辛い現実の中で甘い風船について考える。

 今年の7月14日から始まった「手紙」を僕は初日から読ませていただいていました。
 この手紙は全て「君」という架空の誰かに向けて書かれています。

 僕は毎日、切り株ねむこさんが語る君への言葉たちを眺めていました。
 そこで語られる君への言葉は、切り株ねむこさんの日常で、楽しげで優しく親身なものでした。

 現在が12月の前半ですので、僕の2019年の下半期は切り株ねむこさんの手紙が常に横にあるような状態でした。
 そういう状態を僕はとても好ましく思っていました。

 そんな日々の中で先日、「第144話 12月6日。(死について)」という更新がありました。
 僕はこの手紙が、もしかすると一番好きかも知れません。
 
 死について。
 と書かれた手紙はトーク番組で川上未映子という作家が出ていたことから始まります。
 
 川上未映子は物事を突き詰めて考える人なんだな、という理解の後、以下のように続きます。

 ――私は幼い頃、空想という名の風船をいつも持っていた気がします。
 (現実が寂しかったからですね、きっと)
 それは辛いことではなくて、ふわふわとした甘い事ばかりが詰まった風船です。

 腑に落ちたのは、この手紙という楽しげで優しい言葉たちは、切り株ねむこさんの風船なんだなぁということでした。
 それは空想=現実逃避という訳ではなく、ふわふわした甘い事を考え続けると言う一つの決意に近いものに思えました。

 そして、「死について」という回は、手紙にも書いてある通り風船が割れたり、傷ついた結果、書かれたものでした。
 
「第144話 12月6日。(死について)」は、そういう意味で、もっとも空想の風船から離れた内容であり、語りでした。

 僕がそこで思うのは、「手紙」という連載は切り株ねむこさんが、いま、この瞬間に考え、確かに存在していたことが記されていくものなんだ、ということでした。

 それは当たり前のことかも知れませんが、死に抗う有効な行為にも思えました。

 ひとまず、言えることは切り株ねむこさんの手紙があって良かったなと思う日々が僕にはありましたし、これからも続いてほしい一番の連載です。

 長々とすみません。

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