第百五十三話:新天地

 誰もが放心していた。

 気が抜けた、魂が抜けかけた。

 ノエルやアーダルは地面にへたりこみ、貞綱やアラハバキもまた壁に寄りかかっている。

 俺も刀を支えにしていなければ立っていられなかった。

 それほどまでに安堵の雰囲気に包まれていた。


 迷宮にまつわる全ての因縁に今、けりがついた。


 何も思い残す事はない、と言いたい所だが、まだやらなければならない事がある。

 

 この国から脱出する。


 サルヴィの迷宮の主を倒し、魔界の門を封印した今、英雄として迎えられるべきではないのかと思うかもしれないが、フェディン王が結果として死んでしまったからだ。

 これにより、イル=カザレム国が混乱に陥る可能性がある。


 記憶している限り、フェディン王に子はいない。

 親族は居るはずだが、王と比較して能力も野心もそれほどあるわけではない。

 加えて、周囲に居た大臣はフェディン王に対しては従順な態度を取っていたものの、その内心には野心を抱えている者も居る。

 フェディン王の睨みが消えた今、混乱に乗じて反乱を起こすだろう。

 

 何より、王が迷宮で死んだとわかれば犯人探しに躍起になるだろう。

 王を殺した者を捕らえ、処刑すれば自分の名声も上がるからだ。


 確かに俺たちはフェディン王を倒さざるを得なかった。

 生きるか死ぬかの瀬戸際で、手加減などしていられない。

 とはいえ、フェディン王自体は何とか殺さずに確保できていたのだが、誤算だったのは鬼神に憑依され体を乗っ取られてしまった事だった。

 精神と魂を喰われてしまえば、もはや倒す以外に道はない。

 仕方がないと言えども、殺した事には変わりない。

 フェディン王が迷宮から上がってこず、俺たちだけが戻って来るとなれば疑いの目を向けられ、犯人と断定されるだろう。

 速く国から脱出しなければいずれ捕縛されるのは明らかだった。


「若」


 貞綱が俺に声を掛ける。

 わかっている。


「ああ。もはやイル=カザレムに俺たちの居場所はない。ノエルを蘇らせ、迷宮を踏破し鬼神を倒した今となっては居る理由もないが」


 渡りに船と言うわけではないが、国を去る頃合いとしては十分だろう。


「その前に、気がかりになっているものは片付けなければならんが」

「気がかりですか」


 アーダルが問う。


「マルクだ。あの子はアル=ハキムの下で暮らし、商人としての教育を受けていた。だがハキムが死んでしまっては保護者が居なくなる」

「あの子をどうするの、宗一郎」

「今一度、貞綱とシルベリア王国に保護してもらおう」


 貞綱は、明らかな渋い顔を見せる。


それがしは、今更マルクと会わせる顔はありませぬ。どの面下げて会えば良いのか……」

「何を言っている。マルクは貞綱をきっと許してくれるはずだ」


 確証はない。

 だが、マルクは一番貞綱に懐いていた。

 会えば必ず生きていたと喜んでくれるはずだ。


「皆、疲れているだろうがまだ踏ん張ってくれ。王の帰還が遅いと知れれば、迷宮に捜索隊がやってくる。研究室まで踏み込まれたら、事の顛末も知られてしまうだろう。急いで地上へ戻り、マルクを送り、俺たちは国を出る」

「ならばここにある魔法陣を使うが良い。すぐに地上へ転送されるようになっている」

「それは助かる」


 俺たちはすぐに魔法陣へ向かうが、フォラスは椅子から離れず動かない。


「フォラス殿、どうした?」

「儂はもう少し、この研究室に留まる。ここに収められたアーティファクトをブラックボックスに確保しなければならぬからの。イル=カザレムの連中に折角集めた宝物を渡すわけにはいかぬからな。それに、城の宝物庫にあるアーティファクトも元々は儂のものだ。あれも返してもらわねばならぬ」

「そうか。フォラス殿も用事が済み次第国を出るのであろう?」

「儂も王殺しの一員である事には違いないからの。さて、何処に逃げようか。南にあるアスカロン廃城なんか一時的に身を隠すには悪くないが」

「そこは駄目だ。旧き神の信者たちが、今その城に住み着いている」

「なんと、致し方あるまい。なればもっと南の方へ逃れるとしようかの」

「では、我らはこれにて」

「うむ。だが今生の別れではない。いずれどこかで会えるかもしれん。儂はそれを楽しみにしておるよ」


 フォラスは俺たちに手を振り、もう片方の手に早速黒い箱状の物質を生み出していた。

 俺たちは魔法陣に乗ると、瞬く間に迷宮入り口に転移していた。

 

 迷宮入り口にはまだ兵士たちの姿は見当たらない。


「急いでマルクの所へ行こう」




* * *




「あっ、兄ちゃん」


 マルクは何処に居たかと言うと、冒険者の宿屋に預けられていた。

 アル=ハキムの商店の店員が気を回してここに避難させたと言伝を受け、宿屋に足を運ぶとマルクは一階の食堂の隅っこの椅子に、所在なさげに座っていた。

 

 マルクは俺たちを見かけると、すぐに駆け寄って俺に抱き着いてきた。

 しかし、俺を見上げる顔は不安に満ちている。


「なんかさ、街が凄い不穏なんだよ。兵士が街を巡回してるし、教団の所にも兵士が一杯来てたし……何があったんだろう」


 俺は入口近くに仮面を被って立っている貞綱に目配せをした。

 貞綱は、恐る恐ると言わんばかりにゆっくり近づいてくる。


「この人は誰?」

「そなたの最も親しい人だ」


 マルクの前に立つと、貞綱は仮面を外した。

 貞綱の顔を見た瞬間、マルクの顔はくしゃくしゃに歪む。

 マルクは貞綱の下へ走り、その胸を何度も叩く。


「生きてるんじゃん! 何で生きてるなら、今まで手紙の一つもよこしてくれなかったんだよ教祖様!」


 とめどなく溢れる涙が頬を伝い、食堂の床に涙の染みを作る。

 貞綱は何も言わず、固く口を結んでいた。

 しかし貞綱のマルクを見つめる目は優しく、同じく涙がにじんでいる。

 二人はしばらく無言で抱き合い、再会を噛み締めていた。

 やがて貞綱はマルクから離れると、彼に言う。


「悲しい事だが、暗殺教団はほぼ全滅した」

「えっ、じゃあハキム様も……」


 貞綱は無言でうなずくと、マルクは再び涙を流す。


「オラが行く先々でお世話になる人、皆死んじゃうのかな」

「そんな事はない。某は現に生きているだろう」

「俺もそうだ。全く気に病む必要はない」

「うん……」


 貞綱は続ける。


「いま某は、シルベリア王国の女王の下で仕事をしている。イル=カザレムに来たのもその為だ。マルク、シルベリア王国に戻り、某と共に暮らそう。今度は見捨てない」


 マルクは感極まり、今度はわんわんと泣き始めた。


「これこれ、男子たるもの無闇に泣くものではない。さて、若、皆の者。イル=カザレムの情勢が今後どうなるかはわかりませぬが、某の仕事はひとまずここまでとなります。お別れですな」

「貞綱、生きていればまた会う事もあろう」

「若たちが何処へ行くのかは知りませぬが、我らはシルベリア王国に居りまする。是非また、会いましょう」

 

 貞綱は部下とマルクと共に、サルヴィの街を離れた。

 貞綱の報告により、シルベリア王国は不安定となるであろうイル=カザレムの国をしばらく注視する事になるだろう。

 場合によっては、難民が発生しそれを受け入れるかもしれない。

 あるいは戦争も有り得る。

 女王の手腕があれば、シルベリア王国は間違った道へは進まないと思うが果たして。


 


 そして俺たちは、今まで世話になった人々に別れを告げる。


 鍛冶屋のブリガンド。

 細工工房のレオン。

 寺院の大僧正、カナン。

 ギルドの職員や定宿にしていた宿屋や馬小屋を借りていた主人など。

 彼らは一様に、俺たちが国を去るのを惜しんだ。

 

 更にイシュクル。

 彼もまた、国を追われる立場となった。

 挨拶すべく、貞綱と別れた後に教団へ向かおうとしていると、イシュクルがちょうど宿屋にやってきたのだ。


「よう。どうやら無事に迷宮を制圧し、ゲートを閉じられたようだな」

「イシュクルさん!」

「ああ、長話をするつもりはない。俺もさっさとこの国からおさらばしないといけないからな」

「何処へ行くんですか?」

「さあな。とりあえず、長い間故郷に戻ってないから、戻ってみるのも悪くはない」

「イシュクルの故郷は何処だ?」

「海を越えた西の大陸だよ。百何年も前に出ていったきりだから、どうなっていることやら」


 ダークエルフもまた長寿の種族である。

 只人であれば、百何年も経過していれば世代も二、三世代は入れ替わり、街の様子もかなり変化している。

 ダークエルフの里はどれだけ変化しているだろうか。

 見に行くのも面白いかもしれない。


「アーダル。お前はもう立派な忍びだ。これからは身に着けた術を以て、人の役に立て」

「……はい!」

「じゃあな」

「また、会えますよね」


 アーダルが言うと、イシュクルは少しだけ目を細める。


「運命が気まぐれを起こしたらな」


 そう言うと、イシュクルはいつの間にか姿を消していた。

 吹き抜ける風のように。


 

「そういえば、アラハバキ、お前はどうするんだ?」


 俺に問われると、何時の間にか籠手となって装着されているアラハバキは紋様を輝かせる。


「さて、私はもっとこの星の違う所も見てみたいと思っている。だから君達についていこうと思っているよ」

「そうか。まあ金属生命体が一人で闊歩していたら怪しいなんてもんじゃないか」

「そういう事だ」

「しかし、何処へ向かおうかな」


 全く当てはない。

 だが不安もない。

 今ならどこへ向かってもうまくやれる気がする。

 南はフォラスが行くと言っていたから、それ以外の方角が良いとぼんやり思っていた。


「この国は暑かった。今度はもう少し涼しい場所がいいな」

「だったら、僕の故郷の方へ行きませんか。今よりずっと北で、少なくとも暑さとは無縁ですよ」

「でも、雪とか降るんでしょ?」


 ノエルが意地悪く言うと、アーダルは反論する。


「それはこの国の北の方だって同じじゃないですか」

「そうだな。北も悪くは無いか」

「わたしは宗一郎についていくまでよ」

「決まりですね」


 北へ行くには、徒歩では山を越えなければならない。

 険しい山脈を徒歩で超えるのは、山岳に特化した民族が十二分に準備をしていてもなお難しい。

 故に、まず西へ向かい船で北行きの航路を取る船を探す事にした。


 



 西の港街へ向かうと、俺たちは運よくダークエルフの大商人、ラフィス=フォルトの貿易船に乗船させてもらえる運びとなった。

 ラフィスと俺は取引があり、時々商品を運んでもらっている事もあり、その伝手で船に乗せてもらえた。

 帆船は風邪を受けて海の上を滑るように、勢いよく進んでいる。


「北の大地は果たして、どのような土地であろうか」


 もしかしたらゼフに会えるかもしれない。

 いや、今ゼフと会ったら果し合いになるやもしれぬな……。

 いずれにせよ事情を説明し、成長した娘と再会したときどのような感情を抱くのか、知りたい所ではある。


 甲板に立っていると、吹き抜ける潮風が頬を撫でた。

 

 新天地では如何なるものが待ち受けているのか。

 弾む気持ちを抱きながら、俺は水平線の先をノエルとアーダルと共に見つめていた。


 

 ……侍は迷宮を歩く、これにて終わり。

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侍は迷宮を歩く 綿貫むじな @DRtanuki

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