第32話 分配

 暑くても帰りは楽だ。

 穿月塔を目印に歩いていけば良い。


 昼飯時に人通りが少ないのは、ここが住宅地だからだろう。塔やまわりの下町みたいに、辺りで働く人たちが食堂や惣菜店に繰り出すわけではない。まして今時分は暑い。


 さっきの話を思い返す。

 姉妹のせいで婚約が破談になった女性の話となると、銀髪のリデル様が思い出されていささか心苦しかった。ロザリーさんは妹さんと遺恨はあれど、遺品を託される程度には信用しあっていた。

 リデル様は……?

 そういえば、婚約者のことをどう思っていたのだろう? ロザリーさんは彼への想いをついに口にしなかった。みじめな印象を持たせまいという矜持か、それとも政略結婚とはそんなものなのか。


 リデル様が婚約者を愛していて結婚を楽しみにしていたなら、そのぶんローラへの恨みは深くなるだろう。それは困る。

 しかしだからと言って、将来を考えた相手でも愛情がなければ破局も悲しくない……などと想像したくない。

 リデル様がそんなふうに薄情だったらイヤだな。悲嘆にくれていてほしい訳では決してないけれども。


 ふと、重要な変化に気づいた。ローラの気配を再び感じられるようになった!

 ローラが穿月塔の上階層に帰ってきた!


 僕は全速力で走りだした。ローラのいる方へ。まだ仕事中だし塔に着いてもすぐにローラに会えるわけではない。

 けれど、蘭奢の黒髪をなびかせて上階層のきらびやかな景色のなかを歩くローラを思うと、慕わしい気配のほうへ近づいていくのがとても嬉しいのだ。


 塔の先端だけを見て思いきり駆けているうちに、僕は。

 すっかり足が重くなったところで、袋小路にはまったことに気づいた。


 とにかく道の分かれ目まで戻ろう。そしてさっき選ばなかった方へ行こう。意外に長い道だ。しかも日陰がない。

 

 暑さでくらくらしてきた。あしが重い。腹へった。

 ついさっきまで支障なく身体が動いていたから考えもしなかったが……。

 僕も亡者のなかの例外ではなく、日光によわいのでは?

 ローラの気配を感じられなかったあいだ、じつは魔力の供給を受けられなかったのでは? そも、ローラの気配をかんじるのと魔力をわけてもらえるのとは、同じなのか?


 かんがえているうちに、道のわかれた所にもどった。さっきと違うほうを……。

 ……あれ、どっちの道をあるいていたんだっけ。

 ……頭までぼうっとしてきた……ローラたすけて! そうだ、白いローラみたいな女の子がくれた薬を…………おいてきてしまったんだ、僕のへやに。ともかく……。

 

 ……にくたべたい。


 ガサッ、と茂みのかげからきこえた。

 そこにいたのは兎だ。

 

 えものだ!!


 僕はすばやく、そいつをつかまえた。

 じたばたしてうるさい。

 とおくから甲高い声がきこえた。

 獲物はうでの間をすりぬけ、声のほうへ逃げてしまった。がっかりだ。

 

 しかし、さっきと同じ甲高いこえがまた聞こえて、目のまえに鶏の揚げ物があらわれた。うまかった。


「見つけてくれて、ありがとう! もう一つ食べる?」

 その声の主が兎を抱いていた。フリルの多いワンピースを着た少女だ。

 兎よりこいつの方が食いでがある、と一瞬思った自分に慄然とした。

 

 年はエレンとメリッサの間くらい。どうやら僕を、迷子のペットを保護しようとしたと思ったらしい。それでお礼に揚げ鶏をくれたのだ。彼女の弁当だったのだろう。

「すまないね……いただくよ」

 この子も空腹かもしれないのに好意に甘えては格好つかない。だが、さっきのようになるよりマシだ。


「すまないよりも『ありがとう』だよ、こういうときは。お礼を言うのはボクのほうだけどね」

 よくみると男の子だ。話に聞く、早死にしないように女の子の服を着せる習わしか。


 2つめの鶏肉を食べようとして僕は手を止めた。くっついていた香草の匂いが少し苦手だった。男の子はそれに気づいて、香草を指で弾きとばしてしまった。上品な育ちにしては意外な行動だ。

 僕はかまわず食べた。


「お兄さん、思ったより怖い顔じゃないんだね」

 腕のなかの兎を撫でながら彼は言う。

「さっきは怖かった?」

「うん。お祖父ちゃんに聞いた亡者みたいだった」

 なんてこった! そいつはまずいな!

「ああ…………焦ってたんだ。家畜泥棒にでも捕まったら二度と飼い主の家へ帰れないからな。そうならないように、しっかり守ってやれよ」

「うん!」


「坊っちゃまー!」

 女性の声のほうに男の子が顔を向けた。

「もう行かなくちゃ。ありがとう! じゃあね。お兄さん」

 兎を早く探しに行きたくて家を抜け出した坊ちゃんを、召使いが探しに来たのだろう。

「待って」

 ワンピースの裾をなびかせて振り向いた彼に尋ねた。

「穿月塔へはどう行けば良い?」



 何のことはない。大通りに出るまでは、穿月塔よりも両替商の建物を目印にすれば良かったのだ。教えてもらうまで失念していた。


 奥歯の脇に入れていた魔鉱石を新しいのと取り替えることも思い出した。

 交換するところを人に見られてはいけないが、1人になってもしばらく忘れていたのは暑さで頭が鈍っていたからだろう。



  *  *  *

 


 事務所に帰りつき、室長の席へ依頼の品を渡した。もう午後のお茶の時間になっており、ドナ室長は氷苺の器を手にしていた。

「おつかれさま。まずはシャワーを浴びてきなさいよ」

「僕の氷苺は?」

 喉が乾いていた。

「山ほどあるから心配しないで」


 僕はじっさい汗臭くなっていた……とシャワー室で服を脱いで気づいた。鏡の前で眼帯を外してみると、眼球のあった所の血色からあまり調子良くないのが分かる。


 シャワー室は工房と同じ並びにある。

 相談室と研究室をつなぐ通路の横だ。

 この通路とその両脇の部屋は、研究室の職員と相談室の職員の共有の場と言える。


 シャワーを済ませて戻るとき、円いテーブルと椅子が置かれた談話室が見えた。そこでは、ともに甘党の魔術師と弟子が、氷苺を山盛りにして貪り食べているのが見えた。

「蜂蜜を取ってくれんかの」

「師匠、蜂蜜はもう空ですよ」


 席に戻ると、セロさんとサリアさんも工房を出てきていた。

 氷魔法で凍らせた苺を、炎使いのサリアさんが解凍してくれるのだ。器いっぱいの氷苺を机に置いてくれた。なぜかセロ氏まで来た。


「まだ食べていないのはモローくんだけですからね。サリア、これで最後です」

「またやるの。普通の解凍でよくない?」

「私はまだ見飽きておりませんので」

「仕様がないね。じゃあ一度だけだから」

 僕には一度だけでもサリアさんは飽きるほど解凍したらしい。


「美味しくなあ〜〜れっ!」

 ヤケ気味ながらいい笑顔だ。褐色の肌に白い歯が眩しい。小さな牙が見えた。キバ族で日焼けしている人を北部で見たことはなく、いかにも東部の人という感じがする。

 両手の指でハート形をつくると、ハート形の炎の輪が氷苺に向かって飛んでいく。

 炎魔法と氷魔法が相殺しあって、氷苺は摘みたての新鮮さを保った生の苺となった。


「あーあ、疲れたっ!」

 照れ隠しのように言って立ち去るサリアさんに、ごちそうになりますと言った。



 こうして魔眼封じのレンズは相談室の所有物となった。幼いメリッサのために確保できれば良いのだが。

 室長が受付にいて来客が途切れたとき、話してみた。


「寄贈品を、必要とする人に確実に届けるには……と思案しておりました。

 強力な魔眼の持ち主は稀とはいえ、物は一つしかないので希望者が複数いれば足りなくなります。

 そこで、寄贈品のことを普段は所内だけの秘密にしておいて、必要とする人に心当たりがあれば申し出る……というのは如何でしょうか」

「そうね。それが良いと思う」

 僕の案はすんなりと受け入れられた。

 

「アイテムの魔力値は計ってみた?」

「いけない、まだでした」

 室長にさっき渡した箱の中身を出してもらう。

「一般に魔力を封じるアイテムは、それ自体の魔力値が高いほど、魔力を封じる力が強いのです。魔眼封じのレンズなら、同じ数値までの魔眼を封じることが出来ます」


 幼いメリッサの魔眼は、姉のエレンよりも強い魔力値に達するだろう。エレンの値は7。

 魔眼封じの仮面に魔力計を近づけてみると、丁度7の目盛りで針が止まった。


 これは……微妙なところだ。石化の魔力は魅惑の力などと違って、少しなら当てられても大丈夫、とはいかないだろう。

 確実に封じる方法が見つかるまで秘密にしてほしいというエレンたちの望みもある。


「ところで、こういう物って強化出来るんでしょうか?」

 前から気にしていたのではなく、今ふと思い浮かんだ疑問だというふうに聞いてみた。

「出来なくはないでしょうけど」

ドナ室長は小首をかしげる。

「魔力値7って……魔力封じのアイテムではかなり強力よ。人の魔力値7なら、ある程度以上の魔術師には珍しくないけどね。

 その強力なアイテムをさらに強化するのは簡単ではないわ」


「素材が要るね」

興味深そうに聞いていたサリアさんが言った。

「魔力を蓄積する能力に富む、それにレンズを曇らせることなく補強できる素材ね」

 メリッサの眼のことはもう少し時間がかかりそうだ。


 魔眼封じの仮面をドナ室長に返し、室長がそれを箱にしまおうとすると、

「あら、底に何かあるみたい」

 箱の底に敷かれた布を外すと、金貨が2枚とメモが入っていた。

「新しい持ち主に代わってお礼を致します、ユーミズ、ですって。相談所にお金を払えないような貧しい人をも助けたいということね」


 ユーミズ家で聞いた話を記録して書類の記入を済ませると、僕の今日の仕事はひとまず終わりだ。

 

 もうすぐ会えるね、ローラ。



 

(続く)

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