盲の忠犬

豆崎豆太

第1話

 リギル・ウルスは国一番のナイトと呼ばれる男だ。


 美しく豊かな白い髪、同じく白い愛馬、戦場で一切の傷も負わず、また一切の返り血も浴びないことから、ついた恐名おそれな白檮杌はくとうこつ。国中の尊敬と羨望を集めてやまない、Knightの称号を持つ上等兵だ。

 長い髪は権力と富の象徴、髪結いと呼ばれる人間を雇うことができるという証左。同じように彼が公式な場で身につけている位袍も、富と権力の象徴だ。繊細な刺繍の施された美しい布をふんだんに使い、一人では到底着付けられない複雑な構造を持つその服は、着付け役をどれだけ雇えるかという物差しにもなる。彼が髪を結い上げ、あの服を着てそこらを歩くだけで、それは権威の表明となる。


 とはいえ、それは彼のの話である。


「フェムト。戻ったか」

「リギルさん、僕の部屋に逃げ込んでくるのやめてくださいって言ってるじゃないですか」

 当人は俺の部屋のの粗末な椅子に逆向きに座り、干菓子せんべいを噛みながら一人ペグソリティアをやっていた。軍舎の個人室は狭く、簡単なベッドと簡単なテーブル、椅子を置いたら足の踏み場がなくなるほどだ。自室はこの部屋の十倍近い面積とホスピタリティがあるだろうに、わざわざ尋ねて来るのだから気が知れない。

「あまりにもあちらこちらから尊敬されるというのも疲れるんだ。たまには君のような無礼な人間と過ごさないと肩が凝ってたまらない」

「たまにとか言って三日に一遍は来てますけどね。また戸棚を勝手に漁ったんですか」

「煎餅の隠し場所を知っているからな」

 リギルさんは両目を三日月の形にしてにやにやと笑う。無論、部屋中を探し回られても困るので常に定位置に仕舞っているのではあるが、それを言うと本当に家探しを始めそうなので口にはしない。こんな部屋、二十分もあれば隅から隅までひっくり返せてしまう。

 元々は彼に憧れてこの軍に入ったのだが、ひょんなことからゲーム趣味がバレて以降、気のおけない友人であるかのようなペースで部屋に上がり込まれている。かつての尊敬は、粗末で趣味の悪いさん――と呼ぶのも躊躇われる、布の真ん中に首を通す穴を開け、脇の下を縫い付けただけの粗末なもの――に身を包み、丈の短い野袴のばかまを穿き、髪を放り出して煎餅を貪っている姿を見ればしおしおとしぼんでしまう。もちろん余暇の服装まで規定があるわけではないが、それにしたってあまりにもひどい。

「そんな物乞いみたいな格好、人が見たら泣きますよ」

「この暑いのにわざわざ服を着ているだけでも滑稽だ。肌を隠すのが礼だと言うならこれで十分だろう僧侶Bishopの連中など服の上に服を重ねるんだから気が知れない」

 本当は髪も暑苦しくてたまらない、こちらは脱ぎ着できないから不便だ、とぼやきながら、ソリティアのガラス玉をつまむ。腰の中ほどまである長い髪が暑そうなのは事実なので同情しないでもないが、ならば結い上げた方がいくらか涼しいのではないだろうか。

「一応訊きますが、今回は何のご用向ですか」

「いつも通り、ただ遊びに来ただけだ。なにか悪いか」

 当人に全く悪びれる様子はなく、ついため息をついた。本来上司に対して取るべき態度ではないが、甘えというか慣れというか、あるいは気恥ずかしさを誤魔化すためか、ついそういう態度を取ってしまう。

 リギルさんは騎の称号を持つ人間の中でも、一際の異彩を放っている。見目に麗しく、馬を走らせても剣を振るわせても人を使っても、右に出るものはまずいない。皇太子ですら一目置き、格別に扱うほどだ。そのリギルさんに友人のように振る舞われて、それを素直に受け入れることができるほど、俺は人間ができていない。

「別に悪くはありませんけど、特に見るべきところも無いのに妙に気に入られてるから大変なんですよ、金を積んだんじゃないかとか弱みを握っているんじゃないかとか、果ては肉体関係まで疑われて――」

「見るべきところが無い?」

 リギルさんが片眉を上げてこちらを見た。金色の瞳に縫い付けられて体が固まる。

「それは違うな。君は目端が利くし判断力もある。少々卑屈ではあるが、ここぞというときには押し負けないだけの強さも持っている。第一、誰にも長所のひとつやふたつはある。人をして『見るべきところが無い』なんて評価する連中は、そんなだから出世できんのだ。君を含めてな」

 これだ。

 誰よりも高い能力と然るべき地位を持っていながら、末端の部下を何の躊躇いもなく褒めてみせるこの性格。人望が篤いのも当然だが、俺としては心臓が持たないので勘弁してほしい。

「そういう話ではなくてですね……」

「御託はいい。早くそこに座れ」

 うきうきした様子で対面を指され、つい、またため息をつく。訓練が終わったばかりなのだから、せめて水を浴びる時間くらいはほしいのだが。

「チェスの相手くらいいないんですか、同期とか」

「頭の固い連中はすぐに仕事の話を始めるからな。ボードゲームの戦略の話がいつの間にか現実の戦略の話になっている。趣味を趣味として楽しめないような連中とは遊ぶ気も失せるというものだ」

「はあ。大変ですねお偉方は」

 この国ではここ数年ばかり紛争状態が続いている。元を辿れば十年や二十年で済まない禍根があるのだろうが、決定的に「内乱」という形にまでなったのはここ二年というところだ。国王政府率いる「白」の軍と、反乱分子である「黒」の軍。その内実は富裕層と貧困層の争いで、黒軍の言うこともわからなくはないが、だからといって国中を混乱に陥れることをよしとするわけにもいかない。白軍が国内の秩序を守り、その間に王政府もできるかぎりの法整備をして妥協点を探っているものの、黒軍側の要望は際限がなく、富裕層の反発も強いので、国は未だに真っ二つだ。

「ままならん話よな。富裕層からすれば自分たちの努力の結果を奪われるのは厭だろうが、貧困層の側は土台努力することができない。まず食うだけで精一杯、その上で成り上がれる人間など一握りもいないだろうよ。しかし国民すべての衣食住を保証しようと思えば、結果としては富裕層を絞ることになる」

「絞られる側からすれば『努力もしない人間』のために自分の腹を切ることになるわけですからね」

「自分の腹は子孫の腹だ。他人を食わせるくらいなら貯金でもして、子々孫々に食わせたいだろうさ。――チェック」

「……お見事でした」

 こちらのキングを蹴り倒したビショップをつまんだまま、リギルさんは深々とため息をつく。軽く伏せられた目に長いまつげが影を作り、ぞっとするほどに美しい表情を作る。

「役人の腹を切って金を捻出する手もあるだろうが、金に窮した役人は金に釣られて腐敗するからな。誇りひとつで清廉潔白にあれる人間などそうはいない。役人に憧れる者が減れば全体の質も下がる。瀟洒であること自体にもそれなりに意味があるものだ」

「お言葉ですけど、今その格好で言われても説得力がありません」

「はは、それは確かに。だが私が窮していないことくらい、君は知っているだろう?」

「ええもちろん。しかし憧れを無碍にされていることに不服はあります」

「ほう。ならば次は衣袍でここに来るとしようか」

 リギルが視線を上げてにやりと笑う。俺は一度その光景を想像してみて、頭を抱える。何しろ上等兵の位袍は裾が広くて、それだけでこの部屋の床面積が半分は埋まってしまうほどなのだ。第一、あの美しい袍はこの狭く古びた部屋にはあまりにもそぐわない。ささくれた床板に引っかかって裾の刺繍がほつれたりなんかした日には、俺の給料が軽く数カ月分は吹き飛ぶのだろう。

「それはそれで勘弁してください……」

「冗談だ。もう一局」

「はい」

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