第百五十二話:封印
もはや精魂尽き果てた。
仲間は満身創痍である。
ノエルは竜魂憑依の後遺症で疲労困憊に陥り、立ち上がれない。
フォラスは片腕を失っている。
アーダル、貞綱、アラハバキは気絶している。
仲間ではないが、影法師は生命力を吸われ枯れ枝のような姿となって動かない。
俺も
だがここで気を抜いたら、そのまま死んでしまいそうな気がする。
だから立ち続けなければならぬ。
アメノオハバリもまた、ただの無銘の野太刀へと戻っていた。
全てが終わったと勘違いしてはならない。
最後の最後にしなければならぬ仕事がある。
研究室に未だ残されている、魔界へ繋がる時空を越えた門。
これを封印してこそ、今までの迷宮探索は成功したと初めて言えるのだ。
魔界へ繋がる門は、先ほどまでの戦闘によって発生した膨大な力を吸収し、もうすでにはち切れそうな状態になっている。
実際の所、門は既に開きかけていると言ってもいいだろう。
弱い魔物であれば開きかけの隙間から這い出している。
それをフォラスは魔術で焼き払い、あるいは凍らせ、或いは風の刃で切り裂いて処理をしている。
フォラスは俺を見やって言った。
「宗一郎殿。すまぬが少し変わってもらえんか。大事なものを回収したいのでな」
「承知した」
元よりフォラスは何の為にここまで来たのか。
門の封印の為というのはもちろんだが、それに必要な道具がここに眠っているからというのもあった。
頑丈な宝箱の魔術的封印をフォラスは解くと、その中から一本の杖を取り出した。
一見何の変哲もない木製の杖だが、至る箇所から植物の芽らしきものが芽吹いている。
杖に加工されてなお、未だに生命の息吹が溢れているように思われた。
「ここまで来るのに長かったのう」
愛しい相棒と再会し、目を細めるフォラス。
これこそが彼が求めていた、古代より遺された遺物の一つ、
今は世界樹の影も形も残されてはいない。
一説によると、世界樹の雫や葉、枝、新芽や根などあらゆる部分を求め、生きる者全てが争いを始めた為に神々が嘆き、この次元ではない別の次元に植え替えがなされたとも言われている。
別次元ではあるが、未だこの世界に存在はしている所に世界に
その世界樹から切り出された枝もまた、莫大な魔素の量を内包しており、そして杖の魔素は使っても一切枯れる事は無かったという。
樹から切り離されてもなお、枝にも魔素が供給され続けているのであろうか。
魔術師は魔素が無ければ殆どが役立たずになる。
無限に魔素が供給されるこの杖は、いずれの魔術師であれども垂涎の品であった。
そんな垂涎の品が宝箱の中には、枝から削りだした杖がまだ何本もあるというのだから驚きだ。
フォラスは世界樹の杖をその手に取り戻すと、みすぼらしい老人の様子から一変する。
魔素が漲る杖から明らかに活力をもらっており、若返っているようにも見えた。
次に手のひらから黒い箱状の物質を生み出すと、その中からかつて身に着けていたと思われる魔術師の服を取り出した。
黒ずくめではなく、紫色の気品に溢れた
「さて、儂の怪我を治してもらうか」
フォラスはノエルに残っていた世界樹の雫を飲ませる。
疲労の極みにあったノエルの顔色は見る見るうちによくなり、立ち直る。
「砂漠の中で放浪して喉がからからの時に、オアシスを見つけたらこんな気持ちになるのかしらね」
「ノエル、すまぬが儂の腕を治してくれ」
「お安い御用よ」
フォラスは新たに生えた腕の感触を確かめながら、門を見据えた。
「五百年も放置せざるを得なかったのは心苦しかったが、間に合って良かった」
そしてノエルは、まだ気絶している仲間を起こした。
アーダル、アラハバキ、そして貞綱は呻き声を上げながら身を起こす。
「どうやら、某が気絶している間に片がついてしまったようですな」
「まだ最後の仕事が残っているぞ貞綱。魔物が溢れてかなわん。手伝ってくれ」
「御意」
貞綱は刀を抜くと、門からすり抜ける魔物を片端から叩き斬っていく。
「何か、出てくる魔物が徐々に強くなってきてない?」
「僕もそう思います」
ノエルとアーダルが言った。
確かに、先ほどはせいぜい
「門の隙間が大きくなっている。最早猶予はない」
フォラスは宣言する。
「これより、魔界へ繋がるゲートを封印する儀式を執り行う。その際、一切邪魔が入ってはならぬ故、それまで儂の護衛を頼んだぞ、皆の衆」
その言葉に、俺たちは力強く頷いた。
誰もが疲れ切っているが、これは是が非でも成し遂げなければならない。
「ゲートを閉じる為の儀式は、長い詠唱と膨大なマナ、魔法陣の描画が必要となる。この杖が持つマナが一時的に枯渇するくらいの儀式である故、どうしても今まではゲートを閉じる事は叶わなかった。無論、迷宮の主が居たせいもあるが……」
フォラスは言葉を切ると、目を閉じて詠唱を始めた。
言葉は少なくともこの周辺で聞いた事の無い言語であり、今は失われた古代の文字によるものであろうと思われた。
次々と印を結びながら、中空に指で魔法陣を描き始める。
その間も、無論魔物は這い出てきている。
排除を続けるが、その魔物の強さは門が広がるのに比例して更に強力になっていく。
「やっばい! グレーターデーモンよ!」
ノエルの悲鳴が上がった。
上級悪魔。
戦力が整った今でも、厄介な魔物には変わりない。
更に単純な腕力も強い上に、仲間を次々と魔界から召喚するという厄介極まりない性質を持った魔物であった。
対処を間違えれば、一気にこちらが危機に陥る。
上級悪魔はまず周囲を見渡し、こちらが複数いる事を察すると即座に召喚の魔法陣を地面に描いた。
召喚魔法陣からは同じ上級悪魔の数体現れ、こちらよりも数で勝る形となる。
十分に増えた数でもって、上級悪魔たちは吹雪の魔術を唱えようとしていた。
「させるか!」
アーダルは背負っていた風魔手裏剣を投げつける。
忍者の手裏剣はどのような堅い皮膚や筋肉を持つ生物であっても、やすやすとその肉を切り裂き、骨をも分断する。
その威力は悪魔に対しても遺憾なく発揮され、最初に現れた上級悪魔の首を刎ねた。
他の仲間に対しては投げつけた軌道上、首を斬る事は無かったものの、腹を抉ったり腕を斬り落とすなど、十分な損傷を与える。
「貞綱さん!」
「応」
次に貞綱が、残った上級悪魔の首を次々と落としていく。
最後に残った悪魔は貞綱の斬撃を躱したものの、動いた所に俺が心臓を貫いて何とか倒した。
だが安堵している暇はない。
次から次へと魔物が溢れてくる。
鬼神やアークデーモンと言った強力な魔物と対峙するのとは、また違った辛さがこの戦いにはあった。
終わりが見えないのだ。
何時になったら終わるのかという疑念が心に芽生えると不味い。
疑念は人間の心を容易く折る原因となる。
今は考えるべきではない。
ただ無心に、ひたすら目の前の敵を打ち倒すのみ。
更に、門からは今度は巨人系や
ひとたび膂力に優れる巨人や人形の一撃を喰らえば、骨まで粉々になる。
全く気を抜けない。
「フォラス殿、まだですか」
アラハバキの言葉に、フォラスは顔を歪めながらも答えた。
「ようやく儀式は最終段階に入った。あとはひとつだけを行えばよい」
「それは一体?」
「一度開いたゲートを閉じる為には、人身御供が必要となる。すなわち人を魔界へ投じるのだ」
その言葉を聞いた瞬間、誰もが絶句した。
「何故それを最初に言わなかったんだ!」
「言った所で、誰がその身を捧げるというのかね。生贄を何処かから見繕うなど、恥知らずな事は儂にはできぬ。もちろん、誰が身を捧げるのかは既に決めておる」
それは儂だ、とフォラスは強く言い放った。
「この事態を引き起こしたのは全て儂のせいだ。故に、儂がこの身を捧げてゲートを閉じるのが当然であろう」
「フォラス殿。貴方はまだ研究したい事が山ほどあるのではないのか。それらを成すまでにはまだ死ねぬであろう」
「宗一郎殿が言う事はもっともだ。しかし、自分のしでかした事の始末を付けずに生き永らえようとは思わぬ」
「……なれば、俺がこの身を捧げます」
「そうしたら儂は一生、そなたの伴侶に恨まれるであろうな。今更そのような恨みを買いたくはない」
隣を見ると、ノエルが哀願するかのような顔で俺を見つめていた。
それだけはしてくれるな、と言わんばかりに。
「フォラス様……」
「儂はこのような事がなければここまで長く生きるつもりはなかった。人生の最期の時は、自分で決めさせて貰いたい」
そこまで決意が固いのであれば、何も言う事は無い。
俺たちは黙り込み、残った詠唱を唱え続けるフォラス。
そしてついに、詠唱は終わった。
門が開く勢いが鈍り、開き切るかに見えた門はわずかにまだ止まっている。
魔物が入り込んでくるのも止まった。
フォラスが門の近くまで移動し、魔界を覗き込む。
「やれやれ……」
大きなため息を吐く。
魔界へ身を投じるのは、ほぼ死と同義であろう。
自ら死にに行くとて、喜んで死ねる者はほとんどおるまい。
大いなる覚悟を抱かねば。
その時、人影がゆらりと動いてフォラスを門の前から突き放した。
「むうっ」
門の前に立ったのは、生命力を吸われて死んだはずの影法師である。
枯れ枝のようだった姿のあの時よりは、何故か幾分か生気を取り戻していた。
それでも万全だった時よりは程遠いが。
「影法師さん!」
「フォラスとやら。魔界へ身投げするのは我だ。貴様ではない」
影法師の目的を思い出す。
魔界へ行き、修羅となって戦いに身を投じるのが奴の目的だった。
だがその体で、戦いに耐えられるのか。
そもそもの話として、魔界の環境で人間が生きていけるのか。
たとえ健康であったとしても、苛烈な環境であることは間違いない魔界では生き永らえられるとは思えない。
「影法師、貴様はアークデーモンに生命力を吸われ死んだのではなかったか」
「確かに、奴には我の吸魂、吸精術は通じなかった。だが、我もまた生命を喰らう術を使う者だ。自らの命を吸われきられぬ程には抵抗が出来た故に生き延びた。そして、貴様らが倒した魔物の魂を喰らう事で体に活力を取り戻した」
話を聞けば道理であるとは思えるが……。
影法師は呟く。
「我は忌み子と呼ばれ、人の命を奪わなければ生きながらえる事すら出来なかった。だが我の生に悔いはない。それこそが我が人生であった」
しかし、と影法師は言葉を繋ぐ。
「奪うばかりであった我が生において、この身を投じる事でこの世界に安寧が訪れるというのであれば、少しは我がこの世に生を受けた意味もあろうと言うものだ」
「影法師さん……。本当に行くんですね。僕はあなたにも、この世で生きていてほしかった」
アーダルの言葉に、影法師は振り返らない。
口の端にわずかな笑みを作り、影法師はそのまま門の中へ身を投げ出した。
瞬間、凄まじい程の衝撃が襲い掛かる。
研究室全体が震動し、天井や床が崩れてしまうのではと思うほどに。
雷が鳴るかのような轟音が響き渡り、門はあえぎながらその口を閉じる。
今にも閉じようとしている門から滑り出ようとした魔物は、この世界と魔界の空間の断裂にはさまれ、そのまま体を両断されて死に、そのまま魔界へと呑み込まれた。
魔界への門は完全に閉じられると、やがてその姿を徐々に消していく。
この世と魔界の時空間のつながりが失せた為だろう。
研究室は元の状態と比べられない程に荒れ果てた。
しかし、確実に取り戻せたものが一つある。
それは平穏だ。
フォラスは椅子に座り込み、背もたれに体を預けて天井を見上げる。
「終わったのう……」
誰もが心の底から頷いた。
長きに渡る迷宮の歴史は、今ここに終わりを迎える。
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