夏思いが咲く

アイと博士が戻ってきてから数日後。


二人はそれでも二人きりで、つまるところログハウスの中で仲良く暮らしていました。


「でも博士、結局のところ《夏》はこっちの世界で再現できなさそうですね」

アイが学習机の椅子を前後にガタンゴトンと揺らしながら言いました。


「そうだなあ、アイも理解出来たようだし、もういいんじゃないかな」

博士はコーヒーを飲みながら苦笑しました。さすがの博士でも、アイと離ればなれになったのは堪えたようでした。


「……ふに、そうですね! ……あ、博士。ちょっと町に下りてきますね」

「うん。気をつけて行っておいで」

「はあい」


アイはドタバタと楽しそうにログハウスを出て行きました。

「まったく……誰に似たんだか」



《夏》を理解してからというもの、アイの研究家っぷりと言ったらそれはもう博士顔負けなのでした。今も材料を拝借しに誰もいない町へと下りて行ったのでしょう。

ひとたび町へ下りると色々な物に目移りするのか三、四時間は戻ってこないことがザラにありました。


しかし、意外なことに今回は、五分としないうちにアイが帰ってきたのです。


アイは親の仇もかくやという勢いで玄関に飛び込んで来ました。

「博士! すごいものを見つけました! 新しい発見です!」

「ドアが壊れるだろう。ゆっくり入りなさい」


アイが博士に駆け寄ります。

「それどころじゃないんです!」

「……どうした?」

「雪が……、空に真っ白な雪が舞っています!」

「雪?」

博士は首を傾げました。


いくらなんでもそれはありえません。

博士たちが《タイムマシン》で戻ったような時代と違い、いまは寒くなったと言っても、昔で言うところのいまは《夏》の時期なのです。気温だって摂氏十度はあるはずでした。


「まさか……。アイ、頭が痛いとかそういうのはないか?」

「ふにー。私は至って正常です」

アイはしかめっ面をしました。


博士は数日前の時間旅行によってアイがおかしくなってしまったことを危惧したのです。


「でも検査したほうが」

「――いいから博士、こっちに来て下さい」

「ちょっと……。危ないよ、アイ」

アイは無理やり博士の腕を掴むと外に引っ張り出しました。


アイは知っていたのです。

百聞は一見に如かずという言葉があります。言葉を聞くよりも、体験したほうが簡単に理解できることは自明のことなのです。


玄関先を真っ直ぐ進み、山を少し下ったところで二人は止まりました。

いえ、その光景に二人は止まらざるを得ませんでした。



「なるほど……。アイはこれを雪だと言ったんだね」


博士はその白くて幻想的な雪景色を見ながら、アイの頭をひとつ撫でると自然に笑みが溢れてきました。


「ふに、とっても綺麗でしょう?」

「……これは――、うん。そういうことか。確かに雪が舞っているように見えるね」

「博士、なんですか、これ」


真っ白で雪のようにふわふわと空を舞っているそれは、地球がまだ温かかったころにはよく見たものでした。


「これはね、タンポポの綿毛だよ。昔の季節感で言えば夏前――、そうだね、五月あたりに真っ白の綿毛を咲かせて、風を待つんだ」

「あの黄色いタンポポが、真っ白に……?」

「辺り一面のタンポポみんなが空に向かって飛ぶんだよ」

「……そっか。きっとタンポポも私たちみたいに、《夏》を探しているのですね。タンポポみんなで夏を待ち望んでいるんですね」

「……そうだね…………。夏思いが咲いたんだ」


アイは博士を横目で見ると、博士のらしくない詩的な表現にすこし吹き出しました。


「博士にしてはいいですね、それ」

「笑うなんてひどいな」

「でも、夏思いが咲くか……ふに。本当にその通りですね」

「ああ」



ひとりぼっちからふたりきりになった博士とアイは、しばらく夏思いが咲いたその光景を眺めていました。


そしてそれらは、風に乗ってたしかに《夏》へと運ばれていくのでした。



《完》

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夏思いが咲く 西秋 進穂 @nishiaki_simho

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