01-5
◆◇◆◇◆◇
「そんなにかしこまる必要はないよ、ドッドラーニー君。私の方としても、貴重な資料が得られたのだ。一挙両得はこの事だな」
先日とは打って変わって腰の低いモーリヘンの物腰に対し、今日もエルロイドの我が道を行くマイペースさは変わらない。
「無事、君も顔を取り戻すことができたようだね」
エルロイドの目が、元に戻ったモーリヘンの顔を見る。
「ええ。妻の選んでくれた顔です。本物に間違いありません。たとえ本物でなかったとしても、何一つ問題はありません」
「ほう? それはいったいどういう意味だね?」
エルロイドが興味深げな顔をする。
「此度の件で、つくづく身に染みました。僕という人間を形作るのは、僕自身の個性だけでなく、周囲の評価も大いに関係しているということに」
「それは君自身最初から分かっていたのではないのかね? 何しろ、君は商会でやり手の社員で、周囲には一目置かれていただろう?」
「ええ。単に、利益を第一にすることしか考えていない、人間味のない嫌な奴として、周囲には思われていたのでしょう」
モーリヘンは自分の過ちを素直に認める。
「顔を失って分かりました。僕が何よりも第一にしてきたことなど、何一つ僕自身を守ってくれないことを。僕の評価は、最低でした」
そう言いながらも、彼は朗らかに笑う。
「でも、そんな僕を妻は見捨てないでくれました。僕の顔を取り戻してくれました。だから、僕はこの顔で満足なのです。僕の妻が選んでくれたんです。これが、僕の顔なんです」
モーリヘンはそっと自分の顔を撫でる。もう、彼の顔は仮面のように取れることはない。
「あ、もちろん、本当に取り戻してくれたのは教授とその助手さんですけどね」
「いや、その認識で構わない。何しろ、私は君の顔を選ぶことはできなかったのだからね」
エルロイドとしても、彼の顔を取り戻したことを、自分の誉れとするつもりはないらしい。
「いずれにせよ、これで一件落着だな。これから仕事に戻るのかね?」
「ええ、そのつもりではありましたが……」
確かに、かつてのモーリヘンだったらならば、即座に仕事に復帰することだろう。けれども、今の彼は違う。もう彼は、何が自分にとって一番大事なのか、何が自分を一番大事にしてくれたのかが分かっているのだ。
「せっかく休みをもらったので、しばらく夫婦水入らずで、行きたかった湖水地方の方へと行ってみようと思います。幸い、仕事にはまだ復帰しなくても大丈夫なようですので」
ようやく一人の妻の夫らしいことを口にしたモーリヘンを見て、エルロイドの口の端に笑みが浮かんだ。
「行ってきたまえ。君と君の細君に、妖精の良きいたずらのあらんことを」
◆◇◆◇◆◇
「よかったですね、ドッドラーニーさん」
モーリヘンが立ち去ってから、それまでずっと控えていたマーシャがエルロイドに話しかける。彼女の煎れた紅茶に口を付け、エルロイドはひと息ついた。一人の人間が冷徹なワーカーホリックから、良き夫君へと変わろうとしていく様を目の当たりにしたわりには、何とも冷めきった態度だ。
「ふん。若いな。単に、彼は重りを皿に載せた天秤のように、一方の極端から一方の極端に傾いただけだ。今まで仕事第一、利益重視に凝り固まっていたのが、妖精のいたずらによってその反対側へとのぼせているにすぎん。喉元過ぎれば熱さを忘れる、とあるように、ほとぼりが冷めたらまた元の性格に戻らないとも限らん」
実にシニカルで容赦のない物言いである。当のモーリヘンが聞いたら泣きそうな発言を聞いても、マーシャがとがめることはない。ただ、尋ねるだけだ。
「そうあって欲しいですか?」
「まさか。少なくとも、私の目には今の彼のほうが好男子に見える」
マーシャは知っている。この教授は確かに偏屈極まるが、きちんと人間味のある紳士であることを。
「私も同感です。ドッドラーニーさんがおっしゃったように、人の評価によってその人が変わるのでしたら、私たちも彼が良い人になるように希望しましょう。そうすれば、きっとそうなるのですから」
マーシャの積極的な発言に対しても、偏屈なエルロイドは鼻で笑うだけだ。
「ふん、君は何とも夢見がちだな。人などそうそう変わらんよ」
「それは、教授がそう思っておいでだからです。人は、いつでも変われますよ」
あっさりと切り返して悠然としているマーシャを見て、エルロイドは嘆息する。
「まったく、私の助手は今日も減らず口が多くて困る」
確かに、こうまで雇い主に忌憚なく応じる助手は珍しいだろう。もっとも、エルロイドはこの舌戦を本心では楽しんでいる様子だった。
「それにしてもマーシャ、やはり私にとって君は素晴らしいパートナーだな」
不意のエルロイドの発言。その内容に、それまで悠然としてたマーシャが目を見開く。
「きょ、教授? いきなり何をおっしゃるんですか?」
シニカルで偏屈で人間嫌いのエルロイドによる、手放しの賞賛。それは実に珍しいことだ。
まして、彼の口からマーシャのことを「素晴らしいパートナー」と評する言葉が飛び出してきたのだ。エルロイドはシニカルで偏屈で人間嫌いだが、紳士である。年齢のわりに痩身の体はスマートだし、顔立ちも理知的で端整な部類に充分入る。元より有する紳士的な態度にプラスして優しい言葉を囁けば、女性の胸をときめかせること請け合いである。
「あの時、鏡の中でお互いの顔を探した時のことだ。私もマーシャも顔のない状態だったが、すぐさまお互いの顔を探し出すことができた。ドッドラーニー夫人が連れ合いでありながら、結局はっきりと夫の顔を見分けられなかったのに対し、私たち二人の絆はたいしたものだとは思わないかね? 思うだろう?」
畳みかけるようなエルロイドの言葉。マーシャは改めて彼の顔を見る。冗談を言っているようには見えない。自説に満足そうなエルロイドは、心底自分の発言を信じきっているようだ。つまり、エルロイドはマーシャのことを、素晴らしいパートナーだと思っている。その事実に、マーシャはほんのりと顔を赤らめつつ、ためらいがちに口を開く。
「それは……その……。教授と私が、お互いを憎からず思っている、ということですか?」
マーシャが口にしたのは、控えめな表現だ。彼女にとって、エルロイドは尊大で気難しい自分の雇い主だ。けれども同時に、マーシャにとって彼は、この世で唯一自分の左目を、妖精女王の目を必要してくれている人間である。
マーシャはエルロイドと共に妖精がらみの事件を解決する傍ら、彼がプライドの高い変人でありながらも、同時に紳士であるのを見てきた。正直に言えば、彼の紳士的な態度に惹かれていないと言えば嘘になる。今までは助手として扱われてきたが、こうしてパートナーと呼ばれ、それ以上関係を深めるのは少し怖くはあるが、悪くはない気分だった。
――――だが。
「憎からず? マーシャ、何を言っているのかね。そんな分かりにくいものではない」
マーシャがその言葉の意味を理解するのに、たっぷり十秒はかかった。
「……………………は?」
マーシャの意を決した言葉に対し、エルロイドは実につまらなそうに応じる。あまりにも、二人の感情は乖離していた。
「この私の明晰な頭脳と、君の妖精女王の目。まさにこの二つが揃えば、たとえ互いの顔を奪われるような特殊な状況であっても、たやすく解決できると言うことだ。私が推理し、君が実証する。どうだね? これこそ素晴らしきパートナーのありようではないか」
エルロイドはそう言うと、満足げに何度もうなずく。
「――ああそうですか。そうなんですね。そうなんでしょうね、きっと」
詰まるところ、ヘンリッジ・サイニング・エルロイド教授は紳士ではあるのだが、何よりもまず変人だったのだ。マーシャはそれを、すっかり失念していた。この変人に、人並みの情感を期待した自分が愚かだった。かすかに胸がときめいてしまったのが、我ながら度し難い。
「マーシャ? 何を急に怒っているのだね? マーシャ?」
「いいえ。私は少しも怒っていません。ただ、教授のお言葉に感服しただけですので」
急速に自分の感情が冷めていくのを、マーシャはありありと感じていた。あたかもお湯の中に氷塊を投げ込んだかの如く、血液の温度さえも下がっていくかのように。
「私の発言に感服するのは当然だが、だからといってなぜ機嫌を悪くするのだ? どう見ても君は怒っているぞ?」
知らぬは雇い主ばかりなり。エルロイドはマーシャの態度の急変に目を白黒しているが、それが自分の発言のせいだとはつゆほども思っていない。紅茶の入ったカップをテーブルに置き、エルロイドはマーシャを追求する。
「ですから、怒っていません。教授の気のせいです」
「気のせいではない。マーシャ、何か誤解をしているようだが…………」
あくまでも淡々と応じるマーシャ。さっさとカップと皿を取り上げて奥へ引っ込もうとする彼女の背に、なおもエルロイドは声を投げかける。偏屈な紳士には当分分かりそうもない、女性の心の複雑さに頭を悩ませながら。
◆◇◆◇◆◇
――こうして、この二人の物語は続いていく。これは日の沈まぬ帝国で繰り広げられる、少し不思議で少し恋する物語。寓話生命体、と呼ばれる妖精を追いかける大学の変人教授と、彼に付き添う妖精女王の目を持つ侍女の物語。妖精を通じて結び合わされる人と人、事件と事件、謎と謎とを、二人がそっと解きほぐし、解決していく物語である。
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エルロイド教授の妖精的事件簿・第二シーズン 高田正人 @Snakecharmer
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