第3話 希望者

「まさか仕事終わりがこんな時間とはね」


 何故俺はこんな夜更けに不機嫌そうに話す女と対峙しているんだろう。すっぽかしたかったが、携帯の番号を押さえられている。軽い頭痛を覚えながら、周りを見渡す。


 質素な白調の壁に床は青と水色のマットが交互に引かれ、部屋はいくつかのパーテーションで区切られている。

 俺が座っているのはどう考えても来客用ではなくただの事務椅子。正面には茶色い長机が二つくっつけて並べてある質素な空間があるのみ。ミーティングルームだな。


 机の上にはカレンダー付きの時計が置いてあり、深夜1時を指している。業後に無理なく来ればこんな時間だろう。


 俺がよく利用するファミレスの向かいにあるビルの2階に位置するここは空きテナントで、何の看板も上がっていなかったような気がしていたが違ったのか。そこまで考えたところで声を掛けられた。


「何キョロキョロしてんの? まず、私の名前はサラフィナ、サラって呼んで。アンタの名前は ヨモガワ コウジロウ で良いんだよね?」


 全然良くない。コイツはどう見ても赤いカラコンを入れて髪を染めた日本人だ。美人は認めるが西洋系の顔じゃない。

 そして何よりも、


「サラフィナね。俺はジョンだよ、ジョン」


 応えつつ、名刺もまだ渡してないのに名前が割れている理由を考える。

 そう、俺の名前は 四方川 広司郎 (よもがわこうじろう)。書類を書くと、枠数の関係で氏名欄に入りきらない事があるのが悩みの古臭い名前だ。


 なぜこの女、自称サラフィナが俺の名前を知っているのか。仮にあの早朝の騒ぎの後で俺を尾行していたとしても、会社で門前払いのはずだ。ウチの会社はセキュリティだけはしっかりしている。名札もない。


 ダメだ、分からない。一般人の個人情報などあってないようなものだということか。

 いや......、俺の名前を呼んだ時、視線が若干合っていなかったような気もする。呼んだというよりような。


「アンタさー……本当にジョンで命名し直してもいいんだけど? コウジロウ、は毎度呼ぶのダルいしコウでいいか。コウ、改めて聞くけど、どこで情報を得たの?」


サラフィナは不機嫌な顔の割に馴れ馴れしく俺に愛称を付けて話し続ける。


「何度も言うが俺は貴方の言っている事が」「サラでいいってば」……。

「俺はサラフィナの言っている事が全く分からない」


 サラ呼びは無視して、俺は首を傾げた。


「しらを切っても飛び込もうとしたのは分かってるからさー、面倒だなあ。だから足掛けたんだし。コウも分かるでしょ」


 ダメだ、この後も何回か言い訳をしたが結局トラックに飛び込む理由が見当たらない。というか気怠げな返答と視線に耐え切れなくなった。


「ニュースを見てトラックに飛び込もうと思っただけだ。大怪我を負いたかったんだよ。分かるか? 最近のトラックの進歩とやらで、大怪我を負いつつも致死率が低いことに期待したんだ。」


 俺は半ばヤケになり、サラフィナに事情を説明する事にした。

 会社の事。この街に来てからの生活。ニュースの話。


 初めはキョトンとしていたサラフィナだったが話が進むにつれ顔を伏せ、しまいには震え出した 。あまりに俺が可哀想で泣いているのだろうか。


 そりゃそうだろう。社畜と呼んで差し支えない人生とその末にたどり着いた方法が、トラックに飛び込むなんてあまりに哀れで.....

「あははははは! そんな理由で飛び込んだの? トラックに? 生身で? いやホント、コウって……あはは!はーお腹痛い! 」


「笑うところじゃねーんだけど!?」


 この女、笑い過ぎて震えているだけだった!

 だが、あまりに清々しい爆笑に怒る気も失せてしまう。


「なんで病院行くとか会社辞めるとか、追い込まれて自殺とかじゃないかなー。休暇取得のためにトラックって......ふふ! コウってステータスと一緒でやる事が半端だよね。いやでも納得納得」


そして軽く手を打つサラフィナ。何が納得なのだろうか。しかもナチュラルに暴言を言わなかったか?


「分かった、一から説明してあげようかな。うんうん、普段なら適当に準備して送っちゃうけど、コウ相手なら面白いかも」


 後には引けないし、と小さく続ける彼女の笑顔は気怠げな表情より魅力的だった。だが、


「『希望者』っていうのは異世界転生希望者の事ねー。この世からオサラバして別の世界に行くって約束した人のこと!」


楽しげな彼女から飛び出した単語はその笑顔と酷く不釣り合いなものだった。

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