第3話

「肩肘を張るなよ。多少の緊張感は必要だが、貴様のそれは度が過ぎる」

 翌日、市街へ降りる前にリギルさんに声をかけられた。鎧を身に着け馬に乗ったリギルさんは、既に仕事モードだ。

「……はい」

 返事をすると、「肩肘を張るなと言われて余計に恐縮してどうする」と笑われ、つんのめるほど強く背中を叩かれた。見上げた先で、金色の双眸が笑みの形に歪んでいる。

「いざとなったら俺を呼べ。どうとでもしてやる」

 そのまま再び背を叩かれ、送り出される。

「……緊張してる理由、そこじゃないんだよなあ……」

 馬を走らせながらひとりごちる。


 臨時でポーンを任されたとはいえ、毎日が毎日戦闘になるわけではない。その日の警備はいつも通りだ。――いつも通りのはず、だった。

 来ると予測されなかった場所に黒が入り込んできて、慌てて状況を確認する。人数、およそ三十。来るという予測が無かったとは言え、想定されていなかったわけではない。だが、

「アルフとユガは交代してくれ。アルフがA7へ、ユガはB6へ」

「遠回りになる! 黒に遅れを取るぞ!」

「この前戦った黒のナイトがいる、アルフの方が相性がいい! 多少の遅れは取り戻せる!」

「……了解!」

 咄嗟に隊を組み替えた。焦っていたというのがおよそ正確なところだろう。正しい判断をしなくてはならない、正規のポーンに比肩するだけの働きをしなくてはならない、そういう焦りが、おそらくあった。


 結果だけを言えば、負けずには済んだ。けれどそれは俺の采配のためではなく、リギルさんの奮闘のおかげだ。俺は戦闘の最中にリギルさんに援護を要請し、文字通り一騎当千の力を借りて、どうにか戦線を守ったに過ぎない。そしてそれは、五隊が五隊の役割を十分に果たせなかったことを意味する。

「申し訳ありませんでした」

 帰投したあとで謝ると、リギルさんは表情を変えずに「何を謝ることがある?」とだけ答えた。

「……自分の能力が足りないばかりに、お手を煩わせました」

「急な采配を行ったのはこちらだ。貴様が気に病むことではない。大して怪我人が出たわけでもないしな」

「しかし」

「自分の力量を見誤るな」冷たい声が頭上から降ってくる。「事実できなかったことを『できたはずだ』と思っているなら、それこそ目に余る自惚れと知れ」

――返す言葉もない。自分の力量を見誤った、それすら自覚していなかった。リギルさんはあっという間に踵を返してその場を立ち去ってしまった。


 俺もまた自室に戻ろうとして――人通りのない場所にいて、それでも部屋まで耐えきるということができなかった。誰も居ないのをいいことに、その場に屈み込む。

「っあー……くそ……」

 期待を裏切ったのだとしても、最初から期待されていなかったのだとしても、どちらにせよ暗然としてしまう。鬱ぐことにメリットはない、何のためにもならないと繰り返し言い聞かせたところで、慚愧はやまない。

 おそらく、能力以上の期待をしてしまっている。ポーンですらない下等兵の自分が、騎の位を持つリギルさんの役に立とうなど、土台無理な話なのかもしれない。それでも、役に立ちたかった。せめて足を引っ張らずにいたかった。

「大丈夫ですか」

 声をかけられて振り仰ぐと、リコさんがこちらを見下ろしていた。慌てて居すまいを直し、膝をつく。

「失礼しました。気が付きませんで」

「いえ、たまたま通りかかっただけなのでお構いなく。気分が悪いようでしたら人を呼びますが」

「――いえ、大丈夫です」

「そうですか? 顔色が悪いようですけど」

 言いながらリコさんは俺の前にしゃがんで、何の躊躇もなく額に触れてきた。「大丈夫」と言おうとした声が「だ」のところで盛大に裏返る。

「……いじょうぶです」

 額に残った小さく冷たい手のひらの感覚に体温が上がる。というか、睫毛の一本一本すら視認できるような距離まで近づいて来られた時点で大丈夫なものも大丈夫ではなくなってしまう。却って具合が悪くなりそうだ。

 リコさんはころりと首を傾げてしばらく俺の顔を凝視したあとで、おもむろに立ち上がって咳払いをした。真紅の瞳が俺を見下ろす。

「己を軽視してはなりません。傷も疲労も、見て見ぬふりをしては十全に動けない。傷を認め、疲労を量り、適切に休む。それも仕事の内です。……とまあ、自分の部下に対してならこのように言います」途中から再び屈んで、俺に視線を合わせた。「彼も、仕事中だからああいう形式張った言葉を選んだんでしょう。気に病むことはありません。まあ、『目に余る自惚れ』は言い過ぎなので、こちらでお説教しておきます」

「……聞いていたんですか?」

「いいえ、聞いていません」

 ならばなぜ、俺が言われたことを知っているのだろうか。俺の疑問を置き去りに、リコさんはぱっと立ち上がって話を終わらせた。

「では。きちんと休んでくださいね」

「ありがとうございます」

 やはり、よくわからない人だ。気を遣っていただいたのは確かだろうが、

「……硬かったな」

 リコさんとて軍人で、得手としている武器は大剣だ。あの小さな手と細い腕で、どうやってあの大きな剣を振り回しているのかはわからないが、手のひらの硬さは間違いなく軍人のそれだった。

――まだだ。まだまだだ。

 自分の顔を両手で張って、立ち上がる。

 役に立ちたかった。せめて足を引っ張らずにいたかった。でも今の力量ではそれができない。ならば、訓練するしかない。いつか、あの人の力になるために。

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盲の忠犬 豆崎豆太 @qwerty_misp

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