですが」

「彼女の希望する場所で。あまりお金は使えないから、できれば大学に戻るのが」

「分かりました」

 野庭は承知し、きびすを返すと門の方へ歩き出した。沢松が続き、男子学生は若干の距離を取って着いてきた。


「これが文芸部? 意外と本が少ないのね」

「休部状態のが復活して、まだ一年ぐらいだから。それよりもお話を」

 文芸部部室に行くと聞かされた沢松は、まず「他の部員が来ることは?」と聞いた。あり得るとの答に少し困ったが、堅苦しい空気を醸し出すのは賢明でないと考え、譲歩した。

「先に聞いておきたいのだけれど、あの男子は?」

「関係あるんですか」

「いえ。そうね、小学生の頃からの知り合いかどうかだけ教えて頂戴」

「彼とは高校で知り合いました」

「ならいいわ。私の目的はさっきあなたが言った通り、小学校のときの同級生達が亡くなっている件。野庭さんは小学五、六年生時にニックネームはあった?」

「え? 特には。『いこい』とだけ」

 不意の質問に、野庭は一瞬の戸惑いの後、昔を懐かしむように微笑んだ。

「それは平仮名だった?」

「呼ばれただけだから……あ、ノートや手紙には、平仮名で書いたり書かれたりしていたっけ」

「ありがとう。ところで、同級生だった男の子が小学生のときに亡くなっているわよね」

「はい」

 刑事が現れた時点でとうに思い起こしていたのか、返事が早い。

「以手井漣君。仲がよかったとか」

「男子の中では。『いてい』と『いこい』で似ていたし」

「そっか。なるほど。彼が亡くなったときは悲しかった?」

「答えるまでもありません。刑事さん、早く本題に入ってください」

「じゃ、遠慮なく。最近殺された同級生だった人達って、以手井君をいじめていた噂があるのだけれど、どう?」

「そうみたいですね」

 野庭が教育実習生の話を口にしないか、沢松は待ってみた。が、空振りだった。切り替えて、直球で行く。

「以手井君の復讐で殺しているとしたら、犯人は思い浮かぶ?」

「……強いて挙げると上総君。以手井君と仲よかった。いじめられるようになってからは、離れてしまったけれど」

「他には」

「誰も」

「……高二から身体を鍛え始めたんですってね」

「私ですか。はい」

 自然な流れで、袖をまくって力こぶを見せる野庭。

「長袖はその逞しい腕を隠すためか」

「初対面でひく人もいるので」

「特にスポーツをやってこなかったあなたが、何で筋肉を付けようと」

「護身術代わりです」

 沢松は徐々に焦りを覚え始めた。この子は本当に全くの無関係か、あるいは完璧に対策している。予定と違うが、現時点での切り札を切った。

「実は、五番目の事件の被害者である加藤さんが、壁に文字を書き残していたの」

 写真を見せる。縦書きでSNSと読めるあれだ。

「最初はSNSと思ったけど違ったみたい。被害者は後ろ手に拘束され、しかも床に横たえさせられていた。その姿勢でSNSと書いてもNZNっぽい字になる。では何を書こうとすれば、SNSになるのか。試行錯誤の結果、被害者が字のうまさを自慢していたことを思い出したわ。被害者と同じ姿勢で、英語の筆記体っぽく『いこい』と横書きで書くと、縦書きのSNSになった。“い”の向かって左下の跳ねが右上に続いてる形は、Sを九十度右に傾けた形になるし、“こ”の上の右端から下の左端に続いてる形は、Nを九十度右に傾けた形になる」

「――」

 さすがに意表を突かれたのか、それとも単なるこじつけにばかばかしくなったか。野庭は目をぱちぱちさせるのみで、特に発言しない。

「あなたを示したものではと思い、話を聞きに来たの」

「認否に関わらず、私を連行するんですか」

「今はないわ。でもあなたが少し前に小学校を訪ねてたのも気になったし、同級生に連絡を入れて年賀状を見せてもらった話も聞き込んだ。実習生の星野と年賀状のやり取りがあったってね、その子」

 できればここで攻めきりたい。沢松はありったけの武器を駆使した。

「もしも何か知っているのだったら教えて。被害者をこれ以上出したくない」

 訴えた沢松の前で、野庭は壁時計を一瞥。そして告げた。

「手遅れかもしれません」

 野庭の言葉の意味が分かるのは十五分ほどあとだった。

 都内のマンションで、若い男が腹部を刺された上、非常階段の踊り場から転落して重体。男の部屋では五十代と思しき男性が自らの首を刺して同じく重体に陥っているという。各人の名は上総澄夫と田町聡だった。


 言い逃れする余地はあったはずだが、野庭は素直に認めた。上総を田町が殺害する間に、野庭は大学で講義を受けてアリバイ確保する計画だった。

 他の殺人についても概ね認めている。

 犯行に走ったきっかけは、高校生になってから始めたパソコン通信にあった。ある大手パソコン通信の文芸コミュニティを通じて知り合ったユーザーの一人が、オフ会で会ってみるとかつての担任だったという偶然から。

 担当刑事の一人から「高校生で大人に混じって飲み会か」と非難気味に問われた野庭は、「お酒は飲んでません。オフ会いに行くと、大の大人の人がびっくりするのも楽しかった。こんな女子高生があんな老成した文章を書くのかって」と懐かしげに答えた。

 お互い、相手の顔がよく見えていなくても、何故か安心してつながれる世界がパソコン通信にはあるのかもしれない。

 田町とはその後、直接会ったり、パソコン通信上のチャットを通して語り合ったりしたらしい。田町の意識はまだ戻らないが、目覚めたらまた悔いるだろうか。元教え子を止められず、加担までしたことを。

「もし仮にだけど」

 沢松は事情聴取を受け持った際、聞いてみたことがある。

「最初に立てた計画通りにみんなに復讐したら、そのあとはどうする気だった?」

「うん。半分は、死のうと思ってた。上総君を殺すんだったら、私も立場は同じだから。以手井君に一番近かった女子。名前のことで、私もからかわれたりいじめられたりしたことがあった。『いこい』って珍しい方でしょ。その上、外国では名前が先に来るというのを教わってからは、もっと大変だった。『憩いの場』になっちゃう」

 笑い声だけ立てて、冷たく無表情に言った野庭。だが、次の瞬間には明るさを帯びた。

「でももう半分では、普通に暮らしていくことを考えてた。部室に電話回線を引いて、パソコン通信ができるようになっていたら、他のみんなを誘って、まだ知らない、広い世界に一緒に行ってみようって思い描いていたわ」

 返答を聞いた沢松は頭をぽりと掻いた。

「今はまだ少数派だけどさ。世界中の人が当たり前のようにパソコンを介してやり取りできる時代になったら、今よりも分かり合えるのかしら。殺し殺されるなんてことがなくなるくらいに」

「私に聞くの? 分かんないけど……多分、無理」

「どうして」

「分かり合えると言ったって、理解し合えるのとは違うから。相手の真の姿をよく知ったからこそ殺す、なんてケースもあるかもしれないね」

 野庭衣恋の想像に、沢松は小さく息をついた。


 おわり

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つながり 小石原淳 @koIshiara-Jun

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