第2話『今井と智宏』
【青春群像劇オムニバスシリーズ】
『今井と智宏』
華也(カヤ)
ザー…
ビーン…
ザー…
ビーン…
外の激しい雨音に混じり、ギターの弦を弾く音が、部室に響き、壁に当たり、跳ね返って私の耳を突き刺す。チューニングしているところである。
6弦からスタートして、5弦、4弦、3弦、2弦、1弦、そして再度6弦と5弦。
いつも、練習を始めるために必要な工程を、一人で繰り返す。
まだ買って間もないGibson(ギブソン)ってメーカーのSGというギターだ。
中古で7万円だった。高校生には高い買い物だけど、もっと高いギターがお店に陳列されていたのを覚えている。
本当は憧れの先輩と同じ、ブラックカラーのレスポールってギターにしたかったけど、手の小さい私には少しだけ弾きにくいというか、持ちにくく、他のギターも試しで触ったり、コードがわからないけど、ジャガジャガ弾いてみたりしてみたけど、これ!っていうのが見つからず、どうしようかな?と楽器屋さんの店内を回っていた時に見つけてしまった。
ああ、運命の出会いってこういうのを言うんだなって思った。なぜか目が離せずに、これがいいと思ってしまった。
それが今持っているGibsonのSGだ。なんかクワガタみたいな形をしていて、とてもボディが薄く、本体が軽い。
本当は初心者セットのギターの他にもアンプ、チューナー、メンテナスセットが付属しているもっと安いのを買おうと思ってたけど、これを試奏させてもらって、手に持った瞬間に、この子だ!これがいい!とついてきてくれた先輩達に懇願したのを覚えている。
軽音部には誰も使っていない、楽器初心者の為のギターやベースが置いてあった。
初心者はそれを使って練習するのだか、希望者のみ、自分のを買って使うのが通例だった。
初心者向けの元々置いてある楽器達は、今までこの軽音部に所属していた先輩達が部活を引退する際に、もう使わない人が、部に献上したものが、楽器を持ってない初心者に使用されるようになっていた。
この部活の歴史が、ある意味この部室に置いてある、楽器やメンテナンス道具、アンプなどにあるというわけだ。
私を含めて、新入部員は4人だった。パートはボーカル、ギター(私です)、ギター、ベースだった。
私は自分のが欲しいと買いたいと、他の私と同じ新入生、新入部員の神谷君と一緒に先輩に相談した。他の1人はボーカル志望なので、必要なく、もう1人のギター志望の子は部室のでいいと言っていた。
神谷君はベース希望で、部室にあるのを使って練習していたが、私と同じく自分のが欲しくて、一緒に先輩達に相談した。
これはこの軽音部伝統らしいのだが、部員が自分の楽器が欲しいと言ったら、予算を大体5万円に設定して、まずは自分のお小遣いをかき集め、前借りなどをして、用意する。あとの足りない分は、本人と部員が総出で短期のアルバイトをして、そのバイト代を購入代金に当てるという、とても後輩想いの部活だった。
私が入った時、3年生が4人、2年生が3人だった。それに加えて私達1年生が4人。
計11人のうち、親にバイトを禁止されていない8人が高校生でもできる短期のバイトを探して、予算を作り、余った分を部費にするという計画。
既にバイトをしている先輩達は、わざわざ自分のバイト代からカンパしてくれて、それ以外のバイトをしていない組は、交通量調査や飲料等のピッキング、配送荷物の仕分けなどがあり、それぞれ出来そうなのをピックアップして2週間ほどバイトをした。
私にとっては、人生初バイトだったので、緊張もあり不安もあったが、自分のギターの為と思えば、頑張れた。
設定予算は1人5万円。
高校生にとって充分に機材を買える値段だ。
親にお小遣いを前借りをして、バイトをして、目的の2人で10万円を確保する事ができた。
私と神谷君は、同じ楽器パートの先輩達についてきてもらい、楽器選びに付き合ってもらった。
神谷君は既に買いたいベースを決めており、予算内で尚且つベースの先輩や、楽器屋さんの店員さんと相談しながら、比較的早めに決まったらしい。
BUMP OF CHICKENが好きな神谷君は、バンプのベーシストと同じタイプのジャズベースという種類のベースを選んでいた。勿論、同じメーカーは流石に予算を大幅に超えてくるので、予算内で、尚且つ、カラーや、実際持ってみたり、弾いてみたり、先輩に弾いてもらったりして決めていた。
かく言う、私もいろいろ試していたがなかなか決まらず、本当は憧れの智先輩と同じ形のレスポールというギターにしたかったが、とても重く、ネックも太く、手の小さい私には不向きで、どうしようかと悩んでいると、中古の楽器が並んでいる場所に私を待っていたかのようにあったのが、私の今持っているSGギターである。
でも、価格が7万円。予算は5万円内なので、買えない。先輩達と一緒にバイトをしたが、予算を除いた残りは部費にあてるために、そこから捻出するわけにもいかなかった。
同じSGギターでも、5万円以内に収まるのは売っていた。でも…今はこの中古のSGしか目に入らず、他のギターを試奏しても、心ここに在らずだった。
神谷君は既に購入するベースを決めたようで、先輩達とレジの方へ行っていた。
そんな中、ずっと本当に欲しいSGギターの前にいると
「それがいいの?」
いつの間にか横に並んで立っていた智先輩が声をかけてくれた。私は目を合わせずに軽く頷くと
「予算は5万円までだよ。それ以上は出せない。部費はみんなのものだから、そこから出すのもダメだよ」
現実を私に突きつけてきた。当たり前だ。私のわがままが通るわけがない。別のギターを探そうかなとうな垂れていると
「本当にこれが欲しいんなら、協力してもいいよ」
初めてこの時に智先輩と目が合った。私の瞳はきっとギターを見る目でキラキラしていたのだろうか?続けて智先輩が言う
「ただし、他の部員にバイトをお願いするのは無理だよ。だから、俺と…えーと…」
おそらくまだ新入部員の名前を覚えてないのか、少しだけ目が泳ぐ
「今井加奈です。加奈で大丈夫です!」
「あー、じゃあ、俺と今井さんであと1回短期バイトして、そのお金を充てて買うってのはどう?」
名前呼びで加奈でいいと言ったが、頑なに苗字で呼ばれた。少しだけ落ち込むけど、それ以上にビックリしていた。
「いいんですか?予算超えてるし、先輩にも迷惑かけますし…」
迷惑だ。自分のためにバイトをするわけではないのに、後輩のギターを買うためのバイトって、自分にとって利益がないのに。
「それが欲しいんでしょ?そのギターじゃないとダメなんでしょ?そういう目をしてるよ。だったら、そんぐらい手伝うよ」
で、でも…と遠慮してしまっている私に続けていってくれる先輩
「楽器との運命的な出会いって、漫画とかアニメとかでよくあるけど、現実でもあると思う。あくまで俺がしたいからやるの。今井さんはありがとうございますって言っておけばいいんだよ」
そんな優しい…とても優しい後輩想いの先輩の言葉に、私が一目惚れした人は、内面も素敵な人だったのだなと思った。
───────
私はバンド活動に憧れていた。でも、中学の時は軽音部が無く、楽器を買う勇気もなかった。
でも、この高校の学園祭に友達と行った時に、軽音楽部の演奏を見て、この高校に行きたい。そして、軽音楽部に入りたいと思った。
その時の事は、プロのバンドのライブよりも興奮したのを覚えている。今でも思い出すたびに鳥肌が立つ。
その時にフロント、ギターボーカルをしていたのが、智先輩だった。
アジカン(ASIAN KUNG-FU GENERATION)のリライトって曲と、バンプ(BUMP OF CHICKEN)の天体観測を演奏していた。
ただただカッコよくて、キラキラしていて、こんな青春を送れたら、あの先輩と一緒に演奏できたら、どれだけ幸せなのだろう…。そう思って受験をして受かって、軽音楽部に入った。
そんな憧れの先輩と追加で短期バイトをして、ようやく手に入れたSGギター。購入前に、先輩はこういう事情で2人でもう1回短期バイトする旨を同級生の軽音部部長の楽先輩に伝え了承得て、売れてしまわないように、店員さんにこのギター、必ず買うので、少しだけ待ってもらうことはできますか?と交渉にあたってくれていた。
店員さんも、この軽音部御用達であり、顔馴染みのため、予算を用意するまでホールドしてくれる事を約束してくれた。
電話番号と名前を控えてもらって、私と智先輩はすぐに短期バイトを探した。
バイトはすぐに見つかり、3日の短期で予算の額に到達した。だが、契約は1週間だったので、しっかりと1週間をこなして、ようやくお給料をいただき、その足ですぐに楽器屋に向かい、即購入した。
店員さんもお待ちしてましたよ!と笑顔で店のバックヤードから、私が一目惚れしたSGギターを持ってきてくれた。
一応試奏しますか?と聞かれて、反射的にはい!と言ってしまったが、何を弾けるわけでもないが、とにかく持ちたく、触りたかった。
アンプに繋いで、智先輩に一番簡単なコードを教えてもらい、鳴らした瞬間は、一生忘れる事のない思い出だろう。
店に響き渡る私が弾いた音。初心者下手っぴのギターの音。でも、この音が今の私にとっては全てだと思えた。
感動して鳥肌が立った。
思わず智先輩の顔を見ると、思いの外大きい音でビックリしていたという表情とともに、よかったねという少しだけ私だけに向けられた笑顔でまた鳥肌が立っていたのを覚えている。
そして、すぐに店員さんに言った
「これください!!」
───────
あとで知ったんだけど、Gibsonのギターって結構高価らしくて、私のSGも新品だと20万以上が当たり前で、中古でも10万以上はするらしい。
それがたまたま、傷が多いのと、新春セールで安くなってたのを私が見つけて買ったそうだ。安くなってるって言っても、7万円。大金だ。
そんな凄いギターとは知らずに、私はバイトで余ったお金で自宅用の小さいアンプとクリップチューナーと弦が錆びないように潤滑スプレーを買った。
正確には、買ったのはギターとアンプだけで、メンテナンス品とクリップチューナーは、これから始める初心者なので、店員さんの計らいで、サービスで付けてもらった。
そんなギター初心者の私は、朝練にも部室に楽器を背負って顔を出す。
朝練といっても、そもそも朝練が存在しないので、自主的に部室に来ては練習しているだけなんだけどね。
自宅でアンプに繋いで、ヘッドホンをして練習もするのだけど、やっぱり思いっきり音を出したいので、部室に来る頻度が多くなる。
ある意味、学生の特権なのかな。こういう環境って?
そうこう思っている内に、チューニングも終わり、部室に置いてあるバンドスコアを一冊手に取る。
智先輩に勧められて練習している、初心者向けの曲である。
DOSEの曇天。
簡単だよって弾いてみせて貰ったけど、初心者の私には、簡単も難しいも、全てが難しいのであまり関係がない。
TAB譜面の読み方は教えてもらった。コードの押さえ方も教えてもらった。でも、指がまだ上手く動かない。すぐにコードチェンジができない。もどかしいなあと思いつつ、気持ち良く、アンプから音を目一杯出していると、ギターの音に混じって、部室のドアが開く音が混ざる。
ドアを背にして弾いてたので、振り返ると、智先輩がギターケースを背負って立っていた。
「智先輩!?お、おはようございます!」
と少し驚きつつも挨拶。3年の先輩が朝練に顔を出す事は珍しい。
1年生なら時々居るんだけど、2.3年生になると、放課後にしか顔を出さないからだ。
ましてや、智先輩は文芸部と掛け持ちなので、尚更だ。
そんな智先輩の開口一言目は、挨拶ではなく
「今井さん、音少しうるさい」
という、ボリュームを上げ過ぎという注意だった。
───────
「3年の佐藤智宏です。パートはギターと時々ギターボーカルです。好きな音楽はアジカンとエルレ。文芸部と掛け持ちなので、部室に顔を出さない事が多いですがよろしく」
新入部員が先輩の前で自己紹介を終え、今度は先輩達が各々自己紹介をする。
新入部員は先輩の顔と名前とパートをなるべくすぐに覚えようと必死に聞いてたのに反して、先輩達の自己紹介はシンプルだったり、軽かったり、さっさと終えるものだった。
その中で、比較的キチンと自己紹介をしている智先輩は、別の意味で目立っていたのかもしれない。ひょうきんで、部のムードメーカーであろう先輩の面白おかしい自己紹介とは違い、淡々としていて、更に部活を掛け持ちしているってところに、新入部員は引っ掛かりを持った。
先輩達はみんな優しくて、新入部員ウェルカムって感じに対して、智先輩はあまり興味が無いのかな?と思われるほど淡白であった。
必要以上に言葉を発しないだけで、怒ってるわけでは無い智先輩。でも、1年生から見ると、どうしても少し怖いようにも見えなくも無い。
それでも新入部員の為にバイトをしたり、初心者に教えたりと、なんだかんだ献身的な先輩である事がすぐにわかり、みんな慕っていった。
勿論、私は入る前から慕ってたというか、憧れから入ってるから、そもそもマイナスな感情なんて無かったんだけどね。
文芸部との掛け持ちで、割合的に文芸部7の軽音部3で部室に顔を出す。
顔を出しては、後輩達に教えつつ、自主練をしていた。
そんな3割しか顔を出さない事を先輩達は特に何も言わない。それを良しとして入部をしてるのだから当然だ。
後輩達、2年生も1年生も、居たらラッキーな先輩というレアキャラ扱いをしていた。
私個人としては、もっと部室に居て欲しいのだけれども、他の先輩から、小説家になりたいという夢があるので、文芸部に通う事は必要なんだってさと、智先輩の将来の夢をサラッと聞いてしまった。
そんな事を聞いてしまっては、何も言えないじゃ無いですか…。
そんな、軽音部ではレアキャラである智先輩が、まさか朝早くから部室に来る事は、明日は大雨か何かですか?いや、今も雨は降っているんだけどさ。
「どうしてこんな朝早くから智先輩来たんですか?珍しいですね」
ボリュームの大きさを注意されて、すぐに下げたが、今度は下げ過ぎと言われ、丁度良い音量を探りながら雨に少し濡れたギターケースを床に置いて、スポーツタオルで吹いている智先輩を横目で見ながら聞いてみたり
「なんとなく気まぐれ」
そんな、先輩らしい答えが返ってきて、少し安心したというか、思わず笑みが溢れる。
だって、今客観的に見ても見なくても、この部室には奇跡的に私と智先輩の2人っきりなのだ。いつもなら、他の同級生が1人はいるばすだし、2年の先輩もいる時がある。3年の先輩は殆どいないけど。
なんでだろう?雨だから?雨、グッジョブ!と心の中で喜びに浸っていた時
「さっき弾いてたの、曇天?今日の天気に合い過ぎでしょ」
と少しだけ笑いながら、拭き終わったギターケースから、自分のギターを取り出してチューニングをはじめる。
当たり前だけど、やっぱり聴かれてたんだ。恥ずかしいなあ。
「初心者向けって教わったはいいものの、中々コードチェンジが上手くいかずにモタついてしまいます…」
と、何かレスポンスが欲しくて、独り言のような声で先輩にも向けてみた。
智先輩はチューニングをしながらも、部室を見渡して、それとアゴをくいっと指差すように置いてある物に向けた。
「メトロノームですか?」
「そう」
食い気味に返答すると、チューニングが終わったようで、クリップチューナーを外し、ジャカジャカとさっきまで私が弾いていたのと同じのを弾いて見せた。
「メトロノームで遅いテンポで練習しな。慣れたら少しずつテンポ上げて、原曲に近づけていけばいいから」
そう言いながら、メトロノームのテンポをかなりゆっくりにして、そのテンポに合わせて、カチ、カチと音を立てて左右に動き出す。
「そもそも、つい最近始めたばっかじゃん。そんなに早くできたら、引くわ(苦笑)そんな後輩は嫌だなあ」
そう冗談を交えつつ、ほらこれで練習しなと言い、先輩は椅子に座りギターを構えたまま、私の方を見る。
好きな憧れの先輩に凝視されながらは、とても緊張する。こんなにも遅いテンポなのに、手が震え、指が上手く動かない。
「指の体操やってる?」
ガチガチに緊張している私に、少しでも解れさせようと話しかけてくれる。
「クロマチックスケールでしたっけ?毎日やってます!」
そうと言い、ならいいんだけどさと、また私の方を見ている。
正確には私を見ているのではなく、私の指先を見ているので、真っ赤になって汗をかいている顔は見られていないはず。
「まだ固いけど、ちゃんと押さえられてるじゃんコード」
と言い、私から自分のギターへと視線を戻す。
これで少しだけ緊張が無くなり、普通に弾ける。本当はもっと弾ける時に見て欲しかったけど、2人っきりのこの空間はとてもレアなので、勘弁しておいてやる。
私がメトロノームのカチカチというリズムに合わせて弾いていると、少しだけ聴こえる別のギターの音。
私の弾いているのに合わせるかのように、単音弾きをしている音。智先輩だった。
智先輩は、アンプに繋がずに生音で弾いている。
「先輩、アンプ繋いで大丈夫ですよ?」
と少し気を遣いながら言うと、
「いや、邪魔でしょ練習の。だから、こうやって今井さんのギターに合わせてアドリブで弾いてるの。結構楽しいし、練習になるから、俺はこれでいいんだよ」
気を遣わせていたのは、私の方だった。
特にそれ以上の会話も無いまま、部室の中はアンプに繋いでいるが、拙いあまり綺麗じゃないギターの音と、アンプに繋いでないのに、綺麗なギターの音と、メトロノームの音で溢れていた。
こんな幸せな空間が存在していいのかな?
好きな人の好きなギターを聴きながら、好きなギターを弾く。
話したい事はいっぱいあった。聴きたいこともいっぱいあった。
でも、それを話すことさえ惜しいほどの幸せ空間。
今ほど、時間よ止まれと願ったことは無い。
───────
「そういえばさ」
と智先輩はギターを弾く手を止め、ギタースタンドにギターを置き、CDラックの前に立つ。
一枚のCDをラックから取り出すと、コンポの中に入れ、再生を押し、そのCDの音楽を流し始めた。
軽音部には、CDを聴く環境が整っている。今時の学生は定額制の聴き放題とか、違法である聴き放題アプリを使って聴くのが主流だが、さすがは軽音部。CDコンポとCDラックが置いてある。CDラックには今までこの部に所属していたであろう先輩達の置き土産だったり、2.3年生の先輩達が家から持ってきたCDがジャンルバラバラに入っている。邦楽、洋楽、アニソン、ジャズやクラシックまでもある。
自分の部屋では決してできないであろう大音量で音楽を聴けるのも、軽音部ならではの特権だ。
そして、智先輩が流した音楽は、先輩が好きだと言っていたアジカンの1stアルバムの曲だった。
「この曲、聴いたことあったっけ?」
そう言いながら、この曲はなんのタイアップにもなってない曲だけど、凄くいいんだよねえと誰に向けて言うでもなく呟く。
智先輩は、最初の頃に好きなバンドの好きなアルバムの曲だと言ってたので、私は中古CDショップで買って持っていた。なんなら、今も持ち歩いてます。大好きな人のCDなので。
そして、思わず出た言葉が
「…好きです」
だった。
───────
「…私…好きです」
別のシチュエーションでいう予定だった言葉を、思わず口走ってしまった。
でも、言えた。ようやく言えた。ずっと言いたかった言葉。すきです。たった4文字の簡単な言葉。何が好き、友達が好き、映画が好き、漫画が好き。そんな事で簡単に使える言葉なのに、言うのにこんなにも勇気とエネルギーを使うんだなと。
「何が?」
本当に何を指しているのかわからない表情で、智先輩は表情少なめの顔で聞いてきた。
心臓の鼓動が、今まで生きていきた中で、一番早く鳴っていた。100m走を全速力で走った時でも、3キロのマラソンをしてもここまで早くは鳴らなかった。胸が苦しくて、手汗が止まらない。
「あ…えーっと、あれです。今流してくれているこの曲がです!」
……私の根性無し。
私はそう誤魔化しながら、スクールバッグの中の智先輩に勧められて中古で買ったアジカンのアルバムを取り出して見せる。
「買ったんだ!気に入ってくれてよかったよ。おれもそのアルバム好きだよ」
そう言って、CDの再生を止めて、再び、私のギター練習の邪魔にならないように、メトロノームに合わせて、アンプに繋がずにギターを弾く智先輩。
いつか…。いつか、その好きだよってセリフを、別の意味で言わせてみたい。
そして、私も本当の意味での好きを伝えたい。
そろそろ梅雨明けであろう外は、まだ雨が降っていて、部室ではメトロノームのカチカチという音とギターの音と、どこか夏の青春のような風と香りが、部室に流れていた。
高校生活、初めての夏はもうすぐそこだ。
そして、高校で智先輩と過ごせる、最初で最後の夏の始まりだ。
END
青春群像劇オムニバスシリーズ 華也(カヤ) @kaya_666
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