猫の子育て
烏川 ハル
この星で暮らすために
「迷子センターからのお知らせです。身長110センチ程度、ふんわりとした黒のセミロング。ひゅうがマコちゃんというお名前の、五歳くらいの女の子をお預かりしています。お心当たりのある
デパートの館内放送で流れたのは、ほとんどの買物客には無関係な、迷子のアナウンス。
だが両親にしてみれば、無関係どころか、まるで地獄に降りてきた一本の蜘蛛の糸だったのだろう。
それから数分もしないうちに、
「あの! 今の! 放送聞いて、来たんですけど!」
「日向です。こちらで、うちのマコがお世話になっていると聞きましたもので……」
一階の東端にある迷子センターへ、若い夫婦が駆け込んできた。
母親の方は、いかにも「慌てて走ってきました」と言わんばかりに、汗ダラダラ。言葉遣いも、少しおかしくなっている。
一方、父親の方は、ハンカチで額の汗を拭いながら、妻の分まで冷静でいようと努めているようだった。
「はい、お預かりしております。今、呼んできますね」
「少しお待ちください」
柔和なイメージのクリーム色に塗られたカウンターで、雰囲気を壊さぬような表情を浮かべて、二人の女性職員が対応する。
いったん奥へ引っ込んだ一人が、すぐに戻ってきた時。
彼女が手を引いていたのは、ゆったりとした水色の服を着た、可愛らしい幼女。
「ママー!」
「ああ、マコ! よかった……」
心からの安堵を顔に浮かべて、母親は幼女を抱きしめる。
そんな
「これくらいのお子さんは好奇心旺盛で、気になった物があると、そっちへフラフラ歩いていってしまうこともありますから……。よく見ていてあげてくださいね。もう目を離しちゃダメですよ」
「はい、はい。本当に、ありがとうございました」
幼女を抱きしめたままペコペコする母親の傍らでは、しゃがみこんで娘と目線を合わせた父親が、優しい言葉をかけている。
「マコ、怖くなかったかい? 寂しくなかったかい?」
母親よりも落ち着いていた父親は、迷子の立場になって、娘の気持ちを想像したのだろう。
「大丈夫! 平気だった!」
「そうか。マコは偉いなあ」
「だって、優しいお姉さんが遊んでくれたもん!」
幼女がクリッとした瞳を向けたのは、二人の職員のうち、胸に『根戸』というネームプレートをつけている女性。ぱっちり大きな少し吊り気味の目――いわゆる猫目――が特徴的な若い女性であり、幼女の手を引いて奥から連れてきた方の職員でもある。
「ちゃんと、お礼は言ったかい?」
「うん! もちろんだよ、パパ!」
「そうか、そうか。でも最後に。もう一度言っておこうか。『お姉さん、ありがとう』って」
父親に言われて。
「お姉さん、ありがとう! とってもありがとう!」
満面の笑みで感謝を告げた幼女は……。
「バイバーイ!」
母親に手を引かれながらも、空いている方の小さな手を振って、何度も何度も振り返りながら、名残惜しそうに帰っていった。
三人の姿が見えなくなったところで。
仕事が一つ片付いてホッとしたのか、女性職員の二人は、カウンターに並んだまま雑談モードで言葉を交わす。
「それにしても……。根戸さんは、本当に子供に好かれるわねえ。あの子の帰り際の態度、見た? 本物のお母さんより、あなたに懐いちゃったみたいだったわ」
「あら、さすがに、それは大袈裟ですわ。あのママさんにも失礼でしょうし」
同僚の言葉を、冗談として受け流す根戸。
「そうかしら? まあ、どちらにせよ……。いつも根戸さんが迷子の世話をしてくれて、本当に助かるわ。私、子供の相手するよりも、カウンターに立っている方がラクでいいもの。こういうの、適材適所って言うのかしら?」
それでは仕事を押し付けられているようなものだが、
「そうかもしれませんね」
根戸の顔には、不満の色は全く浮かばない。むしろ、嘘偽りのない笑顔にしか見えない。
「ええ、これって、私の天職なのでしょうね。私も、子供は大好きですから」
「根戸さん、好き過ぎて迷子お持ち帰りしたりしちゃダメよ?」
「そんなことするわけないじゃないですか! やだなあ、丹下さんは!」
ホホホと笑う根戸を見ながら、丹下は思う。
迷子センターで働く同僚としては、根戸は悪い相手ではない、と。
根戸は人付き合いが苦手らしく、職員同士の飲み会にも顔を出さないような人間だが……。別に丹下だって、根戸と友達になりたいわけではないので、それはそれで構わない。
根戸のプライベートにも興味はないが、いつも休憩中スマホにかじりついているので、一度「何がそんなに面白いのか?」と思ってヒョイッと覗き込んだことがある。すると、根戸はインターネットのまとめサイトを見て、ニヤニヤしているようだった。
しかも、お化けとか宇宙人とかの都市伝説をまとめたサイト! なんてネクラな趣味だろう!
そんな陰気キャラの根戸が子供に好かれるのは、丹下には少し不思議だったが……。
「まあ、ともかく。根戸さんが迷子の世話をしてくれるのは、本当に助かるわ」
内心での根戸評価は顔には出さず、とりあえず丹下は、先ほどの言葉を繰り返すのだった。
しばらくして。
館内に「まもなく閉店のお時間です」のアナウンスが流れて。
一日の仕事が終了する時間帯となった。
客たちが帰っていった後、控え室を兼ねた更衣室は、自分たちも帰ろうという職員で賑わう。
特に女子更衣室の方は、もう「女三人寄れば……」どころの数ではないので、かなり賑やかだ。
「先輩、今日どうします? 旦那さん、出張中ですよね?」
「そうなのよ! 一人寂しくご飯なんて、まるで独身時代に戻ったみたい!」
「それなら、私たちと一緒に飲みに行きません?」
「そうねえ、ご相伴にあずかろうかしら」
「いっそのこと、丹下さんも誘いません?」
「あら、いいわね! ほら丹下さん、あなたも行きましょうよ! 今時の若者のエキス、吸収しちゃいましょ!」
「あら、私も構わないの? それなら喜んで……」
迷子センターで働いていた丹下も、別の部署の職員から誘われ、一緒になって騒いでいる。
もう同じ迷子センターの根戸のことなど、眼中にない。
そんな中、根戸は、
「お先に失礼します。
誰に言うともなく、宙に浮いた感じで挨拶の言葉だけを残して、一人その場を去っていく。
直接の同僚からもこの扱いを受けるくらいで、そもそも「人付き合いが苦手」と認識されている根戸だから、彼女が帰っていく様子に関心を向ける者など、一人もいなかった。
いつも根戸が大きな鞄を抱えて通勤していることも、その鞄が、いつも以上に大きく重そうに膨らんでいることも、誰も気にしていないのだった。
「ただいまー! 今帰ったわよー!」
長年住み慣れた、郊外の団地へと帰宅した根戸。
部屋に入ってドアを閉め、安心したところで、彼女の姿が変わる。
耳の位置は頭の上へ移動し、鼻は不自然に低くなり、口元にはピンと横へ伸びた髭。
全身にはモフモフした茶色の体毛が生えて、背中を丸めて歩くその姿を見れば――特徴的な猫目だけは変わっていないこともあって――、誰でも「創作物などに出てくる、二本足で歩く猫」を連想するのではないだろうか。
「ママー! おかえりー!」
「待ってたよー!」
「わーい!」
わらわらと集まってくる出迎えも、黒猫、三毛猫、シャム猫、ペルシャ猫など、様々な種類の子猫を連想させる外見だった。
これが本物の『猫』ならばあり得ないだろうが、この『子猫』は全て、同じ母親――先ほどまで『根戸』という人間の姿をしていたモノ――から、生まれた子供たちだった。
「あれ? ツマリお姉ちゃんは、一緒じゃないの?」
「もしかして……」
子猫の一匹が母親『根戸』に尋ねると同時に、別の一匹が早くも返答を想像して、ニヤリとした笑顔を浮かべていた。
「ええ、たぶんチャトの考えてる通りよ。ツマリは今日、無事に巣立っていったの。『ひゅうが』ってお
「ということは!」
「やったー! 今日は、ご馳走だ!」
姉が消えたことよりも、その結果として自分たちが得られる恩恵に沸き立つ子猫たち。
「そうよ。ツマリの食べ残しで悪いけど……。はい、おみやげ!」
母親が、土産物として鞄から引きずり出したのは、もはや肉塊と化した幼女。ツマリが着ていくために服も身ぐるみ剥ぎ取られた、丸裸の死体だった。
ガツガツ、ムシャムシャ。
咀嚼音だけが鳴り響くくらいに、黙々と『ご馳走』にありつく子猫たちだったが……。
しばらくして。
一匹の子猫が顔を上げた。スイカにかぶりついた人間の子供が果汁で口の周りをベトベトにするように、子猫の口元は赤黒く汚れている。
「あらあら……」
それを拭いてやる母親に対して、子猫は無邪気に尋ねる。
「ママ、なんでいつも、お土産の頭ん中は空っぽなの?」
すると母親が答えるより早く、
「僕、知ってるよ! 脳みそっていうのが入ってるんでしょ?」
「私も聞いたことあるー! 脳みそが一番美味しいんだって!」
「いいなあ、僕も食べたい……」
他の子猫たちが騒ぎ出した。お腹もそろそろ満ちてきたのかもしれない。
「あらあら。あなたたちには、まだ早いのでしょうね。いろんなこと、きちんと理解してからじゃないと、食べさせられないから……」
母親は、少しだけ困ったような顔をしながら、それでも基本的には笑顔で、
「旅立つ子供だけが、脳みそを食べていいのよ。そのニンゲンの記憶を継承するために。いいかしら、よく聞きなさい。何度も説明したけど、私たちは……」
と、子猫たちに説明を始めた。
この『根戸』と、彼女が養う子供たち。
彼らは外見的には猫そっくりだが、実は全く別の生き物だ。そもそも、地球の生物ですらない。
はるか昔、宇宙船の故障でこの星に降り立ったのが、彼らの先祖なのだという。
幸い、彼らの星もこの星も、大気成分は同じ。まず息をするには困らなかった。しかもこの星には、姿形が酷似した『猫』という生物が存在していたため、彼らは猫に擬態して暮らすことを決めた。
しかし。
この星における猫は、別に生態系の頂点というわけではない。『猫』のままでは、生きていく上で危険も多かった。
だから彼らは、人間に――この星で文明を築いている存在に――なることを考えた。ちょうど彼らは「生物の脳髄を食すことで、その記憶や姿形を貰い受ける」という特殊能力を有していたので……。
「この星のニンゲンには、戸籍という厄介な制度もあるの。いきなり新しいニンゲンが現れても、受け入れてもらえないの。だから子猫のうちに既存の子供とすり替わって暮らすことになるのよ」
彼女だって、子猫の頃に根戸家に送り込まれて、その時から『根戸』として生きてきたのだ。
一生懸命に説明する彼女だったが、もう子猫たちは、話を聞いていなかった。かろうじて耳にしていた子猫も「『既存』って何だろう? ママの話、難しい……」と思いながら、敢えて聞き返すほどの興味は示さなかった。
もう彼らは満腹になったはずなのに、それでも死体にかじりついている。難しい話を聞かされるのが嫌で、食事の方に戻ってしまっていた。
それに、この子猫たちにとって『ニンゲン』は美味しいご馳走だ。食べ残すことだって、今まで一度もなかったくらいだ。
「あらあら。そんなに、がっついちゃって……」
母親の声にも「もう話を続けるのは諦めた」という気持ちが出ている。説明は、またの機会だ。
それでも。
あらためて子猫たちに話して聞かせたことで、彼女は、ふと思い出す。
偉大なご先祖たち。
でも、中には迂闊な者もいたのだろう。例えば化け猫の伝説は、人の姿への変身を見られてしまったご祖先たちなのではないか、と彼女は思うのだ。
また、世界中に伝わる宇宙人の話の中にも、ご先祖たちの目撃談があるのかもしれない。
そうした噂をチェックするため、彼女は、インターネットで都市伝説を漁るのが好きなのだが……。
「そういえば、都市伝説じゃないけど……」
これもインターネットで知った話。今から四十年くらい前に、服を着て二本足で直立した猫の写真やグッズが、日本中で大流行したのだという。あれなんかも、うっかり猫の姿のまま二足歩行しているところを見られたご先祖様がいて、それがヒントになっていたのかもしれない。
「それに……」
昔話ではなく最近の出来事で。
都市伝説系まとめサイトのリンクから跳んで知った、現実的な怖い話。
DNA鑑定が簡単になってきた昨今、調べてみたら「実は自分の子供ではなかった」というケースが増えているのだという。
他人の子供を育てていた父親の立場から書かれている場合が多いが、あれだって、実の父親の立場から考えてみれば……。
「人間夫婦の元に我が子を送り込む私たち……。それと同じようなものよね? ネットでは、確か『托卵』と呼ばれていたかしら」
もはや食事に夢中で、彼女の言葉など耳に入らぬ子猫たちを前にして。
この星の人間社会で『根戸』として暮らす彼女は、フフッと笑いながら、呟くのだった。
「托卵ブーム……。ニンゲンたちも、ようやく私たちに追いついてきたのかもしれないわね」
(『猫の子育て ――この星で暮らすために――』完)
猫の子育て 烏川 ハル @haru_karasugawa
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