恋をするのは異世界で

れなれな(水木レナ)

きのう、愛する人を失いました

「命だけは大切にしてと、言ったはず」

「でもボク、死んじゃった。ごめん!」


 まるで、ボードゲームでもしているかのような、バレンの言葉を聞くなり、シアは動かなくなった彼の頭上に現れた、謎の青い扉――金の装飾、結構神秘的――の中に諸手をつっこんだ。バレンはシアの紫の瞳に驚愕の色をみてとると、そのままゆっくりとさがって、扉の向こうで彼女の手を引き、おいでおいでをする。


 前ふりもなにもなく、大事件だ。昨日事故って、今夜がやまだと言われたバレン少年が、家族の詰めかけた病院のベッドで息をひきとった。


「ボク、異世界に転生するところだったんだ」


 そんなことを言いだすバレンは、なぜか得意気だ。半透明に透けた胸を張って、自慢した。


「それがどうして、そんな姿に?」

「転生したら、君のことを忘れちゃうんじゃないかって思って。もとのままの記憶を維持するかわりに、受肉しなかったんだよ」


 シアは信じられない。自分まで、不思議の世界に引き込まれて、半狂乱だ。そういえば今日は友引だったとシアは後で知る。


 普段から、ときどき行方不明になるバレンを、シアは今日まで待ち続けていた。


 バレンの関係者だという、美人ではあるが輝きに乏しい、女神が出現。彼女は気弱気に、肩をすぼめて暗く言った。


『エーテル体』


 異世界の女神たちは、そう呼びならわしている。ありていに言えば、ユウレイ。ゴーストである。


 それは実体を持たない――転生できるところだったのに、バレンときたら、チートも持たないし特殊能力にも目ざめない、ただのゴーストとなってシアを迎えに来たのだという。


「なやんでいられるのも49日が明けるまでです。それまでの間に、彼とどういうスタンスでつきあっていくのか、決定してください」

「言われなくたって!」


 なんだかんだで、シアは異世界で一週間は悩んでいて。彼女が声をかけると、しおれていたバレンの表情はパッと華やいだ。


「いつまでここにいたらいいの、あたし」

「ボクだったら、君が死ぬまで一緒にいるよ」

「あたしはもう、バレンのストーカー行為に慣れてきちゃったよ。昔は純愛って言ったらしいし」


 シアから見て、バレンはことのほか嬉しそうである。しかし、彼女は知っている。彼は人前では引っ込み思案な部分も見せるが、一度思いこんだらレーザービームのように直進するのみ。


「もとのバレンに戻ってよ、お願い」

「それはできないんだ、シア」


 シアは決意したようにバレンの方を見る。


「あたしは異世界転移なんてしないよ。ゴーストだってつらいんでしょ。成仏したら?」


 バレンは困ったような表情で、シアを見ていた。


「そうすると、もうあえないね」

「いっしょにいることの方が少なかったじゃあない。あたしたち」


 シアがそう返すと、バレンはギュッと眉根をよせ、目をつぶってつぶやいた。


「ボクはそんなの嫌だ」


 シアがバレンを心配そうに見ると、気弱気な様子とはうらはらに、彼は執念の炎を目に宿している。


 バレンのこういうところは、変わっていないので心配した通りだ。シアは彼の透けた頬にふれるようにして、二度首を横にふった。



 それからシアは、彼の気がすむまで、説得を続けた。バレンは、彼女が言うことをきかせようとすると、いつも駄々っ子のようにすがりついて、彼女を悩ませ、つらそうな顔をした。


 バレンの身の上がわかったところで、シアは彼が安心できるように49日の間、異世界で彼を甘やかすことをよしとしなかった。


 一度バレンに「人に憑りついたりとかしない? 現世の人にのりうつれないの?」とシアが尋ねたが、「できるけど、生理的に無理」と拒んだ。


 バレンの異世界ゴースト人生を確立する日が、刻一刻と迫り、焦りだすシアと違い、彼は異世界の日々を楽しんでいるようだった。



 そして、今日は49日が明ける日である。いよいよ異世界でゴースト化するか、受肉して新たな一歩を踏み出すかの境目だ。シアが胸の十字架にかけて祈った結果、バレンがめずらしく自分から聖堂へ行きたいと言いだしたのだ。


 女神に頼んで、シアたちは異世界の神殿へ詣でることにした。時間はあとわずか。まだまだ猶予があるとは言えないが、方向性が定まらないのに比べたらマシだ。


 バレンは、荘厳華麗な神殿に祈りを捧げて、シアに口づけた。



 しばらく浸っていると、胸の鼓動が大きくなってきた。ここは神殿で、神聖な場所で、色とりどりのカラーリングを施された彫像が立ち並んでいる。


 この装飾はたしか……。


「おぼえているかな? ボクは結びの神殿で、君と初めて会ったんだ」


 そうだ。バレンがまだ幼稚舎の年長組にいたころ、赤や紫、黄色、橙、青、白に光るステンドグラスの前で、年少組だったシアが彼の袖をひっぱったのがきっかけだった。


「結局、出口も入口もわからなくなっちゃって、二人して聖堂の奥まで行っちゃって、先生に助け出されたんだ」

「そういえば、よくシアは泣かなかったよね、あれで」


 聖堂の深部までいって、僧侶を探し、バレンは迷宮を抜けるように、まっすぐ進んだ。彼の脳内では、未だに昔のバレンと昔のシアが、ラビリントスでさまよっているのだろうか。


「何十年も昔なのに、どんなふうだったか、憶えてるもんだね」

「何十年も? ほんの十年だよ。あたし、三歳くらいだったもん」


 一瞬、沈黙があった。バレンはすこしやるせないような顔をして、瞬時の後に彼の声がそれを破った。


「コーラスを聴いていこうか」


 そう言った彼は、通路をくぐり抜けた。そのとき、彼を導くような透明な光を、シアははっきり見た。


「バレン!」


 バレンはわりとリラックスした様子で、神殿の奥へ進んでいく。


 彼はその後も、シアの方をふり向かずに、祭壇近くにたたずんでいた。なんだかきまり悪くて、シアからは言い出しづらかったが、いつまでもこうしていられないと考え、もう出ないかと声をかけた。すると彼は突然、無表情になって彼女に向き合い、つっけんどんに「まだだ」というと、居心地悪そうに自分の胸のあたりをまさぐり始めた。


 そうしているうちに、西のステンドグラスが光り始め、神殿内に光が満ち溢れ、まばゆく輝き始めた。バレンがやっとシアの方を顧みたと思ったら、いきなり彼は彼女の胸元の十字架をじっと見つめる。


「よかったら、十字架をボクのと交換してくれない?」


 ここからまた日暮れまで、シアはバレンに翻弄されながらも、胸の十字架を外し、彼のものと交換した。さすがに疲れていたので、シアは長椅子に腰かけた。


 持ち歩いているうちに絡んでしまった鎖を、ほぐしているうちに気づいたが、この十字架もシアとバレンの思い出の一つだ。


 バレンより少し年下だったシアは、出あったとき、二人の家の近くにあった思い出の聖堂にいく約束をした。そして当日は、今日のように戯れた記憶がある。シアがふとバレンを見ると、すぐに彼と目があった。目があうなり、瞬いて、シアに言う。


「また一緒にいられなくて、ごめんね」


 謝罪しながらも、まったく頓着しない様子がバレンらしくて、シアはフッと苦笑いした。


「それ、前もその前も、そのずっと前のときも聴いた」


 静かに顔をあげるバレンをひたと見つめ、シアは以前もこうして二人で祭壇前に立っていたことを思いだした。二度目なのだ。どうしよう。


「シアが死ぬときも、たしかこんな夜だったなー!」

「こんな夜って? あたしが死んだって?」

「いや、実は、ボクとシア、別れる運命にあったんだよ」


 シアのつくり笑いも虚しく、なぜかバレンは自嘲から自虐に走る。シアは首をふって、彼の顔を正面から見る。しかし、そのうち、彼の瞳がうつろに、悲しそうになっていることに気づいた。


 別れがつらいのは、お互い様みたいだ。


 気がつくと、彼の首にかけてやった十字架は黒ずんでおり、さっきまで夕空だった表は星空になっていた。


 そろそろ見切りをつけた方が、お互いのためなのかもしれない。そう思ってバレンに声をかけると、彼から、見当違いな返事が返ってきた。



「ずっとひとりでこっちにいたら、ボク、シアのことは全部、記憶から抜け落ちてしまうと思う」



 あれほどシアと離れることを嫌がっていたバレンが、まるで感情をなくしたように告げた。シアは彼の気持ちをはかりかね、その意味を察するように努めることにした。


「忘れないために、ゴースト化したんじゃなかったの?」

「ああ。だけど、ボクも忘れてしまうに決まってるんだ」

「どうして言い切れるの」

「君をずっと見てきたからだよ」


 バレンはそう断言して、シアの方に変色しかけた十字架の光を反射させた。





「ボクはこの異世界でゴースト化した。だけどその前はシアがあっちへ異世界転生してたんだ」


 シアは動揺した。彼女の記憶はきちんとあるはずだ。きっとバレンの勘違いに違いない。想いが錯綜している間に、彼から決定的な一言が加わった。


「この世界は異世界じゃない。もともとボクたちのいた世界なんだよ」


 シアは微動だにしなかった。


「ボクとシアはね、過去、この世界から、別の世界に転生したんだよ。あの世界では今みたいに記憶が残らなくって、君は本当に忘れてしまったんだ」


 それから、シアの中のおぼろげな「彼と彼女」の思い出があとからあとからあふれ出した。どんなふうに、なにを好み、信じ、十字架を交換したか、そんな記憶は彼女の中には本来なかった。


「シアが、この世界で不慮のことで死んでから、あの世界に転生したのが、十三年前。最初はちょっとだけ、こちらのことを憶えていたはずなんだ。それにボクは忘れなかったよ」


 バレンは大きな悲しみを抱えるように、シアの名前が刻まれている十字架を抱いた。かつて今のように交換したことがあることなど、少しも認識せず、シアは彼に言った。


「ごめんなさい」

「いいや。いいんだよ」

「あたしは、あなたに、今のあたしと同じ思いをさせてしまった」

「仕方のないことだ」


 そう言うと、バレンはシアの額に、触れるか触れないかの距離で口づけをした。ほんのりと彼のぬくもりを感じる。二人を慰撫するかのように、夜空で幾万もの星が輝いていた。あたりはだだっ広い荒野のように神秘的で、曇りも陰りもなく、見知らぬ星座が見える。


「どうして言ってくれなかったの? あたしもゴースト化すればよかったって」


 バレンはくすぐったそうにしてから、微笑んで答えた。





「押しつけたくなかったからね」






 シアは壊れ物を扱うように、バレンを見つめて、彼の抱えていた悲壮感や悲しみを吸いとるように、思い切り涙をこぼした。


 バレンがシアの体に触れようとし、どうしようどうしようと思ったところで、彼女は祭壇の燭台を手に取った。


「――愛してる。バレン」


 この世界の物に、かりそめに触れることはできても、破壊はできなかった。バレンがシアの因果律をねじまげていたからだ。そして、彼女のふるった燭台の火を、元の場所に戻しながら、複雑そうな笑みで、彼らしい、やさしい約束をよこした。


「ありがとう。この世界で、ボクは君をわすれない」


 その時代、今までに何度目かのひどい戦争が起こった。


 同時に、そのときの約束は、死ぬまで彼女を支えた。











 どういった経緯で、またあの異世界で、十字架を交換し、バレンにシアが愛されたのかは、また異なる時代のことだ。



 END

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