異世界転生は楽じゃない

湯桶酒呑

第1話 トラックも進歩してるから

 このトラックなら大丈夫、そう小さく唱えて俺は車道に飛び出した。


「はあ……またなの? 懲りないなー。」


 そんな気怠げな声が、頭の奥に響いていた。


 ────────────────


 今日の帰り道も俺は疲れていた。足取りは重く、遅々として進みはしない。とっくに日は沈み、帰宅ラッシュどころかご機嫌な酔っぱらいを乗せたタクシーもまばらになった夜中、待つ人もいないのに一人帰路につけば誰だって溜息の一つくらいは出るだろう。


「はあ......休みてーなー」


 自宅に戻る頃には、時計はとっくにてっぺんを指し終わっていた。窓から見えるまばらな街灯に照らされた歩道をボンヤリ眺める俺は、ここ数年の日常を思い返しながら眠りにつく。思い返すほど充実してもいないのだが。


 学生時代大した夢も持っていなかった俺は、これ以上勉強をしたくないという理由だけで就職活動に移行し、これまた大した志望も持っていなかったため初任給だけは高いこの企業へ見事に引っかかった。

 最初の5年は悪くなかった。都市部で死ぬほど働いていたがやりがいはあったし、自分のプレゼンが通過した後はご褒美に一人で小旅行なんかもしていた。


 状況が変わったのは転勤辞令が下りてこの街に来てからだろう。

 住民の幸福度が低いとかなんとかいう噂のこの街に来て、職場で転勤の挨拶をした日が忘れられない。陰鬱な目、ひそひそ声。何もかもが違う。


「ここは墓場だ......来ちゃいけなかった」


 そう呟いても、毎日同じ生活の繰り返し。朝起きて会社へ向かい、同じ案件で上司に怒られて夜中まで残業。

 俺が無能なわけではないと思う。この職場は地元から転勤したくないセンパイ方で溢れていて全然仕事が回っていない。

 そして責任被りを俺が担当しているわけだ。本社は見て見ぬ振りらしい。


 傷病以外での休暇申請は却下されるし、土日は平日の疲れを癒すため死んだように眠るだけ。もちろん休日出勤がなければ、だ。

 年を追うごとに抵抗する気力はなくなり、後悔する日々だけが続いている。なんでこんなことになったのだろう。


 ──精神的休養が必要だ。


 頭では分かっていても会社がそれを許してくれない。どうすれば会社は休ませてくれるだろうか、どう申請すれば許可が下りるだろうか。傷病以外では休めた試しもないのに。……傷病?


 ──怪我を負ってしまえばいいのではないか? 入院するほど派手に。


 「なんて馬鹿で短絡的なアイディアだ。実に馬鹿馬鹿しい」


 そう口に出しても、俺はその刹那に浮かんだ考えを振り払うことができなかった。怪我。怪我か。

その日から、どうしたら会社都合で怪我を負って休めるか、手段を考えるのが日課になっていた。


「ここで転んだことにして......」


 通勤路の高架橋から飛び降りたら怪我で済むかな、とか電車に轢かれたらまず助からないよな、とか。

 精神的におかしくなっているのは間違いないが、逃げ場がないと思うよりはマシだった。


「今日も怪我できなかった。つまり明日も仕事なわけだ。あーあ!」


 だが俺はある日、ニュースサイトで一つの記事を目に留めた。


『トラックに轢かれ重傷、今月に入り7人目』


 トラックに轢かれるのも考えていた手段の一つではあった。

 通勤路では毎日同じ時間に運搬トラックが通過するので実行しやすい。しかも信号のない横断歩道付きだ。

 歩行者がいようが道交法を守って徐行している自動車なんて皆無なので、タイミングを見計らって横断歩道に走り出せば確実に轢かれるだろう。

 こちらは完全に被害者だし、通勤上災害になって一石二鳥だ。

 しかしそれは死ななければ、だ。車道間近で見るトラックの大きさと風圧にすっかり怯んだ。


「こりゃ確実に死ぬな」


 これがニュースを見る前の俺の感想。


「いける、か?」


 これがニュースを見た後の俺の感想。

 全く単純で笑える。


 ニュースの詳細を確認すると7人とも重傷とはいえ死亡者はいないらしく、専門家の話では『トラックも進歩しているから』だそうだ。

 自動運転技術や安全装置の機能とかもっと気の利いた事は言えないのかよと悪態を吐いてから、いつもの光景を思い出す。

 あれだけ大きいトラックでも重傷で済むなら再考の余地がありそうだ。おかしくなった精神状態で俺は独り言を漏らす。


「轢かれて、みるか」


 そもそも何故7人もトラックに轢かれたのか、俺は考えもしなかった。


 ────────────────


 けたたましいクラクションが通り過ぎて1、2、3秒。怒声も聞こえただろうか。身を裂くような痛みは一向にやってこない。休暇をもたらしてくれる大怪我を負っていないのは明白だ。

 じわじわとやってくるのは膝の鈍痛だけ。転んだかのような。いや、実際転んでいる。

 転ぶ要素なんて何もないのに、と振り返ろうとしたところで頭の上から声が掛かった。


「あのさー、緑ナンバーのトラックに轢かれても大怪我するだよ。トラックも進歩してるから。死ねないようになってるんだよね。」

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