1年A組 ダイエット
皆、俺のことをデブという。俺はそう言われるのが嫌いだが、場がシラケることが怖くていつも笑って済ます。デブなのは間違いではないし、痩せられない自分が弱いだけだとも思うから。
「デブ」という言葉は体に蓄積している脂肪と同じくらい、俺にとっては当たり前のものとなっている。
明日に控えた学際の準備は、放課後の六時を過ぎても行われていた。オリジナルのタピオカドリンクを売る喫茶店が俺のクラスの出し物だったが、いかんせんチームワークの無いクラスメイトたちは女子界隈のリーダーシップによりなんとか機能している状態で、男子はそんな女子の指示に仕方なく付き合っている感じだ。
看板、メニュー表、店内の装飾、厨房の設置。どれを取っても中途半端な仕上がりで、作業の遅れに焦る女子と、談笑するばかりで積極性のない男子と、温度差はまばらだった。
しかし協力的な男子ももちろんいる。クラスであまり目立たない、いわゆる日陰者。根暗、オタク、チビ、デブ。クラスメイトの半数は彼らのことをそう呼んだ。俺もその中にいた。
女子は俺たちを便利な道具のようにアゴで使っていた。一見仲良く作業する男女の光景だが、男子界隈の輪に上手く入れない除け者たちだと知った上で利用しているのが俺には分かっていた。
分かったからと言ってそこ意外に居場所も無いので、どうしようもなかった。俺も女子達を利用して自分の存在価値を見出しているに過ぎなかった。
「ねえ、ぶーちゃん。ガムテープ切れそうだから買ってきて。布のやつ、多分スーパーに売ってるから。あとダンボールもいくつか貰ってきてよ。お駄賃で肉まん買っていいからさ」
女子のリーダーが指示を出してくる。親しみのある態度に見えても、それが表向きのものだと知っている。俺に頼むのは、単に誰もやりたがらないことを押し付けられる相手だと思ったからだろう。デブには食い物を与えておけば何でもしてくれる、という魂胆が丸分かりだった。
それでも、俺は拒否しない。断れる立場では無いから、「うん、分かった」と前向きな返事をして、無難な態度を見せつけた。息苦しい教室から出られるし、いい気分転換になると思えば得な役回りだろう。
校舎を出ると西日が眩しかった。よく晴れている。六月中旬、もう少しで梅雨入りするはずの空は、まだ雲一つない夕焼けに包まれている。
「ごとうー!」
校門を出たところで、不意に後ろから声がかかった。
無遠慮な呼び捨ては、いつもデブ呼ばわりされる俺からしてみれば新鮮だ。おかげで一瞬だけ、それが自分へかけられた声だとは気付かなかった。
ひと間あいて、立ち止まり振り向く。
校門をくぐって小走りしてくるのは、クラスメイトの
第一ボタンを外し、緩く巻いたリボン。腕まくりしたシャツ。短いスカート。紺色のソックスに黒色のローファー。なびく長い髪は日に浴びてオレンジ色に染まっている。教室内でも、その髪が染めた後だというのは丸分かりだ。
彼女は俺なんかとは不釣り合いな、今どきのギャルだった。
「はあー、良かった。追いついたー」
目の前で止まって息を整える八木さんは、目鼻立ちのくっきりとした顔をしている。すっぴんでも可愛いと思うのに、そこには教師にバレない程度の化粧が施されていた。
「ど、どうした?」
予期せぬ人物の登場に、少し動揺した。
「いや、買い出し行くんでしょ。絶対後藤だけじゃ持てないと思って、うちもついてくから」
「大丈夫だって。教室で作業あるだろ」
「ぶっちゃけ人手余ってんの。あんなに人数いたってやることないもん。男子の愚痴言うだけで退屈だしね」
八木さんの口からそんな言葉が出るとは思わなかった。常に女子グループの輪にいて、楽しく談笑しているところをよく見ている。女子界隈の中でも八木さんは人気者だった。
「ほら、早く行くよ」
返事も待たずに先に歩きだす。俺は懸念を抱きながらも無理に彼女を帰そうとはしなかった。事実、ダンボールとガムテープ、それと肉まんを一人で買って帰るのは難しい気もしたから。
「女子に何も言われない?」
後を追いかけながら、一応、確認の為に訊いてみた。
八木さんは歩きながら俺を一瞥する。真面目な横顔が一瞬だけ見えた。
「何で? 買い出し行くだけじゃん」
「そういう意味じゃなくて」
俺と二人きりなことに対しての質問だった。こんな日陰者のデブと一緒だって歩いたことで八木さんに迷惑がかからないか心配だった。
いや、というよりも俺は自分の立場の方を心配していた。誰かに見られて冷やかされるのは御免こうむりたかった。
「ほら、俺たちさ、あまり喋ったことないし。仲いいわけじゃ、ないし」
というか、まったく喋ったことが無い。「あまり」と表現したのは、虚しさを紛らわすためだ。
「はあ?」
一歩後ろを歩いていたのに、八木さんが急にペースを落とした。自然と横並びになってしまう。俺は顔を必死に前へ向けた。
「あんた、うちと仲良くする気ないの?」
「いやいや、違う。そうじゃなくて、八木さんのことを言ってるんだ」
咄嗟に振り向き、不服そうな八木さんに必死に弁解する。言いたいことが上手く伝わらないのが煩わしい。
「うち? なんで?」
「だって、ほら、俺こんな体型だし、それでバカにされてるから」
「だから?」
「だから、えーっと。もう、なんで分からないんだよ」
煩わしくて、投げやりになってしまう。八木さんがこんなに察しの悪い人間だなんて思ってもみなかった。
タイミング悪く赤信号で立ち止まってしまう。どう言えば良いのか分からず黙り込んでしまうと、変な居心地の悪さが込み上げた。さっさと買い物を済ませて帰りたかった。
「うちらのクラスさ、男女の中悪いよねぇ」
「え、あ、うん」
突然切り出すものだから、返事もままならない。
信号の色ばかりを目で追った。交差点には帰宅する学生が多くいて、カップルも何組かいて、そんな彼らと視線が合うことが怖かった。
「何とかなんないのかな」
「言うてまだ、入学して二カ月くらいだし。これから仲良くなるんじゃないかな。知らないけど」
心にもないことを言ってしまう。気休めが口をつく。
「ずっとこのままだったら、嫌だよね」
「まあ、ね」
自分には関係のないことだと思った。
きっと男女の仲が良くなろうが悪いままだろうが、俺の立場はそう変わらない気がした。クラスが団結したらその分俺へのイジリも団体的になる可能性も考えた。だったら、バラバラな今の方が比較的過ごしやすい環境のような気がした。
「だからうちさ、頑張ろうと思うんだよね」
何を? 突然の宣言に、俺は首を傾げて八木さんを見やる。同じくらいの背丈の彼女は、さっきまでの俺と同じように、信号を眺めている。
鼻筋の綺麗な横顔に、黒染めの落ちかけた茶髪が風によってかかる。八木さんはそれを二本の指で器用に耳にかけた。
「うちのクラス、みんなが仲良くなれるように、頑張ろって」
そんなこと、可能なのだろうか。俺は彼女に見えないように表情を曇らせた。こんなにもバラバラなクラスを八木さん一人で変えられるとは到底思えなかった。
「だからさ、後藤について来たの、その一歩なんだよ」
「え?」
面食らった。それって、つまり。俺は頭の中で八木さんの言葉を必死に解釈した。
「あんた、一応男女と関わってる貴重なクラスメイトだからさ。うちの野望を叶えるには欠かせない人だと思うんだ」
八木さんの顔が、信号から俺へ向けられた。澄んだ笑顔を浮かべていた。
硬直する。どう反応すればいいのかが分からなかった。彼女の俺への評価は買い被りだと思った。
「だから、もうちょい男子と仲良くなれない?」
「……無理だろ」
「ええ、なんで」
残念そうに眉をひそめる八木さん。表情豊かな彼女に対し、俺は顔を強張らせたままでいた。視線が下がった。
「普通に考えろよ。俺、こんなデブでバカにされてるんだぞ。こんな奴がクラス全員と仲良くなれるわけないだろ。八木さんとは違うんだよ」
言いながら、自分の言葉に頷いた。その通りだと思った。俺と八木さんとでは生きている世界が違うのだ。相反していると言っても過言ではないだろう。
彼女にはできることでも、俺にはできない。できないことの方が多い。それを八木さんはもっと自覚するべきだ。身勝手なことは言わないでほしかった。
唐突に、ため息が聞こえた。八木さんが見るからにげんなりした表情を浮かべていた。
「あんたさ、舐めすぎだよ」
俺には、その言葉の意味が分からなかった。
信号が青になる。二人揃って横断歩道を渡る。
渡り終えて、八木さんは続きを話す。
「みんながデブをバカにすると思ってるなら、あんたの方がみんなをバカにしてんじゃん」
パン、と後頭部の辺りに衝撃が走った。
痛くはなかった。代わりに胸がざわついた。
「みんなあんたがそう言われることが嫌だって気付いてないだけなのに、何であんたが勝手にみんなを嫌ってんの。デブって言われたくないなら、そう言えばいい。気付いてくれる人は絶対にいるし、何だったら別にクラス中があんたにデブって言ってるわけじゃないじゃん」
「知ったようなこと言うなよ。みんなデブデブ言ってるだろ。さっきだって、『ぶーちゃん』って呼ばれたんだ」
「それ、愛称ってやつじゃん」
「俺は嫌な気持ちになってんだよ」
「それ、あの子に伝えた?」
俺は黙った。八木さんの言うことが正しいと思ったから。
でも納得したくなかった。だってそんなシラケそうなこと、言える自信がなかったから。俺はクラスメイトと腹を割って話すことを恐れていた。
どれもこれも、嫌われたくないという考えからだ。
「嫌なら伝えようよ。男子にもさ、ちゃんと自分の意見言おうよ。そしたらきっと、みんな後藤のこと好きになってくれるからさ」
「……そんな単純かよ」
「うちは好きだよ、後藤のこと」
見上げた先に、真剣な八木さんの表情があった。その真っ直ぐな瞳に見詰められると、体の奥が暑くなってきた。
「あんたが何言われても、うちは後藤のこと好きでいるから。勇気出してよ。そんで、できればさ」
八木さんが唾を飲み込むのが分かった。緊張する彼女は、少し珍しいと思った。
「うちと一緒にさ、クラス変えていかない?」
遠慮気味な誘いを、俺は断れなかった。
このときの心情を説明しろと言われても、俺には経験がなくて難しい。何か伝えられる比喩があればいいのだが、それがなかなか思い付かない。
どう答えようか悩みながら、俺はこのとき一つだけ決心していた。
クラスを変えるとか、男女と仲良くするとか、とりあえずそういう難しいことは置いておいて、目標を立てた。
デブと言われたくないから、デブと言われない体にしよう。言葉よりも何よりも、それが一番手っ取り早い方法だと思ったから。
「考えとく」
「あんがと」
八木さんの満面の笑みに見惚れそうになって、急いで視線を逸らして前を向く。交通量の多い道の先に、夕陽に照らされたよく見るスーパーの看板が見えてきた。自然と足が早くなった。
歩幅を合わせてくる八木さんをチラ、と眺め、すぐに顔を戻す。
俺の中で答えはまだ出なかったが、とりあえず肉まん代の分、ガムテープを一つ多く購入しようと考えた。
青春高等学校 ~あの日、僕と私たちは~ 一 雅 @itiiti
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