23


 従軍時代に鍛え上げた足は未だ健在のようで、エドワルドは疾風のように街中を駆け抜け、郊外へ出た。イェソドは生まれ故郷と瓜二つの街。土地勘を頼りに隈なく探してゆく。

 まずは壁沿いを一周――いない。仮に城壁を越えられてしまっては探しようがない。聳え立つ滲み一つ見えぬ白亜の巨壁を睨めつけて、後にする。

 次に貧民街だった区画、いない。豪邸が並ぶ区画も同様だ。


「くそっ……どこにいるんだ!」


 市街地に駆け戻りながら悪態をつく。エレノアの為人を慮ると人気のない場所でいじけているものだと踏んでいたが、的外れな見解だった。中央へ近づく程に人波は勢いを強めていたが、腕で振り払えば人の形をしていた過去の残滓は儚く霧散して消えた。


 フィリアからの報告はない。およそ目星をつけて捜索しているはずで、エレノアをよく知る彼女が検討もつかない行き先となるとお手上げだ。息を切らして噴水のある広場まで戻ってきたエドワルドは、深い溜息を吐いて縁に腰をかける。背後では湧き上がった水が清音を戦がせた。


「他に行ける場所……他に……」


 ぽつねんとして独り言ちた。急く心を宥めるように、背後の流水は穏やかに落下する。雫の跳ねた部分が波紋となって広がり、他のそれと生じて消える。追い立てるようにまた新たな波紋が生じて、追って追われてを繰り返した。


「……かくれんぼハイド・アンド・シークみたいだな」


 不意に口を衝いて出た言葉に、エドワルドははっと顔を上げた。視界に飛び込んできた形状豊かな世界から慌てて俯いて思考を纏める。かくれんぼは児戯だが、その中には戦略的な要素も詰まっている。上手く隠れ通したいなら裏をかくこと――つまり、常識の反転をすることが必要となる。


 賑やかな街中はフィリアが捜索してくれている。ならば、エドワルドがすべきは普段なら絶対に足を踏み入れない場所だ。例えば水中とか、と呟いて水面を眺める。清涼で透明な水を称えるそこにエレノアの影は微塵もない。が、そこに映り込んだ揺らめく教会の虚像を認めて、瞬時に面をあげた。


「まさか、カルワリオの丘か……?」


 別名を髑髏の丘。そこは教会の裏手にあり、生垣の先に見えるのはただの小高い丘で見晴らしの良さそうな場所だが、同時に街の人間からは忌避された場所でもあった。エドワルドも立ち入ったことはない。教会に籍を置いていた師匠からは幾度となく釘を刺されている。


 ――あそこに足を踏み入れてはいけないよ。あれなるは裏切りの丘だ。誤って立ち入らぬよう協会が管理しているんだ。


 脳裏を掠める師匠の声を振り切り、正面から教会の敷地を突っ切った。息を切らしながら、勢いのままに敷地の奥へ。


「エレノア!」


 幸か不幸か、やはりエレノアはそこにいた。肌は既に禍々しい赤に染まり、まるで血を頭から被ったように見える。後ろ姿を認めてエドワルドが声をかけるも反応はない。息を整えつつ、大股で距離を詰めてゆく。


「フィリアから聞いた。お前、本当は悪魔なんだってな」

「……」


 視線は街に注がれたまま、エレノアは無言を突き通していた。エドワルドが彼女の肩に手を置いて前に回りこんだが、意外にも抵抗はない。


「エレノア。聞いてくれ、今すぐにイェソドを出よう。まだ間に合うはずだ」

「まずいわ」

「ああ。フィリアも気を揉んでいる。だから、な?」

「違う。まずいのよ」


 まるで生気の抜けたような声で、呆然とエレノアが呟いた。瞠目して固まる双眸はまるでエドワルドを捉えていない。


「エド! あれを見て!」


 不意に肩に置かれた腕を掴み取って、エレノアは強引に自分が見やる方向へとエドワルドの腕で指し示す。倣ってみればカルワリオの丘からは街だけでなく白亜の壁の向こうも見えた。目を凝らせば辿ってきた路も判別できる。だが、それだけだ。何の変哲もなく、慌てる程のものでもない。


「あれがどうかしたのか?」


 平生のまま問い返せば、エレノアは苦渋の面持ちで息を飲んだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

楽園を目指す旅人と二つの翼 黎(レイ) @Rei_isabel

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ