後編

 俺が住む美園市、その全域を睥睨する丘の上に、金崎学園高等部の校舎が建っている。正門へと続く300mの坂道は、駆け上る生徒たちに多大な負担をかける『遅刻魔返し』として有名だ。その坂を登りながら、俺は今後の計画を考えていた。

 時刻は1時、信長たちがこれほどまでに活発に動いている現状、明るいうちに出歩くのは得策ではない。日が落ちるのを待って家に帰るのが上策だろう。何しろ俺は光秀だ、信長との夜間戦闘なら必ず勝つ自信がある。

 となると問題は、身を隠す場所だ。そこで俺は、敢えて潜伏場所に学校をを選んだ。町中をうろつけばうろつくほど、さっきみたいに出会い頭に信長に出くわす可能性が高まる。ならば、信長たちが近寄らず、なおかつ俺がいるとは思われない意外な場所がいい。

 それを満たすのが、この学校だった。信長といえども学生だ、用もないのに休みの日に学校に来る暇人はいない。学生以外の信長なら、部外者だからそもそも入れない。部活で来ている信長はいるだろうが、それだけ避ければいい話だから、町中でランダムエンカウントする信長に注意するよりはずっと楽だ。

 俺は周りに誰もいないのを確認してから、昇降口を上がり、上履きに履き替えた。

「いやー、助かりましたよ、管領かんれい先輩!」

 話し声がした。下駄箱の影から覗くと、女性と少女の2人組がこちらに向かってくるのが見えた。背の低い茶髪の女子高生は、楽市らくいち祥子しょうこ、生徒会の会計だ。もう片方の背の高い女性は、管領かんれい二美つぐみ。元生徒会長だ。去年大学に進学したはずだけど、どうしてこんなところに?

「この案なら、先生たちも納得してくれそうです。次の文化祭は活気がでますよ。ありがとうございます、先輩」

「お礼を言うのは私の方よ。文化祭の問題は、私の代のうちに片付けておきたかったことだし。絶対に利益を出しちゃいけない出店なんて、どう考えてもおかしいわよ」

「ですよねー。学業と商売を混同してはいけないとか、健全な行事で利益を求めてはいけないとか言ってますけど、そもそもお金が動く行事で利益を求めない方が不健全だって話ですもんね」

 どうやら2人は次の文化祭の実行案を話し合っていたらしい。この学校の文化祭では、出店や出し物で利益を出してはいけないという伝統があった。そのせいで生徒たちはやる気が出ず、なんとなく活気が足りない文化祭になっている。楽市はそこをなんとかするつもりだ。楽市楽座を実施して領内の商工業を活発化させた、信長らしい考えだ。

 そしてその楽市の案にアドバイスした管領先輩もまた、信長の生まれ変わりだ。管領先輩は会長になるなり、時代遅れの校則や、生徒を締め付けるだけの風習を片っ端から改革していった。俺が学校にスマホを持ち込めているのも、楽市が茶髪に染めているのも、管領先輩のおかげだ。……思い返すと本当にクソだったな、俺が入った頃のこの学校。

「じゃあね、楽市さん」

「はい、お疲れ様でしたー!」

 管領先輩が校舎を出て、楽市が生徒会室に戻ったところで、俺は昇降口から上がった。下駄箱の影に隠れていたお陰で見つかってない。セーフだ。人目を気にしつつ、非常階段を登って屋上へ。屋上に続くドアは鍵がかかっているが、俺は階段の手すりを乗り越え、外側のフェンス伝いに屋上へ降り立った。

 休日の学校の屋上。俺が考える限り、最も人が寄り付かない場所だ。いくら信長でも、俺を探しにこんな場所までやってこないだろう。後は日が暮れるまでここに籠城して、それから家に帰ればいい。暇潰しの心配はいらない。携帯の充電は、日が暮れるまで十分持つ。とりあえず俺は、Youtubeのアプリを起動させて、何か面白い動画はないか探してみた。

 おすすめページに、ソシャゲのガチャ生配信動画があった。覗いてみると、ちょうど限定☆5激神・織田信長(女)を引いたところだった。……現代では信長はキャラクターとして大人気だ。たまに、このように美少女にされていることもある。現在進行系で美少女に転生した信長たちに追い回されている身としては、冗談になっていないのでやめてほしい。

 機嫌が悪くなったので別の配信を見ようとすると、配信主が再びガチャを回し始めた。どういうことだ? 今、もう目当ての☆5は引いただろう? 動画の説明文を読んでみると、☆5を限界まで重ねる配信だった。正気か。ご丁寧に、動画の右上には課金額が映っている。……何だこの金額。桁がおかしいぞ。今月の家賃払えるのか?

 ちょっとマッドな動画だったので、スマホから目を離して、空を見上げて深呼吸した。焦げた臭いが鼻を突いた。思わず視線を地上に戻す。屋上の一点に異常が起きていた。屋上の中央、床から少し上の空間に稲妻が迸っている。そして、その稲妻の周囲の空間が丸く歪んでいる。そうとしか表現のしようがない、異常なことが起きている。

 何が起きているのか、目を凝らして確かめようとすると、稲妻が勢いを増し、目も眩むような光を放った。

「うおっ!?」

 思わず目を瞑り、腕で顔を覆い隠す。瞼の上で白い閃光がチカチカと踊る。やがて、光が消えたので、恐る恐る目を開けた。

 さっきまでの稲妻と、空間の歪みは消えていた。代わりにそこにいたのは、膝立ちでうずくまっている、水色の髪の美少女だった。服を着ていない。全裸だ。嘘だろ。いや、そもそもどこから出てきた。

「転送完了。システム、オールグリーン」

 今なんて言った? いや、それよりも、美少女に何となく違和感を感じる。無から突然出てきた全裸の美少女って時点で違和感満載なんだが、そういう意味じゃない。この違和感、覚えがある――?

 戸惑う俺に、美少女が気付いた。赤い瞳がじっと俺を見つめる。……しまった、叫ばれる。弁解する前に美少女が口を開く。駄目だ、終わった。

「ターゲット、明智光秀を発見」

 口から出てきたのは叫びではなかった。むしろ、無機質な、感情のこもっていない声だった。いや、それよりも。目を合わせてわかった。さっきから感じていた違和感の正体。こいつは、信長だ。

「殺害する」

 はい?

 美少女が俺に手を向ける。手のひらが展開し、その中に黒い銃口が見えた。考えるよりも早く、俺は身を翻してその場から飛び退っていた。直後、鋭い火薬音が鳴り響き、屋上を囲むフェンスに大穴が空いた。

「はい?」

 声が遅れて出た。美少女は、白煙を上げる右手をこちらに向けようとしている。

「うおおっ!?」

 俺は慌てて起き上がり、走る。すぐ後ろを銃弾が通り抜け、次々とフェンスに風穴を開けていく。何だ、一体!? サイボーグ!? 俺を狙ってる! どうして!? 疑問を浮かべている俺の目の前にフェンスがそびえ立つ。しまった、こっちは出口と逆側だ。追い込まれた。振り返ると、少女は既に右手をこちらに向けていた。駄目だ、殺られる――。

「伏せろ光秀ェ!」

 怒鳴り声の後に、猛烈な破裂音が響いた。全裸の少女が、背中に強烈な衝撃を受けて吹き飛ばされた。その向こう側、俺が登ってきた非常階段の側に、黒いライフル銃を構えた女が立っていた。あいつは――信長だ。信長がライフル銃を!?

 女は少女に向かって歩きながら、銃のレバーを動かし、薬莢を排出し、引き金を引く。弾丸は全裸の少女の鳩尾に命中した。少女は体勢を立て直そうとしているが、次々と叩き込まれる鉛玉に吹き飛ばされ、押し出され、遂にフェンス際まで追い詰められた。その頃には既に、ライフルの女は少女の目の前にたどり着いていた。

「ブッ飛べ!」

 少女の頭に突きつけられたライフルが火を吹いた。強烈な接射を受けた少女は、フェンスを突き破って屋上から落下した。

「お……おいおいおい!? 死んだのか!?」

 慌てて屋上の縁に駆け寄る。真下には大の字になった少女が見える。

「死んでない」

 俺の隣で、ライフルを構えた女が言った。その言葉と同時に、少女が起き上がった。

「戻ってくる前に逃げるぞ」

 下に落ちた少女は、手を校舎の壁に突き刺してこちらに登ってくる。よく見たら、あれだけの銃撃を受けたのに傷一つついてない。確かに、逃げるしかない。

「どこに?」

「車を用意してある。こっちだ!」

 彼女の言う通り、非常階段を降りると車があった。助手席に乗り込み、シートベルトを締めると、車は急発進した。後ろを見る。例の美少女は追ってきていないようだ。

「何だったんだ、アイツは……?」

「殺人ロボットだ」

 ハンドルを握る信長は、真顔で言った。

「ロボット? いや、でもあれ、信長でしょう?」

 そこが矛盾している。あの人間離れした耐久力やら、腕に仕込まれた銃やらは確かにロボットだが、しかしアイツからは転生した信長の魂が感じ取れた。いくら信長でも、ロボットに転生するなんてことはできないはずだ。

「……そうだな。正確にはロボットじゃない。信長の魂が宿った人造人間をサイボーグ化した究極兵士、New Organic Barrager/Ultimate Navy And Genocide Armyだ」

「ニュー……何です?」

「New Organic Barrager/Ultimate Navy And Genocide Army。通称NOBUNAGAだ」

「無理があるだろそれ!?」

 何でもかんでも信長にするんじゃねえ!

「私に言われても困る……」

 ライフル女は口を尖らせて困っている。自分も信長だから、そういうネーミングは不本意なんだろうか。そう考えると、怒鳴りつけたのは悪かった。

「……まあ、ロボットってことでいいですけど。それがどうして、俺を狙ってくるんですか? ターミネーター?」

「そうだ」

「えっ」

「奴は2060年の日本から来た殺人ロボットだ。君を、光秀を殺すために、この時間にやってきたんだ」

 冗談――とは思えなかった。何しろ、たった今殺されかかったからだ。信長が将軍様を京から追放した、と初めて聞いた時よりも、よっぽど信じることができた。ただ、それでも納得できないことがある。

「なんでわざわざ未来から俺を殺しに来るんですか。一体何をやらかしたんですか、俺は?」

「信じられないかもしれないが、未来では織田信長が世界征服を成し遂げている。奴に立ち向かうレジスタンスのリーダーが、未来の君だ。だから過去の君を殺して、レジスタンスをなかったことにしようとしているんだ」

 どうやら未来の信長は、俺にもう一度本能寺の変を起こされることを嫌って、過去に戻って殺しに来たらしい。本当にターミネーターだ。

「じゃあ、貴方はあのロボ信長を追って、過去にやってきたレジスタンスなんですか?」

「ああ。私はレジスタンスのウーフーだ。自己紹介が遅れたな、すまん」

 ウーフーさんは軽く会釈をした。

「えーっと……それじゃあウーフーさん。これからどうするんですか? あのロボ、また追いかけてくるんですよね?」

「ああ。まずは仲間と合流したい。ホムラに連絡してくれ」

「ホムラ?」

「いるだろう? 家の近所に住んでいる、赤い髪のゆるっとした女が」

「……なんで知ってるんですか?」

「アイツも私たちの仲間だ。お前を守るために、10年前に先行してこの時間に来ているはずだ」

 ……ああ、そうか、そういうことか。それで理解した。

「すみません。連絡はできません」

「……何故だ?」

「その人は、10年前に死んだんです」


――


 ホムラさんのことはよく覚えている。赤い髪の、綺麗な女の人だった。親が用事で家にいない時は、いつもホムラさんのアパートに遊びに行っていた。ホムラさんは立ち振舞いが不思議で、妙に印象に残る人だった。だから、どうやって死んだかもよく覚えている。

 10年前の夏。ホムラさんは近くの雑木林に俺を連れて行った。外で遊ぶのは珍しかったから、俺はワクワクしていた。

「かくれんぼを、しましょう」

 ホムラさんは最初にそういった。ホムラさんが鬼になって、俺が隠れる。見つかったら交代だ。最初は俺が隠れた。ホムラさんは何度か俺の近くにやってきたが、俺を見つけられなかった。いや、今思えば最初から見つかっていたかもしれない。7歳児の隠れ場所なんて、大人の視点から見れば一目瞭然だったはずだ。それを見て見ぬふりしたのは、後からやってきたアイツから隠すためだったんだろう。

「やあ、遊んでいるのかい? ボクも混ぜてよ」

 雑木林にやってきたのは、黒い半ズボンの、ボーイッシュな女の子だった。小学校では見たことのない、知らない子だ。ホムラさんはその子を見て、見たこともない怖い顔をしていた。

「悪心影……!」

「ああ、ニャルラトホテプと呼んでおくれよ。この時代は、そっちの方が有名なんだ」

 確か、そんな名前だった気がする。発音までははっきりとは思い出せない。

 ホムラさんは返事をせず、手を横に薙ぎ払った。するとそこから炎が出て、半ズボンの女の子に襲いかかった。女の子はふわりと跳び上がってそれを避ける。そして、頭上の枝に上下逆さになって貼り付いた。

「やめてよ、火傷しちゃうじゃないか」

 逆さになった女の子の笑顔が、言いしれぬ不気味さを纏っていたのを、よく覚えている。

「あの子をやらせはしない! 悪心影、あなたはここで私が倒す!」

 ホムラさんは火の玉を次々と放って、女の子を攻撃する。でも、女の子はひらり、ひらりと飛んで、炎の玉はかすりもしない。

「流石、信長の中でも随一の炎使いだ。でも……」

 女の子が手を振った。その手が針のように伸びて、ホムラさんの体を貫いた。

「遅い」

 ホムラさんは心臓を貫かれて、口から血を吐いたけど、倒れなかった。その様子を見た女の子の顔から、初めて笑顔が消えた。

「何?」

「このつながりは、放さない……!」

 ホムラさんの体が赤く輝く。女の子は舌打ちして、伸びた手を引き抜こうとするけど、びくともしない。そして、ホムラさんの輝きが最高潮に達した。

火炎属性付与エンチャントファイア

 そう言って自分の体に火をつけたホムラさんは、とても美しかった。まあそのまま焼死したわけだが……俺は心底痺れたよ。

 とにかく、酸欠で倒れていた俺が目を覚ましたころには、何もかも燃え尽きていた。雑木林も、女の子も、ホムラさんも。どうしてそんなことになったのか、ずっとわからなかった。だけど、今の話を聞いてようやく理解した。ホムラさんは、俺を守るために死んだんだ。


――


「そうか……」

 車はホムラさんがかつて住んでいたアパートに到着していた。

「アイツ、普段はビビリの癖に、私が見ないところでだけ格好つけやがって……」

 ウーフーさんは悼むようにアパートを見上げている。今、この部屋には別の信長が住んでいる。この人は信長の自覚があるとか、未来から着たとかそういう話ではないただの茶器マニアなので、今回の騒動には関係ない。

「仕方ない。予定ではホムラと協力するつもりだったんだが……私一人でやるしかないか」

「どうするんです?」

「ミッションは3つある。まず1つは、君の身の安全を守ること」

 まあ、それはそうだ。ようするに、未来でレジスタンスを立ち上げるまで、俺が生き残っていればいいんだから。

「2つ目は、あのNOBUNAGAを破壊すること」

「……できるんですか?」

「わからない。私の銃でも傷一つつかなかった。……だけど、あいつさえ倒せば、四六時中君をボディーガードする必要はなくなる」

 なるほど。いつ襲いかかってくるかわからないロボ信長を警戒するよりは、倒してしまったほうが手っ取り早い。

「そして3つ目、なんだが……」

 ウーフーさんは言い淀んだ。

「なんです?」

「この時代にいるはずの、未来で世界征服する織田信長を、殺す」

「それは……駄目でしょう」

 洒落にならない。やってることは未来の信長と同じだ。未来にやらかす事件の責任を取らされて殺されるなんてたまったものじゃない。

「わかってる、わかってる。そんなこと、私だってしたくない。必要であれば、だ。そもそも信長がどこにいるのか、どんな顔をしているのかもわからないからな」

 ウーフーさんもその意味はわかっているようだ。良かった、そんなに悪い人じゃなさそうだ。

 しかし大変なことになった。未来のために、俺はとにかく平穏無事に過ごさなくちゃいけない。それには一つ、大きな問題がある。

「あの、ウーフーさん。一つ質問があるんですけど」

「何だ?」

「あのロボ信長よりも厄介な相手がいるって聞いたら、どうします?」

「……いるのか? そんな相手が?」

 やはり、信長だから知らなかったか。あれは信長が死んだ後の話だ。

 俺は転生した信長を見分けられる。だが、そもそもこの能力は、信長を見分けるために身に付けたわけではない。もっと身の危険を与えてくる、直接的に差し迫った相手を見分けるために習得したものだ。この能力が本当に必要なのは、再来週、6月12日。

「転生した100人の秀吉です」

 現代の山崎の戦いは、かつてより過酷に、そして熾烈になりそうだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

ヒロイン全員織田信長 劉度 @ryudo

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る