検体
ととむん・まむぬーん
検体
えっ、アタシが死体洗いをやってたですって?
ないない、そんなのないっすよ。確かに病院に勤めてたことはありました、もうかなり前のことですけどね。もちろん医者でも看護師でもないですよ、ただのバイトです。それにしても何がどうなってそんな話になってんですかねぇ。
そもそも死体洗いなんてあんなもん、都市伝説みたいなもんです。もしあったとしてもアタシらバイトなんかにはやらせませんって。まがりなりにも仏さんですよ、ご遺体ですよ。病院なり大学なりの関係者のみなさんが厳粛にってんですか、とにかくそういうもんですよ、まったくもう。
アタシがやってたのはですね、臨床検査の検体仕分けって仕事ですわ。みなさんも定期健診とかでやるでしょ、おしっことか、その……こういう場所では口にするのもはばかれる、その、あの……そうそう、それです、そういうのとかです。それがあちこちから集まってくるんでそれを仕分けする、ただそれだけの仕事ですよ。
ならばそのバイトの話でいいから聞かせろですって?
いやぁ、いくらなんでもここ、居酒屋ですよ。あっちもこっちもそっちもみなさんお酒とお食事を楽しんでおられるじゃないですか。こんなところでするような話じゃないんですけど、それでも聞きたいんですか?
う――ん、そこまで言うんなら……でも、そんな期待されるようなおもしろい話じゃないですけど。
えっ、いいから話せって?
ならばとりあえず小声で。てか、この店のBGM、これ、懐かしの昭和歌謡ってんですか、それにしても音大きいですよねぇ……まあしょうがないです、それじゃみなさんもう少し顔を寄せてくださいよ。そうですそうです、こんな感じでひそひそと行きましょうよ。
――*――
アタシが勤めてた病院ってのは郊外の、どちらかというと山沿いと言うか、交通機関もバスしかないような場所だったんですわ。そのバスも早々に終バスになっちゃいましてね。仕事は夜半過ぎには終わるんですが山の中みたいなとこで足もないんですから、帰るに帰れませんよ。なもんでアタシらは朝の交代時間まで幽閉状態です。だから朝までの時給を出してくれてたんですわ。寝てても時給が付くってんで、なによりそれがありがたかったですね。
仕事は簡単なもんでしたよ。日に何度かあちこちの病院やら診療所から検体が届くんで、来たらばすぐに仕分けして冷蔵室に運び込むんです。仕分けってのは問診票と検体を突き合わせて通し番号を、えっと、問診票ってのは、ほら、あれですよ、医者が書くカルテって言いましたっけ、あれのもっと簡単なヤツです。その紙と検体のラベルに同じ番号を割り振ってくんです。あとは臨床検査技師の先生方がいろいろと検査してその結果が問診票に記入されてくって流れですわ。
アタシらが扱ってたのは
地域の保健所で子宮がん検診なんかがあった日にゃ大変ですよ。女性の分泌物ってんですか、それが詰まった筒みたいな容器が多い時にはン百本ですからね。アタシらはそれをいちいち開封して中身確認して、問診票と突き合わせてナンバリングしていくんですから。いくら女性のあそこの、なんて言われてもね、そんなもん色気もへったくれもあったもんじゃないですよ。
もちろん検体は他にもいろいろありましたよ。まあ
それにね、あの仕事をやるようになってからですよ、頻繁に手を洗うようになったのは。とにかくあの頃はアタシもかなり神経質になってましたわ。
仕分けする検体の数は日によってまちまちでしたね。さっき言ったみたく集団検診が重なったりするとえらく大変でしたけど、そんなのは何か月に一度です、ほとんどは最終便をこなしたら朝まで暇でしたよ。
最終便ですか?
最終便ってのは夜中の0時に到着の
そんなわけで暇なときは朝までやることもないし、かと言って寝るには早いしで、それなら度胸試しだ、ってんで冷蔵室にどれだけ入っていられるか、なんてのをやってましたね。
ほら、肉でも魚でもよくあるじゃないっすか、解凍するとグチャっとしちゃうの。ああなっちゃうとダメなんです。だから冷凍じゃなく冷蔵なんですよ。大体2度とか3度くらいでしたっけね、冷蔵室の中は。
そこに入るんですよ、上半身だけ裸になって、3分間。
いやあ寒いのなんの、外に出ると妙に暖かく感じてね。意味も目的もないくっだらない遊びでしたけどね。もちろん中は検体がたっくさん保管されてるんですよ、真っ暗な中、殺菌用の青いランプだけが灯ってましてね、それのせいで余計に寒々しく感じたもんです。怖くはなかったんですけど、寒さはキツかったですね。
さてそれじゃあここからはちょっと、ええ、もう少し寄ってくださいや。居酒屋でするような話じゃないんで、そうそう、もう少し。
えっとね、検体、特に
そりゃ医療機関ですからね、ハツだのミノなんて書いてないですよ、心臓とか胃とかって書いてあります。
あっ、今の笑うところなんですけど……えっ、ここは飯食うところだって?
そりゃないっすよ、話せって言ったのはみなさんじゃないですか、もう。
ま、とにかく話を続けますわ。
アタシたちは医者じゃないです。そんな知識もないです。でもね、ああやって毎日のようにブツそのものを見てるわけですよ。
開けていきなりそんなのに出くわしますとね、思わず問診票で確認しちゃうんですよ、その人となりみたいなのを。まるで自分の身内がそうなっちゃったんじゃないかってくらい気分が沈むこともありますわな。とは言え、慣れってのは怖いもんで、だんだんと無関心になっていくもんなんですよ。ま、仕事ですしね、そんなもんです。
で、いろんな検体の話なんですけどね、いいですか、大丈夫ですか、続けても。
わっかりました、続けましょう。
たまになんですけどね、大物が来るんですわ。そういうときは配送業者から事前にFAXが届くんですよ。それをアタシらは「お客さん」なんて呼んでました。
「今日はお客さんが一名お見えになるゾ――」
なんて言うんですわ。
お客さんにもいろいろありまして、アタシが経験した一番の大物は足でしたね。FAXにね、品名「足」って。おいおい、せめて右足か左足かくらい書けよ、横着だなぁ、なんてね。
ただアタシもね、あまり気持ちのいいものじゃないし、ブルーのビニールにくるまったのを開いてさっと確認したらすぐに元に戻して番号振って冷蔵室ですわ。ありゃ抱えてみると結構重たいんです、バランスも悪いし。とにかくさっさと冷蔵室に運び込んで棚におさめてハイ終わりってなもんです。
それにしても医者ってのも何を考えてんだか、患部だけを送ってくればいいのに、一本丸々ですもんねぇ。カツオだのブリだのならまだしも、足ですもん、嬉しくもないですわ、ハハハ。
そんなこんなで、あんな大きなお客さんを相手にしてしまうとね、あとはもう妙な度胸がついたってか、それからは何が来てもまず動じなくなりましたよ。
そして、そしてですよ。あの出来事が起きたんです。
えっ、
はいはい、すみませんね、いや、ほら、話にメリハリを、なんて思いましてね。
あれはちょうど今時分の話でしたよ、梅雨が明けるか明けないかなんて感じで、妙に蒸し蒸しする日でしたね。アタシらの職場は生モノ扱ってますんでね、空調は快適だったんですが、あの一件は全然キモチのいい話じゃなかったです。
その日の配送リストにちょっとしたお客さんがいましてね。いえいえ、そんな、足みたいに大きなもんじゃないです。で、小物の検体をひととおり仕分けし終わって、いよいよ残ったのがお客さんだけになったんですが……いないんすよ、お客さんが。
おいおい、品名はなんだい、ってんで、FAXを受け取ったヤツに確認したんですわ。したらば、「乳房です」って。
乳房って、あの乳房だよな。それなりの大きさだろうに、無いんですわ、どこにも。先輩連中もね、荷受け場所まで確認に行ったり配送業者に連絡とったりしたんだけども、ラチが開かなくて。
そもそも品名だけで大きさとか書いてないんですよ。先輩なんて「何カップだ?」なんて言って笑ってましたけど、いや笑い事じゃないですって。
もちろん、アタシも確認しましたよ、ひょっとしたら「乳房」って言葉に惑わされるんじゃないかって考えて、仕分け済の検体も全部もう一度確認しましたよ。たまにね、あるんですよ、お客さんかと思ってたら切除部分のみだった、なんてことが。だから今回もそんなオチなんじゃないか、って。
配送業者の伝票にも確認の検印が押されてるし、どこかに紛れ込んじゃったのか、とにかくこちらも受領印を押しちゃいましたからねぇ、なんとしてでも探さなきゃってんで、みんなで手分けしましたよ。
夜中の3時頃っすかね、もうあきらめて始末書かな、なんて考えてたら先輩が言うんですよ、
「ほんとうにボックスの中はもう空なのか」
って。
そりゃもちろん、空ですよ、残ってるのはボックスの底の下敷きだか中敷きだかの板っぺらだけですよ、って。そうしたらそいつを確認しろ、ってんです。
「いつもボックスの底に板なんて敷いてあったか?」
って。
確かに言われてみれば……で、アタシもハッとしてボックスの中の板っぺらを見てみましたよ。
なるほど、ただの下敷きなのに青いビニールでくるんであって、こりゃ妙だなって。
もうそのころには先輩連中も集まってきましてね、こうなったらもうしょうがないですわ、みんなの前でアタシはそのビニールを開けたんです。したらば中から出てきましたよ、問診票が。まったく紛らわしいですよ。それに、それといっしょに白いビニールに包まれた板っぺらも。
おいおい、ちょっと待ってよ、乳房じゃないの?
確かに問診票にも乳房って書いてあるんですけど、板じゃないですか。でもとりあえず確認しなきゃですからね、いや――な予感しましたけどね開けましたよ、その白い包みを。
はい、確かに検体でしたわ、下敷きなんかじゃなく。開けてすぐにアタシの目に飛び込んできたのは薄いベニヤ板の木目となんだか薄いゴムみたいなのを留めてるホッチキスの針でしたよ。
いや、いつもはね、ここで終わりっすよ、ブツの確認はできたわけだし。でもそんときはみんな集まってたし、散々ドタバタしたもんだから異様に盛り上がってたんですよ。それで先輩の一人が「ちゃんと開けてみろよ」って。
えっ、アタシがですか、って思いましたけど、もう後に引けないです、いい気持ちはしないけど開けましたよ。
したらば、うん、確かに……確かに乳房でしたよ、それ。オッパイがね、のしイカみたいにペタ――っとベニヤ板に張りついてるんすわ。ご丁寧に裏側でホッチキス留めされて。
なるほど、オッパイってのは骨も筋肉もなくてほとんど脂肪みたいなもんっすからね。溶けかけのアイスクリームみたいなもんで、置いておくと「てろ――ん」てなもんですわ。でもね、だからと言ってホッチキスはないでしょ、ホッチキスは。
えっ、その検体はどんなんだったかですって?
そりゃもうね、板っぺらに張りついた青っちろい皮の真ん中にちょいとばかし黒ずんだ乳首がね、ありましたよ。
それにしても板のど真ん中に乳首がくるような几帳面な留め方の割に、ホッチキスっすよ。几帳面なんだか無頓着なんだか、よくわかりませんね、お医者さんってのは。
で、その斜め上あたりっすかね、梅干しくらいのコブのようなのがありまして、ああ、こりゃ確かになぁ……って話ですわ。
何はともあれそんときは見つかるもんも見つかったんで、これにて一件落着ってことでしたけど、そんなもんばっか見てますとね、アタシらも知らず知らずのうちに感覚ってんですか、そういうのが鈍ってくるんでしょうね、先輩の一人が言ってましたよ。
「しかしまあ、巨乳じゃなくてよかったよ。Gカップなんてのが来た日には、どんだけ大きな板になるんだよ」
なんてね、ハハハハハ……。
――*――
ね、こんな場所でするような話じゃなかったでしょ?
それにオチも何もないし。でも今となっては面白い経験だったな、なんて考えてますわ、話のネタとして。
さて、ちょうど話の区切りもいいところで、さ、気を取り直してもう一度乾杯といきましょう。
おっ、来ました来ました、ちょうどいいタイミングですな。これですよ、これ、この店のモツ煮込みはとにかくうまいんですわ、七味をピリっときかせて。
あれ、どうしたんです、みなさん食べないんですか?
ええっ、アタシが食べちゃっていいんですか、全部?
そうですか、絶品なんですけどねぇここのは。遠くからわざわざこれを食べに来る人もいるんですけどねぇ……そうですか、それじゃあ、お言葉に甘えて、遠慮なく、ゴチになりまっす!
検体
―― 完 ――
検体 ととむん・まむぬーん @totomn
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