第12話別離を経て2年、今、父について語る。
一週間続いた胃腸炎から回復したものの、抑うつ感がいよいよ高まっていて、どうにも逃げ場がない。じっと耐えるしかないと頭ではわかっていても、感情は波立つばかりだ。何かを責めたいのに、誰も責められないという気持ちの矛先が、最終的に自分自身に向いてしまう。私が父から継いだ保守思想を全うして孝を尽くしていれば、という思いが頭から離れない。だが、それももはや叶わないことだ。せめて父の、そして自分自身の尊厳を回復させていかねばならないと思う。過去に受けた傷は癒えない。悪夢にうなされる日々も、これからもつづくだろう。それでも父と自分自身の尊厳を守り抜きたいし、そうすることでしか私は自分の生を生きられないだろうと思う。父を、愛していた。その想いに気づくまでに2年の歳月を要した。
安倍元首相や、この2年間毎日聴きつづけている加古隆の音楽中に父性を求めていたのは、私自身が父を愛し、求めていた気持ちの投影に他ならない。そのことをようやく自覚するに至った。
父は言葉を封殺されて生きてきた。家庭において抑圧され、自らの言葉を発することができなかった。父は晩年wordに自らの想いを綴った。そうすることでしか彼は自らの想いを語ることができなかった。そう、まさに今の私と同様に。そうして誰にも読まれることなく、PCの奥底で眠りつづける言葉を、そして父の魂を想う。私はその想いの幾らかも受け取ることができなかった。その悔悟の念と、父の孤独をなぐさめたいと願う。
父は、私にとって永遠の他者であり、また同時に無二の存在だった。そうしたことを思うとき、父はカムパネルラだったのではないかと思う。ふたりきり、列車に揺られて福岡の博物館まで阿修羅像を観に行った日のことを覚えている。あの列車に、私はカムパネルラの父を置いてきてしまったのだろうか。そして、自らを犠牲として母に従わざるを得なかった父は、幸せを感じることができていたのだろうか。
何度も、口癖のように「ごめんね」と語っていた父のことを鮮明に覚えている。謝るような場面ではなかった。母によって抑圧された結果生まれてきた、ただただ自責だけを帯びた謝罪の言葉だった。家族としての関係性を保ったまま、父の尊厳を回復させることは、私には叶わなかった。獣害と過疎化によって滅んでゆく故郷を守ることもできなかった。そうして傷ついた土地、傷ついた人の記憶を、せめてここに記す。
父の表象として、何かしらのキャラクターに投影させて、それを飾って心の拠り所にしたいという思いもないわけではない。だが、父ほど弱い男を、私は知らない。言葉を剥奪された人間の悲しみは、そうたやすくキャラクターとして準えられるものでもなく、強いて云うならば、やはり宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』のカムパネルラ、そして伊藤計劃の『屍者の帝国』のフライデーということになるのかもしれない。死者は等しく言葉を剥奪される。それは安倍元首相であっても、一介の市井の人間であっても変わらない。その重みと痛みとを感じつづけた2年間だった。育ての親であった祖母を喪っても感じたことのない痛みが、私の胸に深く深く突き刺さっている。おそらくこれも癒えることはない痛みなのだろう。
先日、友人のお父君が66歳にしてご病気で亡くなったという知らせを聞いて、父もまたそう長くはなく、そして私が死に目に会うこともないだろうと思っている。その覚悟はできている。だから父の喪に服している。父はワインレッドや紫を好んだ。車はトヨタのイノーバ、そして同じくトヨタのプレミオといった国産車で、そのボディカラーは芳醇な香りが漂うワインカラーだった。紫は父のよく好んでまとったラルフローレンや三陽商会の仕立てのいいシャツの色だった。
父はTシャツを着て外に出ることはなく、いつも身綺麗にして、東京では東京駅のKITTEのお気に入りのブティックや、銀座に出かけた。地元ではデパートで買い物をした。その父の高貴さを私は何よりも重んじる。
したがって、というよりは、私自身もまた好むためという理由が大きいのだが、シルクのストールやスカーフは紫を基調としたものを選ぶことが多い。もはや洋服にさしたるお金をかけられる身ではないが、中でもシフォン素材のラベンダーカラーのストールはお気に入りで、出かける時にはほとんど必ず身につけている。金属アレルギーでアクセサリーをあまり身につけられない私にとって、ストールやスカーフは、私にとって欠かせないものとなりつつある。
そうして少しでも父のエッセンスを、自分の一部として取り入れていたい。
父はまた猫を愛した。離別するまでの間、旅好きで家を留守にすることも多く、ついに飼うことはなかったが、父が猫と共にいる姿を見てみたかったなと思う。今、愛猫と暮らす私にとって、猫は無償の愛情を注ぎ、そして注がれる得難い家族だ。父にもそのようななぐさめがあれば、もう少し健やかに生きられたのではないかとも思う。
いずれ、父のことを小説に書く日も来るかもしれない。まだ当分の間は、私自身も気持ちの整理がつきそうにないし、離別の悲しみはそうそう癒えるものでもないとも思う。ただ、こうして父のことを書き記すことでしか、彼の名誉と尊厳とを回復させることはできないのだろう。
何度も語り直し、日々書き継いで、父の痛みを、そして私自身の喪失の痛みを癒していかねばならない。父を守ることが叶わなかった私の罪と、その罰は甘んじて受け入れる。だが、同時に私は自らも、そして新たな家族も守らなくてはならなかった。どちらを選んでも後悔の念が一生付きまとう選択を下さざるを得なかった。その悲しみを抱いて、今夜を乗り越えてゆく。
2024.10.21-22
夢幻図書館 雨伽詩音 @rain_sion
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