多年草
自堕落
未完第1話(仮)
花は好きだった、幼い頃祖母に花の名前をよく聞かされていた事が色濃く私の中心に巣くっていた。
それは庭に咲く珍しい花であったり、道端に乱雑と生える野花だったりもしたが、祖母はそれらを平等に扱った。
平等というのも例えば野花にしても一番高い花瓶を使って活けていたし。薔薇だからといって1番いい場所に置くのでもなくその花の居るべき場所を作るように。
日光が肌を焼く感覚がやけにリアルだったので裸足で中庭に降りる。
足の裏にゴツゴツとした石や腐った腐葉土の重みが直に伝わる。
自分が何かとても小さなそれでいて確実に常軌を逸した行動を取っているような自虐的な心地よさを感じる。気持ちがいい。スプリンクラーを止め花の間際にしゃがんだ。雑草に紛れるように葉の茶色くなった紫陽花が今にも干からびようとしていた。
皮肉にもスプリンクラーの水はこの紫陽花の寿命までは引き伸ばせないらしい、豊富な光と水があっても、過ぎる時間には敵わないのだろう。どれだけコラーゲンを摂取しとうともシワは増える。祖母のあの皮膚のたるみと死に顔を思い出した。彼女は植物を愛しそして彼女さえも植物であった。
栄養を取っても同時に摂取する時間がはるかに上回るのはなんとも皮肉めいていて、どうにもそれが答えなのだろう。
祖母は死ぬ間際までチューブに繋がれ、栄養を水やりのように注ぎ込まれていた。彼女はやはり死ぬ寸前まで植物であった。
祖母はよく笑った、痴呆になってからはもっと笑った。私を孫と認識せず、母親だと勘違いし私に甘えてくる様がどうにも滑稽だったことを覚えている。
祖母は母親である私に花の名前を得意げに話していた。痴呆になっても花の名を彼女は生涯忘れることはなかった。
「ヤグルマソウはねアブラムシが湧くのよ」
幼い頃ヤグルマソウが綺麗だと私が言うと打てば響くように言う祖母の決まり文句であった。
ヤグルマソウはとても強い花でそして雑草である。手入れをせずとも咲くのだ。やせた土地でも水が少なくともヤグルマソウは咲くのである。
私はヤグルマソウが嫌いだった。なぜならアブラムシが湧くからだ。アブラムシは嫌いだった。黄緑色の身体をしてヤグルマソウの茎と同化し一目では境目がわからない、目を凝らすとアブラムシがびっしりとついている様は不気味で気味が悪い。ヤグルマソウはやはり強くアブラムシが湧いてもその根を閉ざすことはない。
祖母はアブラムシに対してどんな感情を抱くだろう。死ぬ前に母親として聞くべきであった。母親に対してならば祖母はきっと真っさらな答えを止め処なく話しただろう。
私の子供の祖母は私に甘えた、それは私が見たことのない祖母であった。しかし植物を介して話すものは以前の祖母だったので、私は植物の会話に逃げていた。
止めたはずのスプリンクラーがまた作動した。よくあるのだ、このスプリンクラーは壊れている。水沁みが目立つ綿の色の濃いワンピースに水滴の跡が無造作に広がる、乾かすために私は立ち上がった。
目の前がバーストする、立ちくらみ。わたしは立ちくらみが好きだ。一度も大病をしたことがない私にとって不健康はとても甘美だった。風邪をひき学校を休み布団に潜り込む、どこかでチャイムが聞こえる。あの独特の背徳感は私にとって非現実的で救いであった。私の人生では非日常は不健康によって出来上がることが多いと思っている。
私もチューブに繋がれたい、祖母のような、植物になれたらよい。
そして立ちくらみが治る、やはり私の非日常は今日も、数秒しか持たない。
健全になった私は健全な顔をして健全な夕食をつくる。
夫は私の作った健全な料理を褒めるだろう。私はそれを喜ぶ。味付けは完璧なので少し濃くなってしまったと困った顔をして言えば、そんなことはない今日もとても美味しいよと、健全な夫は言う。
夫はどこまでも健全であった。お酒を一滴も飲まずタバコも吸わない。
どこまでも善良でどこまでも健康的なその生き様に私は目眩を覚える。知っていますか、あなたの妻は不健全なのです。余命はあと半年なんですよ。そう口から出まかせの虚偽を言いたい衝動を堪え私はその言葉を肺に戻す。
「ヤグルマソウはねアブラムシが湧くのよ」肺に戻した空気が祖母の言葉になって出てきた。
夫はわたしと目を合わせ善良な笑みを浮かべた。よく知っているねあの花はとても綺麗だ、君にとてもよく似合うだろう。それに君は物知りで高尚な妻だね。そんな君が好きだ。そう言って夫はまた手を動かし咀嚼を再開する。その様はまるでアブラムシのようだと思った。
私は夫の動作を余すところなくじっくりと見る。夫は私の目線に気づかない。
目の前にあった魚が、豚肉が、芋が、セロリが、するすると夫に嚥下され、それらが夫になってゆく。目の前にあった食物と夫と見分けがつかなくなる、境目はどこか。私はそれを探している。
私は魚を、豚肉を、芋を、セロリを、そして夫を今日も抱くのだろう。その時私は、私と夫との境目を手探りで探すのだろう。
夫が御馳走様と唱え祈る、何かに祈る。民間信仰が夫にはあるのだろうか。受取手が欠落した祈りに、私は悪寒がした。
僕が洗うよ。夫はそう言うと流し台へ向かう。優しい夫だ、善良で健康的で自己犠牲を美しいと思える愚かさがある、そんな夫だ。
ねえあなた、優しいあなた、アブラムシのようなあなた、あなたは私にヤグルマソウが似合うと言った。その言葉を吐き出したあなたはどこまでも残酷で、私はその仕打ちによって生かされているのですよ、そんな私をあなたは軽蔑すらしてくれないのでしょう。ああそうだわ、あなたは私に罰を与えない、私はそれこそがあなたからの罰だと知っているのですよ。あなたの決定的な敗北はそこにある、あなたは私がそれを知っていることを知らないのです。それはどれほどのことか、愚かなあなたにはわかりますまい。私は夫の背中をただ見ていた。
大きな音がして我に帰る、この音は知っている、聞いたことがある。夫は振り向いてはにかんだ。割ってしまったよごめんね今度一緒に買いに行こう、お揃いの皿を新しく2枚買おう、君が選ぶんだ、君はセンスがいいからね、楽しみだなあ。
夫のその不健全な音を全て封じ込められる強力な力をそこに見た。わたしは恐怖を覚える。
夫は愛を売りにきた、そしてわたしはそれを買えない。
多年草 自堕落 @sametamesi
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