第5話 SNS問答と声なき声

「調べてみたんですが、硫化スズ(II)をSNSと表すらしいです」

 学校から帰る車中で、ハンドルを握る部下が言い出した。

「ほう。どんな物質なの?」

「……太陽光をよく吸収するとかどうとか。僕が注目したのは、硫化スズ(IV)の方でして、SNS2と記すんです」

「あのメッセージは2を書く前に力尽きたものだと」

「はい。金色の物質で、偽の金と書いて偽金ぎきんという別名があるとのことです。ここから連想されるのは偽金作りです」

「――殺人の動機が偽札とか言い出すのかしら?」

「ないですかね」

「ないと思う」

「そうですか……他には、できて間もないんですけど、スロバキアの政党の略称がSNSとか、交感神経系を表す英語を略すとSNSとか、そういうのしかないんですよ。犯罪と関連がありそうなのは、偽金だけという有様です」

「どれも関係あるとは思えないわね。まだ犯人のイニシャルの線を考えた方がましそうだわ」

 現実的に言えば、人の名前をイニシャル三文字で表すなんて、普通の日本人名にありそうにない。

「それなんですけど、被害者の加藤早麻理は名字と名前、どちらのイニシャルを先に書くかで迷った。結果的にSNSと書いてしまったけれども、S・NかN・Sだと見なしていいのではないでしょうか」

「だったらSNSを消す努力をしてもいいと思うんだけど」

「そこは、犯人が目の前にいて、うまくやれなかったとか」

「簡単でしょ、どちらかのSを消すだけでいいのだから」

 声に若干、小馬鹿にする響きが含まれてしまったな、言いすぎたかなと沢松は感じた。部下は気にした様子もなく、真っ向から疑問を呈する。

「そうですか? だって被害者は背中側で手錠を掛けられていたんですよ」

「それがどうかしたの」

「だって、凄く見えにくいじゃないですか。どこにSを、あるいはどこにNを書いたかなんて、分からないですよ」

「……あっ」

 沢松は思わず叫んでいた。

「え、沢松警部補ったら、今頃気が付いたんですか。もう、もっとしっかりしてくれなきゃこまりますよぉ」

 若い部下が鬼の首を取ったかの如く、嬉々として言っている。

 普段ならぴしゃりと注意するところだけれども、今回は許す。重大な閃きをもたらしてくれたかもしれないのだから。


             *           *


 田町聡たまちさとるはこんな日が来るのを覚悟していた。自分は過去にそれだけのミスを犯したのだから、命を奪われてもやむを得ない。

 尤も、そんな境地に至ったのは、比較的最近である。己のミスに内心、忸怩たるものを抱えつつも、逃避して生きてきた。喉の病気で声を失って以降、残りの人生を静かに穏やかに送るつもりでいた。

 だが、運命だの天の意志だのが本当にあるのだとすれば、それらは田町を許さなかった。

 普通なら二度と顔を合わせることはないであろう“教え子”と、偶然の再会を果たす。田町は相手に気付いたし、相手も田町に気付いていた。

 その場は他にも何人かいて飲み会のようなものだったから、過去の思い出話なんかは無論のこと、二人が知り合いである事実も持ち出さなかった。

 後日、改めてコンタクトを取ったとき、田町は言葉を尽くして詫びた。話すことのできなくなった彼にとって、パソコンを使って文字を打ち込む行為こそが、現在の気持ちを伝える一番の手段だった。


『……

 何の償いにもならないことは分かっているが、君達を送り出したあと、教職を辞した。半年ぐらいは腑抜けのようになっていた。それから塾講師を務めながら、若い頃の夢だった小説を書いてみたり、教師時代は避けていた競馬やパチンコをしてみたりと適当に人生を送っていた。が、あるとき思い立って、せめて先生としての責任を果たそうと、漣君のいじめに関与したとされる子達の様子を見て回った。

 誰も彼も、まともに育っていた。ほっとした。だけど徐々に違和感も募った。何でこの子達は、何もなかったかのような顔をして生きていられるんだろう、と。』

 そこまで書いたとき、相手の元教え子も手を動かした。そう、喋らずに、パソコンを使って打ち込んできた。文字が、田町のパソコンに表示される。

『自分も同感です。』

 相手がほんのかすかにだが笑ったような気がした。田町は続けた。

『私は彼ら彼女らに罪を問おうとしたが、できなかった。せめて大人になるまで、二十歳になるまでは待とうと考えた。ただ一人、私が担当した教育実習生、星野剛君にだけは会った。心ない一言をきっかけに、児童が命を絶つ結果になったことを、今どう考えているかを問うた。彼は反省と謝罪の言葉を口にしたよ。そして神妙な顔付きを解くとこうも言った。「若気の至りというやつですかね、ノリで言ってしまった。大失敗でした」と。私は無力感にさいなまれた。彼の中で、あの出来事の位置づけはあまりにも軽かった。』

 田町がため息を吐いた隙に、再び文字の打ち込みが。

『事実なら許せませんね。星野先生は男にしては華奢な体付きでしたが、今も?』

 質問の意味を解しかねた田町だったが、ふっと思い当たった。先日の飲み会の席上、元教え子は袖をまくって、外見にはそぐわない筋肉を皆に見せてから、何人かと腕相撲を取って負けなかった。

『君は復讐を考えているのか。』

 返事はなかった。

 田町は星野の現在の様子と居所を伝えた。必要とあらば、子供達に関しても知る限りの情報を提供する気になった。


 多少の月日が流れ、あるとき、吊し首の状態で死んでいる井畑夏彦が発見されたというニュースを知った。始まったかと田町は思った。元教え子達が二十歳を迎える年だと気付いたのは、少しあとのことだった。

 その後もぽつんぽつんと関係者が殺されていく。警察は殺害動機に気付かないようだし、後の被害者達も同様だった。罪の意識がないと、殺される瞬間まで思い当たりもしないのか。

 そして、犯人――恐らく犯人に違いない――から連絡があった。やはり自分も復讐の対象に入っていたようだ。田町は納得した。

『私が死ぬことで終わるのかい?』

「いえ、まだいます」

『一体誰が』

上総澄夫かずさすみお。以手井君にとって、男子の中で一番の友達だったのに、見捨てた。いじめる側に回ったこともあった」

『知らなかった。死ぬ前に、彼とも会っておきたかった』

「……いいよ」

 意外な台詞に田町は目を見張った。

「上総は学生仲間と投資をやって、あぶく銭を得てね。今は高級マンション暮らし。どうやって接近して殺そうか悩んでいるところ。自分がいきなり訪ねていっても奇異の目で見られるに違いないけど、恩師ならすんなり会えるはず。内部を探ってもらえたら助かります」

『そういうことであれば』

 田町はあることを思い付き、提案した。

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