第33話 ショウタイ
ローラに会うたび何かが塗り替えられていく……。先日受け取った封筒を抽斗から取り出しながら、ふと、そう思った。
幼いメリッサの魔眼のことはなるべく早く解決したいが、それは巻き毛のエレンとメリッサの姉妹のためだけではない。ローラとどうなるにせよ、彼女らの後の心配はないようにしたいのだ。
たとえば、ローラが東都を出たいと言ったら僕はそうしたい。するとエレンたちのために使える時間は減る。
信用を失いたくないなら、先にエレンたちとの約束を果たせば良い。
ローラのことだけ考えていたいくせに、振った女の子にも悪く思われたくないなんて虫のいい願望だ。しかし、良い人と思われることの価値が、僕とそのへんの野郎どもでは違う。
僕の末路は、反魂術が解けた瞬間に死ぬか、永遠に死ねなくなるか、どちらかだ。
いずれにせよ亡者であることが、ジュゼット家以外にも誰かしらに知られる時がくる。
それでも僕を怪物ではなく「良い人間」として記憶に留めてくれる人がどこかにいてほしいのだ。
解決するまでローラに合わないと決めたつもりは勿論ないが、ローラのくれた券は一度しか使えないという点が気掛かりだ。
しかし今は……会いたい衝動と、このままでは人間らしさを維持するための魔力が枯渇しそうだという焦燥が、天秤の同じ皿の上で合体して懸念事項をはねとばしてしまった。
いま行けば会える!!
僕はローラのくれた封筒から上階層への入場券を取り出した。精緻な紋様に彩られた厚紙の、名前を記入する欄の位置を確認し、記入した。質の良い紙は書き味も良い。
ふと、身体が浮かび上がるような感覚に包まれた。この感覚には覚えがある……まさか転移魔法か!?
ちょっと待て!
聞いてない!
記入済みの入場券を持って6階の入口へ行けば門番が通してくれてローラの住処へ堂々と歩ける……そんな場面を想像していたのに!
このままでは、運が悪ければ僕は……
いしのなかにいる
とはならなかった。
* * *
僕は、ちょっと上等な住宅の中にいるらしい。
植物めいた曲線の飾りに彩られた、優美な部屋だ。
正面に壁、その向こうから確かにローラの気配を感じる。艶やかな黒髪の香りまでも漂ってきそうだ。
左右の両方に通路がある。どちらかがローラの今いる部屋に通じているのだろう。
左の通路にした。左側の壁にトイレか風呂場のような半透明の扉が並んでいる。ローラのいる部屋への扉はまだ見当たらない。奥の部屋に大きな箪笥があるのが見えた。
もしローラが着替えでもしていたら。
見たい。
いや、そうじゃなくて!
ローラもまさか僕がこうも突然に訪れるとは思わないのではないか。迷惑をかけたくない。
チケットに記名したらすぐに転移魔法が発動する……と説明してくれなかったローラにも責任はある。しかしその点はローラに嫌がられてしまった場合に文句を言わせない材料になっても、悪印象を和らげる材料にならない。
せめて自分から到着を知らせるべきだ。
「ローラ、モローだよ。来ちゃった」
返事はない。
少し考え、愕然とした。ラケル氏が僕につけた仮の名前を、ローラは知らない可能性がある。そればかりか僕はローラにどんな名で呼ばれていたか思い出せない。
「君がくれた招待状を使ったんだ。まさかこんなに早く着くとは思わなかったよ。迷惑だったらすまない」
つとめて軽快に愛想良く言ったつもりだが、やはり返事はない。
「ローラ、僕だよ。君に命と右眼を捧げた男さ」
もう離さない……目をあけて……私を守ってくれた人……。
僕は僕に向けられたローラの言葉を覚えている限り反芻しながら返事を待った。
すぐそばにいるのに……。
僕は大きい箪笥のある部屋に入った。いない。箪笥の中を見る必要はない。ローラの気配がするのとは方向が違うからだ。
さらに奥にある寝室にもいない。
風呂やトイレの最中でないことは、留守宅のような静けさから明らかだ。
まさか倒れているのか? 僕の能力によると、ローラに危機が迫ったような感覚はないからそれは違うと思うが……。
これでローラのいる部屋の周りを半周した。戻ってもう一方の通路を行こう。
その前に、気づいたことがある。
ローラの居場所がわの壁に大きな長方形の姿見が掛かっており、そのすぐ脇に指の跡がある。きっとローラのだ。
思わずローラの痕跡をなぞった。
壁が回転扉のように動いた。
隠し部屋だ!
こじんまりとした空間に、長椅子、鏡台、華奢なテーブル、小物入れなどがある。大きな姿見だと思った硝子板は、この部屋から見れば窓だ。
奥の壁際に置かれた鏡台から、いちばん強くローラの気配を感じる。
また隠し部屋の入口かと思ったが、今度は周りを歩いただけで気配の出所の方向が変わる。ローラは至近距離にいるのだ。
鏡台の下半分は小さな箪笥になっている。もしや抽斗がすべて見せかけで、人ひとり入れる空間があるとしたら……。
いやな想像をして半狂乱で調べたが、抽斗はどれも抽斗以外の何物でもなかった。装飾品とか化粧品らしき物とかが入っていた。
残るは鏡のうしろだ。
見ると、鏡と壁の間に何かぼんやりと光る透明な半球状のものが置いてある。
その「何か」からローラの気配がしている。どういうことだ? それをもっとよく見ようとして、鏡をどけた。
淡い光を放つ半球のなかに、さらに厳重に、透明な容器に入ったものがある。
ローラの気配だと僕が信じていた、何らかの力は、その物体から発せられていたのだ。
その物体とは、反魂術に使われたという……
「僕の、右眼だ……!」
なんということだ。
ローラの気配を感じるたび、ローラの心と僕の心が見えない糸で繋がっていると信じていたのに。
僕が引き寄せられていたものは、愛しい人の心ではなく、えぐり出された自分の体の一部に過ぎなかったのか!
* * *
「キミは誰だい?」
知らない声に振り向くと、そこにいるのは、洒落た刺繍が施された上着に、長い脚を際立たせるズボンが良く似合う伊達男……いや女性かもしれない。
いや、彼氏では嫌だからそう思いたいのかもしれない? いやいや、女性でもローラに恋する可能性がなくはない?
ともかくその人物は、姿も声も性別を超えたような妖艶な美しさがあった。
左目を含む、顔の左上の三分の一ほどが仮面に隠されており、それが神秘的な趣を添えている。
「こっちの台詞だ! 僕はローラに招待されて……あれっ?!」
券も封筒もない! ポケットを一つ残らず探っても同じだ。
「アッハハハハハ」
半仮面の麗人は心底愉快そうに笑った。人を笑うという行動に不釣り合いなほどの爽やかさで。笑われるほうとしては余計に腹が立つ。
「キミ、泣きそうな顔をするなよ。あのカードは一度使うと消えてしまうんだ。君を信じるよ。ローラの特別に大切な人なんだね」
素直に喜べない言葉だ。
あの紙のことを知っているということは、この麗人も同じようなものを受け取ったことがあるに違いない。
「私はエヴァン。ローラがこの塔に住み始めてからの友人さ。彼女が私に留守を任せたのは大正解だな。生憎いま出かけているんだ。
さ、キミにも名乗ってもらおうか」
「僕はモロー。ローラの…………」
ローラにとって僕は何だ……?
「亡奴だろ。ローラから聞いてる。一発でアレを見つけるとは流石だね。安心してくれたまえ、私も秘密は守る」
僕がひた隠しにしていたことを、禁忌の術を使った張本人であるローラは他人に話してしまったんだな。秘密を守らせているとはいえ。
「何が流石だよ。僕はローラの居場所を感知しているつもりだったんだ。笑えよ」
「笑えないよ」
さっきは笑ったくせに。
いささか癪に障る相手だが、聞き出したいことが山ほどある。ここは変な意地を張らない方がよさそうだ。留守を任せたローラの判断を信じて。
「……ローラはどこへ行ったのか、知ってる?」
「うるさく詮索しないのが友情を保つコツでね。私は知らないんだ」
なんてこった!
もうチケットはない。まだ金のトークンもない。ローラの行方も分からない。ここに来て何の成果もない。
いたたまれないが、自室に逃げ帰ったところで何にもならない。
「じゃあ、アレは……僕の右眼はいつからそこに置いてあるんだ?」
「今日の昼さ。彼女がちょっと長いお出掛けに出発するとき、言い残していったんだ。これを見つける人がいたら宜しく、って。得意の結界で大事に保管してね」
僕の心の痛みが少し治った。僕が察知していたのはローラ自身ではないが、よすがとなる物をローラも大切にしていた。
でも浮かれず情報収集だ。何しろここを再訪する手段は今のところ無いのだから。
「あんたが、ローラをこの塔に匿っているののか?」
半仮面に隠れていない方の眉が顰められた。
「その一端を担っているのは確かだが……それは少し入り組んだ話で、私の独断で言えない。ローラに会えたら聞いてごらん。ちなみにこの部屋を作ったのは私さ。なかなかのものだろう」
「あんたの隠れ場所も作ったんだな?」
「ああ、じつは天井裏にいたのさ」
奇妙な友達もいたものだな、ローラ。
呆れついでに、ある意味いちばん気になる質問をした。
「……あんたとローラは……その……」
答えを聞くのが怖い。
「色っぽい話を期待しているなら、それは違うよ。あくまで私個人の意見だが、美女には美男が相応しいのさ」
「期待するもんか! え……じゃあ、あんたは女の人なんだ?」
「何故?!」
「だって……ローラとあんたが美女と美男じゃないとしたら、あんたは女ってことだろ」
半仮面の麗人は相好を崩した。
「そうかそうか……参ったね、これは」
キリッとした顔立ちは一変、頬が緩みまくっている。さっきまでの方が綺麗だったな。
「ねえ、これはキミが来たら言おうと思っていことだ。いまの言葉にはしゃいでいるわけじゃない」
「どっちでもいいよ。何だよ」
いま気づいたが、僕の発言はこの人の美貌を認めるもので、それが相手を喜ばせたようだ。この人は本当はどっちだ? 男だとしたら、彼の理屈では美男は美女に相応しいことになってしまうが……。そんな奴がローラの部屋の天井裏に隠れることが可能だとは……。
緩んだ頬のまま、彼または彼女は語る。
「ローラの行き先は知らないが、こうも言っていたよ……記憶を失わせてしまった友達に、せめて埋め合わせをしたいって。ひょっとしたら、キミが来る前に用を済ませて戻るつもりだったのかも」
ローラが僕のことを考えてくれるのは嬉しいが、この部屋で待ち続けるのは無理だ。ローラ専用魔力感知だと思っていた僕の能力はもう使えない。
どうするか……。
「キミは芝居は好きかい?」
「いいや。金持ちの見るものだろう」
「そうでもないよ。じゃあ、小説は?」
「……覚えてない」
「まあいいや、物語と現実は違うが、この際は物語のお約束も手掛かりになるだろう」
ローラの留守を預かる人物は、いつの間にか澄まし顔に戻っていた。
「行方をくらました大事な人が見つかるとしたら、たいてい思い出の場所なのさ」
(第1部 完 )
(第1.5部へ続く)
君が僕と果てるまで 【第1部 完】 蘭野 裕 @yuu_caprice
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