第2話

 二局目は俺の優勢だった。リギルさんは劣勢になるとことさらに楽しそうに笑う。楽しい半面、その笑みに緊張するあまり自分が不利になるような手を打ってしまって不興を買うこともある。もちろんわざとではなく、感覚としてはと例えるのが近い。その感覚に耐え続け、もう少しで勝てる、という段になって、コツコツとドアをノックする音がした。一瞬ぎくりと肝を冷やしたが、向こうから呼びかけてくる声がリコさんのものだったので胸を撫で下ろす。

「ドアを開けてもかまいませんか」

「あ、今開けます」

 リコさんはRookの称号を持つ上等兵の女性だ。左目に大きな傷があり、右目を片眼鏡で覆い、紺色の髪を複雑な形に編んで結い上げている。リギルさんとは旧知の仲であるらしく、当人曰く「ここにいるのを唯一知っている人間」だそうだ。それだけ信用しているならあちらと遊べばいいと言ってみたこともあるが、「ボードゲームのセンスが壊滅的」なのだそうで、戦場においては理知でもって軍を動かし戦果を上げている彼女が、どれほど壊滅的なセンスで駒を動かすのかは見てみたい気がする。

「ああ、やはりここにいましたか」

「何か用か」

「いえ、私ではなく、ヌシドさんが血相を変えて探していましたよ。また怒らせる前にお部屋に戻られては?」

「ん、そうか。ではそうしよう、楽しかったぞフェムト」

 リギルさんはにこりと笑うと、立ち上がる動作も無しに、つま先から光の粒になって消えた。


 軍の何割か――正確に言えばこの国の何割かの人間には、異能と呼ばれるものが備わっている。先天的に備わっている者、後天的に芽生える者、あるいは訓練をして身につける者など様々だ。訓練をして身につけた者だけは己の能力を選ぶことができるが、先天的あるいは後天的に芽生えたものには性能の面で及ばない。一方、自然に備わった異能は強力でも能力自体を選べないということもあり、キャリアアップと絡めて考えるとなかなかに難しいようだ。

 リギルさんの異能は瞬間移動。これは日常的にも、戦闘においてもかなり役立つ。使いようによっては奇襲で敵の本拠地を壊滅させることも可能なほどの能力だが、本人は「味方を守るのが目的であり、敵を滅ぼすのが目的ではない」と言っては頑なにそれを拒んでいた。そういうところは心底から敬服している。

「ああそうだ、フェムト」

 一度部屋を去ったリギルさんが目の前に再び現れて、つい「うわ」と声を上げた。

「『うわ』とは何だ、上司に向かって」

「すみません、つい。何か忘れ物ですか?」

「眼鏡の度が合っていないだろう。あとで申請書を出しておけ」

「はあ」

 気の抜けた返答しかできなかった俺を尻目に、リギルさんは再び姿を消した。一体どこまで部下を見ているのだろうか、あの人は。

「フェムトさん」

 息をついたところにまた、今度はリコさんに声をかけられる。というかまだそこにいたのか。完全に意識から抜け落ちてしまっていた。

「はい、なんでしょう」

「本当に迷惑だったら私に言ってくださいね。こちらでなんとかしますので」

 リコさんがひらりと手のひらをこちらに示す。リコさんの異能は記憶操作で、対象に手で触れなければ発動できないものであるため、戦場の第一線においてはほぼ役に立たない。当人は「暗殺向き」と冗談を(にこりともしていなかったがおそらく冗談であろうことを)述べていた。

「……冗談か本気かわからないです……」

 言うとリコさんは「ふふ」と笑うような声を漏らしたが、表情は少しも変わらないので、やはり「おそらく冗談だったのだろう」という推論を立てることしかできない。

 リコさんは本来、役職的にも地位的にも俺が会話などできる相手ではないのだが、リギルさんのおかげで多少の冗談(らしきもの)を交えた会話ができる程度には親しくしてもらっている。

 リギルさんとリコさんが去ってようやく一息つけるかと思っていたら、入れ違いにアルフが現れた。アルフは同じ騎第五隊の下等兵だ。

「……今リコさんとすれ違ったんだけど、お前なんかやったの?」

「いえ、別に。何か連絡ですか」

「全体ブリーフィングやるって。十五分後にA室」

 十五分後。リギルさんの着付けが間に合うのかどうか。というか、十中八九間に合わないんじゃないだろうか。そう考えてから、勝ち逃げされたことを思い出した。


 中央軍内はKnightの称号を持つ人間をリーダーとする攻撃部隊、Rookの称号を持つ人間をリーダーとする守備部隊、僧侶Bishopの称号を持つ人間をリーダーとする諜報部隊の三つに分かれる。それぞれ複数のチームがあり、一人のリーダーの元に四人の歩兵Pawn、その更に下に、称号を持たない俺のような人間がそれぞれおよそ十人ほど従っている。中央軍の他、同じ形式の軍が東西南北と主要な都市に置かれ、連携を取りながら治安を守っている状態だ。最高指揮官は都市軍ならば都市の首長、中央軍は皇太子となる。もちろん些細な指示をいちいち皇太子が行っているわけではないが、叙任を始めとする最高決定権は常に皇太子が持っている。

 俺の所属は騎で、間接的にはリギルさんの部下ということになる。念願叶って中央軍の騎隊に配属された日の喜びを思い出すと今でも身が引き締まる思いがするが、その反対側でわずかに虚しい。親しみやすいと言えば聞こえはいいものの、限度というものがある。


 慌てて水を浴びて服装を整え、指定された部屋へ滑り込む。下等兵は既にあらかた集まっており、五分程度を待ってポーンが揃った。案の定、リギルさんは来ない。騎隊の全体ブリーフィングなので来るはずだが、まあ、この短時間で着替えられなかったのだろう。ポーンの一人が話し始める。

「黒軍の動きが活発化している。僧侶隊の読みでは明日から明後日にかけてまた攻勢に出るだろうということだ。警戒エリアは東GからH、一隊から四隊が東に詰める。他は揺動に気をつけつつ、通常通りの警備に当たってくれ」

 俺の所属は五隊だ。つまり明日は通常通りの警備となる。とはいえ黒が動くならば通常よりは厳戒することになるだろう。しかしそれだけならば全体ブリーフィングの必要はない。本題は五隊のポーンだろう。

 第五隊のポーン、つまり俺の直属の上司にあたる人は、先の戦闘で大きな怪我を負った。というか、一度死んだ。亡骸を背負って帰ったのは他でもない俺自身だ。固く冷たい死体の感覚は今も詳細に思い出すことができる。

 蘇生魔法と回復魔法を用いれば、肉体はほとんど完全に修復することができる。問題は心の方だ。いくらトレーニングを積んだ軍人とはいえ、死の瞬間に恐怖を抱かない人間はいない。肉体だけをどんなにきれいに治したところで、戦えなくなる人間は一定数出る。

 リコさんに曰く、異能を使ってのメンタル面のを頼まれたこともあるらしいが、「恐怖を忘れればそれで済むというわけではない」とのことで、おそらく現在も下等兵には見えないところでそういう議論が続いているのだろう。死の記憶なんかは忘れた方が幸せじゃないかと思うが、本人に頼まれたのならいざしらず、戦線に復帰させるためにそれを使うのは確かにあまり良くないように思う。それでは操り人形と同じだ。

「先日負傷した五隊のポーンについては――」

 司会のセリフがそこで途切れた。見ると、部屋の入口からリギルさんが入ってくるところだった。

 位袍に身を包んだリギルさんは美しい。幾重にも透かしの入った袍、後頭部で括られた白銀の髪、気品と気迫に満ち、かといって恐れるでも気圧されるでもなく、その場にいる誰もが自然と跪いて頭を垂れた。司会をやっていた一隊のポーンが一歩下がり、リギルさんに場所を譲る。

「遅れてすまなかった。続きは私から話す」

 そう言ってリギルさんが話し始める。その堂々とした話しぶりは、威厳があると言うならそれでもいいのだが、遅刻の理由を知っていると開き直りにしか見えない。

「先の戦闘で負傷した第五隊のポーンが、まだしばらく戦線に復帰できそうにない。最悪の場合で除隊もありうる。そのため、特例的かつ短期的に配置換えを行う。フェムト」

「――っはい」

 唐突に名前を呼ばれて、一瞬声が詰まった。


「臨時でポーンを任せる。第五隊を統べよ」


 チャンスを貰った。

……などと、素直に思えるほど前向きな性格ではない。なんなら「なぜ俺が」という気持ちの方が余程強い。経歴で言っても、戦果で言っても、俺が適任だとは到底思えない。それでも、指名されたからにはやるしかない。

「かしこまりました」

 深く頭を垂れ、隊に向き直る。一部の人間は嫌悪感を隠しもしない。苦笑を噛み殺してブリーフィングを終え、素知らぬ顔で部屋を出る。

 男娼と謗る声が聞こえていないわけではない。それでも折れるわけにはいかない。ここで折れても、誰のためにもならない。後ろめたいことなど何も無いのだから、今は目の前の任務を全うするだけだ。

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