ヒロイン全員織田信長

劉度

前編

 2019年6月2日、日曜日、不運な曇り空! 俺にとっては命日の次に危険な日だ!

「待てぇーっ! 待たんかーっ! コレトーッ!」

 頬を掠めた輪ゴムが電柱に当たる。それを放ったのは、活動的なジャケットとジーンズを着て、両手に改造輪ゴム鉄砲を持った女だ。名前は家長いえなが詩乃しの。世間一般じゃ美少女の括りに入る外見だが、俺にとっては恐怖の象徴でしかない。

 なぜなら、あいつは信長だからだ!

「待てと言っとるじゃろ! わしの話を聞けぇ!」

「断る!」

 俺は道端のゴミ箱を踏み台にしてジャンプし、塀を飛び越える。そのまま、人の家の敷地を横切って、反対側の道路に出た。不法侵入ごめんなさい、でも、このまま突き放す!

 信長といえば長篠の戦い。大量の火縄銃と頑丈な陣地で、武田軍を壊滅させた戦いが有名だ。あいつは、詩乃は信長のその面が特に表に出てるようだ。だから、改造輪ゴム鉄砲なんて代物に手を出しているに違いない。

 さて、詩乃は撒いたが、俺の命の危機はまだ続いていた。

「ねえ、惟任これとうくん。何してるの?」

 咎めるような声。振り返ると、波打つような長髪の少女がいた。こいつは銭洗ぜにあらい霧華きりか。なんだかマネーロンダリングしてそうな名前だが、これでも警察の偉い人の娘らしい。

 だが、もっと大事なことは、こいつも信長だということだ。

「私との約束を破った上に、住居不法侵入ってどういうこと? いくらなんでも、それは見過ごせないよ?」

 霧華はジリジリと詰め寄ってくる。こいつはとにかく決まり事に厳しい。警官の娘ってこともあるだろうが、それ以上に前世の信長の影響が強いんだろう。信長は規律に厳しく、兵士が金を盗んだのなら例え一銭であっても首を切っていた。霧華は信長のそういう性質を受け継いでいる。

「すまん、緊急避難だ!」

 俺は霧華の横を駆け抜けた。

「待ちなさい!」

 当然というか、やはり霧華は追ってくる。俺は横断歩道を渡った。歩行者用信号が点滅するが、構わず駆け抜ける。霧華は――追ってこない。赤信号を恨めしそうに見上げている。あいつはそういう奴だ。

「すまん、また今度!」

「覚えてなさいよーっ!」

 負け惜しみを叫ぶ霧華に背を向け、俺は走り出した。油断はできない。なぜなら、信長――正確に言えば、その転生体はまだまだいるからだ。

「おっ、みっちゃん」

「みっちゃん!」

 噂をすれば、だ。後方から駆け寄ってくるのは、ポニーテールの中学生と、三つ編みの女子小学生。女子高生の方はショートパンツにパーカーという動きやすい格好だ。一方、小学生の方は両手に様々なお菓子を抱えている。

 彼女たちは近所に住んでる姉妹の信長だ。姉の方は能勢のせまい。妹の方は能勢のせ甘実あまみと言う。

「おう」

 彼女たちとは別に約束をしてる訳じゃない。信長だから油断はできないが、雑に対応して怒らせるよりも、普通に対応してやり過ごした方がいいだろう。何でもかんでも武力で滅ぼすだけが武士じゃない。

「買い物?」

「ああ。ちょっとコンビニまで」

「そっか。あ、そうだ! みっちゃん、再来週の日曜日、空いてる?」

「再来週? どうだったかな……何かあるのか?」

「部活の大会があるんだけどさ、良かったら見にこない? 新作ダンスがあるの」

 舞は中学のタップダンス部に入っている。ダンスはよくわからないが、親から聞いた話だと、結構いいセンスらしい。

「どんなダンスなんだ?」

「『敦盛』って曲」

 信長の十八番じゃねえか! やっぱり信長だよ! っていうか、敦盛はいつからタップダンスになったんだよ!?

「ちょ……ちょっーと、再来週は予定が決まってないんだよな。行けたらラインするよ」

「そっか……」

 正直、行ったら火事になりそうで怖い。

「じゃ、そろそろ行くね」

「おう、またな」

 横を通り過ぎようとすると、手を引かれた。甘実が俺の手を掴んでいた。

「なに?」

「あげる」

 甘実は俺の手に飴をねじ込んできた。

「がんばって」

「ほら、行くよ、甘実」

 甘実は舞に手を引かれて、去っていく。俺はとりあえず、もらった飴を食べた。甘い。

 信長も甘党だった。宣教師からもらったコンペイトウに頬をとろかしている様子は、普段の苛烈な様子からは想像もできないゆるさだった。甘実は、信長のそういう性質が濃く出ている。

 ……しかし、頑張れって言ってたよな、あいつ。ひょっとして、あいつも信長の自覚があるんじゃないのか? そうだとしたらかなりマズい。なぜなら――。

「みっちゃん」

 肩をつかまれた。恐る恐る振り返ると、蛇のように鋭い視線の女性が、そこにいた。

「家に居ないから探したよ。携帯にも出てくれないんだもの」

 この人はまくうち穂綱ほづな。俺の叔父の奥さんだ。よく叔父と一緒に来て、小さい頃の俺と遊んでくれた。その頃は嬉しかったのだが、俺が光秀の転生体だと自覚してからは怖くて近寄りづらくなった。だけど、本気で近寄れなくなったのはその後、この人が自分を信長の転生体だと自覚してからだ。

「いやあの……すいません、用事があって」

「真木さんは遊びに行ったって言ってたよ?」

 母さん、余計なこと言わないでくれ。

「それよりも早く行きましょう。今ならまだ間に合うから」

 穂綱さんは俺の手を掴んでどこかに引っ張っていこうとする。

「ちょ、ちょっと待ってください。どこに行くんですか?」

「相撲よ」

「あれ、この前トランプ大統領が来たやつが、最後じゃありませんでしたっけ!?」

「違うの。特別な取組、スペシャルライブ、みたいなものよ。チケットが手に入ったから、独歩と蒔絵とみっちゃんの4人で観に行こうと思って」

 家族水入らずの相撲観戦に俺を連れて行こうってわけ? 確かに信長は相撲が好きだったけど、俺を巻き込む必要はなくない?

「いやでも俺、約束があるから……」

「光秀」

 ヤバい。穂綱さんの目が据わっている。

「貴方、また私を裏切る気なの……?」

 信長の中でも自分が信長の転生体だと自覚している奴らは、俺が光秀なのをいいことに無理難題を押し付けようとしてくる。で、従わないとこのようにキレる。ほんと勘弁してほしい。主従関係は前の人生の話だろ、と言ってもどの信長も納得してくれない。

 仕方ない。こうなったら徹底的に誤魔化してやる。

「いやでも本当に、外せない用事があるんですよ!」

「どんな用事?」

「それは……その……」

 俺は目を泳がせ、言い淀む。

「誰と会うの?」

「あー……」

 腕を組み、目を逸らせて、頬を赤らめる。

「……ねえ、ひょっとして、会うの、女の子?」

 俺は何も言わずに俯いた。否定も肯定もしない。

「ああ、なるほど……そういうことね……それなら仕方ない、かな」

 穂綱さんは自分の中で納得したようで、申し訳なさそうに頷くと、俺の肩から手を放した。

「すいません、穂綱さん」

「いいの。そもそも、急に呼んだ私が悪いし。彼女さんによろしくね?」

 そう言うと、穂綱さんは足早に去っていった。その背中が、角を曲がって見えなくなるまで見送った後、俺は盛大に安堵のため息をついた。

 何とかなった。いかにもそれっぽい反応を見せて、俺がこれからデートだと勘違いさせることができた。なんやかんやいって既婚者だから、あの人はそういう所に弱い。後で起こるかもしれないが、あの人が勝手に勘違いしただけだ。俺は悪くない。よしんば俺が悪いとしても、武士の嘘は武略だから。

「あの、惟任先輩?」

 恐ろしくじっとりとした声が、俺を呼んだ。振り返ると、いつの間にそこに居たのか、ゴシック調のドレスを着た長髪の女子がいた。一瞬誰だかわからなかったが、頭蓋骨をぶら下げたネックレスで、誰だかわかった。こいつは骨塚ほねづかこがね。高校の1個下の後輩で、校内じゃ有名なオカルティストだ。まあ、昔買ってたペットのハムスターの頭蓋骨に金箔を貼ってネックレスにして身につけてるってなったら、有名になるのも当然か。そんなの許す親もヤバいし、学校もヤバイよ。どうなってんだ。

「すみません、今のお話、どういうことですか?」

「え?」

 どういうことってどういうことだ?

「先輩に彼女がいるなんて、私、聞いてませんよ?」

 ああ、そういうことか。聞いたことがないのは当然だろう。彼女なんていないんだから。

「落ち着け。俺に彼女は……」

「どういうことですか? 私を裏切ったんですか? 私は先輩のことが大好きで、ずっと先輩に告白されるのを待っていたのに、他の人と付き合ってるなんておかしくないですか? 前世の縁で先輩と結ばれる運命にあるって、占いでも言ってたんですよ?」

「落ち着け! 俺に彼女は、いない!」

 詰め寄ってくるな怖い!

「じゃあさっきのは何だったんですか!」

「あれは武略だ!」

「……ぶりゃく? 外人さんですか?」

「ああ、違う違う。ごまかした、って意味だ」

「……そう、なんですか。良かったあ……」

 こがねは心底安心した様子で微笑んだ。

「それじゃあ、先輩の彼女はやっぱり私なんですね」

「待て、何でそうなる」

「だって占いでそう言ってましたから」

 占い。そうか、占いか。それなら少し言っておかなくてはならないことがある。

「あのな。占いってのはひとつの基準でしか無いぞ。確かに占いってのは頼りになるけど、物の見方ってのは色々ある。占いだけ見てて、現実を見なかったら酷い目に遭うぞ?」

 これは本当にそうだ。占いの結果に乗って本能寺の変を起こしたら、秀吉にあっという間に滅ぼされた俺が言うんだから間違いない。

「現実って何なんですか。私は先輩の彼女なのに?」

「そこだよ、俺がいつお前に告白した?」

「……あ」

 やはり、こがねは気付いていなかった。占いの結果を見ただけで舞い上がって、肝心の告白というプロセスを踏んでいなかった。信長を討って下剋上を果たしたはいいが、根回しが遅れて秀吉に遅れを取った俺と同じだ。

「じゃ、じゃあ今、告白してくれますか?」

「それは……駄目だ」

「どうして!?」

「人目がある」

 俺は視線を横に滑らせた。離れた電柱の影に1人、道路の向こう側に1人、曲がり角に隠れているのが2人。

「オウ……ジーザス……」

 電柱の影に隠れているのは、髪を金色に染めた女子高生。恐らく、長崎ながさき愛里寿ありすだろう。あいつも信長の転生体で、信長の南蛮趣味の面が強く出ている。ただ、南蛮趣味がインチキカタカナ英語に化けたのは何でだろうか。

「はー、まさかあの2人がねえ……」

 道路の向こうにいるのは、ダボついたジャージを着て髪をまとめている女子。あれは確か、宇津うつ敬子けいこだったか。うつけ、現代で言うと天然ボケが激しい女子だ。多分今も、俺とこがねが話しているのを見て、なにか勘違いをしているのだろう。今度会ったら訂正しておかないといけない。

「あらあら、大変ねえ」

「光秀ェ……」

 そして曲がり角からこちらを覗き込んでいるのは、白澄しらすみ和沙かずさと、たけ羽純はずみ。おっとりした白澄さんは1つ上の先輩で、あまり話したことはないけど、気が利く優しい人だっていうのはわかる。かつての信長も、気に入った部下に対しては妙に気遣うところがあった。

 目つきの悪い羽純はかなり厄介な信長だ。自分が信長の生まれ変わりだという自覚があり、それを盾に無理難題をふっかけてくる。宿題を見せろとか、スイーツショップの列に代わりに並べとか。この傍若無人っぷりは、まさしく第六天魔王だ。

 以上、合計4人の信長が俺たちを見つめている。まさに信長包囲網だ。……信長が信長を包囲する信長包囲網というのは、何もかもおかしい気もするが。

「まあ、そういう訳だ。わかるか?」

「は、はい……」

 衆人環視の中で告白してしまったこがねは、顔を真っ赤にしてプルプルと震えていた。……それだけ見たら可愛いが、日頃の行いと、あとやはり信長なのはどうしようもない。

「ちゃんとした時にこっちから話しかけるから、それまで待っててくれ」

「っ!? は、はいっ!」

 そう言って俺はこがねと別れた。これならもう、向こうから話し掛けてくることはないだろう。

 すれ違いざまに敬子を睨みつけ、俺はその場を後にした。

 さて、どうしたものか。この町には信長が多すぎる。犬も歩けば、もとい、犬千代も歩けば信長に当たる勢いだ。なるべく信長密度が低いところに逃げなければいけない。あるいは、信長が近寄らなそうな所。少し考える。

 うむ、閃いた。あそこだ。

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