第5話 溢れ出すもの

 翌日、出勤時間を過ぎても会社から電話は来なかった。普段、欠勤には鬼電や自宅に来てまで対抗する職場だ。

 サラフィナは会社への連絡も書類も不要だと言っていたが、どうやら本当らしい。

 異世界転生万歳!サラフィナ万歳!


 俺は青ワイシャツにダークグレーのスラックスという会社と大差ない格好で待ち合わせ場所へ来ている。

 動きやすい格好で! と言われていたが、私服なんてしばらくクローゼットの奥深くに眠ったままだ。この格好の方が動きやすい。


 待ち合わせ場所は昨日の事務所からさして遠くない公園だ。

 ベンチと噴水以外には広い芝生があるだけの空間だが、親子連れやカップルはよく訪れるらしい。

 俺には無縁の場所だったが、来てみると芝生の香りと噴水の音が心地良い。確かに憩いの場としては申し分なさそうだな。


「あ! 動きやすい格好でって言ったのに!」


 そう言うサラフィナはまた少し不機嫌そうな顔をしながら駆け寄ってきた。

 サラフィナだって昨日とリボンの色が変わっているだけじゃないのか。


「私はどうなんだー、って顔してるよ。コウは分かりやすいね。私はお仕事だからこの服装でいいんだ。見つかるとまた色々言われるし......」


「俺もいいんだよ。この服装の方が慣れてる。お似合いだろ? で、ここで何をするんだ?」


「まずはねー、もう少し公園の奥のベンチに座ろうかな」


 サラフィナが指差した先は公園の奥に併設された博物館の敷地にあるベンチ。

 見える範囲にはあるが、傾斜のある木道を登った先にあり少し遠そうだ。


「ここじゃダメなのか? 広くて良さそうだ」


「ダメだねー。これからやる事が人目につくと異様に見えるし、私たちじゃちょっと場違いっぽいじゃない。例えばこうすれば場違いじゃないかもしれないけど、ね!」


 そう言ってサラフィナは唐突に俺の横に着いて手を握ってきた。恋人ごっこか。

 スキンシップ過剰な女には大抵裏があるので振り解こうとしたが、ガッチリ掴んで離す気がないらしい。


 これ以上抵抗すると逆に目立つし、思惑を無視すればサラフィナと手を握って悪い気はしない。

 俺は細やかな抵抗として握り返してやる事にした。


 サラフィナは、んっと少し呻いて驚いたように硬直したが、俺は気にせず歩き出す。

 積極的にアプローチするのは得意でも、逆はそうでもないのかもな。


「いまさらだけどコウは彼女とかいないよね?」


「いたら声を上げて振り払っていただろうな。わー、って」


「にしては小慣れてる感じだけど?」


「子どもの相手は嫌いじゃないんでね。任せておけ」


「なるほどねー、納得納得.....って誰が子どもよ!」


 と下らない雑談をするうちにベンチについた。

 ここは木陰も多くて地面の少し湿った香りがする。神社の境内のような。こういう場所も好きだな。


「よし、いい加減手を離してもいいんじゃないか」


 そう俺が言うとあっさり指がスルリと離れた。......まあ、口でどう言っても可愛い女の子と手を離すのは残念なものだ。うん。

 サラフィナは悪戯に成功した子どものような笑みを浮かべている。やはりサラフィナは優位に立つポジションが好きなんだろう。負けだ。


「さて、じゃあコウはベンチに座って。この眼鏡をかけてくれる?」


 サラフィナに言われるまま俺は眼鏡、というかゴーグルをかける。スイッチは付いていない。


「これからコウがどの属性に向いてるか確認するね。コウの身体への負担が大きいから、まずは眼鏡に魔力を通して可視化するから」


「少し分からないんだが、なんでサラフィナはこの世界で魔法が使えるんだ?」


 俺は素朴な疑問をぶつける。サラフィナは少し考え込むように顎に手を添えてから口を開いた。


「基本的にこの世界で『炎よ出ろー』って魔法は使えないよ。今はね。この世界は色んなものを≪≪観測しすぎた≫≫んだ。でもこの世界で魔法が使えなくなっても、体内にある魔力は消えていないよ。だから、魔力を付与した物越しには見えるんだよね。眼鏡とか『眼』とかね」


 なるほど、と呟いた俺はゴーグルで辺りを見回した。

 博物館や公園に特に変わった様子はないが、サラフィナの周囲には白色と赤色のフワフワした粒子が舞っていて、ゴーグル越しの彼女は笑顔で手を振っている。

 これが、魔力か。


「見えたみたいだね、私の魔力。何色に見えたかな。可憐なサラちゃんにピッタリの魔力でしょ? その調子でコウ自身の魔力を見てみて」


 俺は苦笑を浮かべつつ、視線を落として自分自身を見てみる。......何も見えない。

 もう一度集中して、さっきの粒子が出てないか特に意識して手の平を見つめ続けた。まさか魔力なしとか?


「リラックスだよ、リラックス〜。サラちゃんが気になって集中できないかなー?」


 サラフィナは俺に魔力を見せたいのか見せたくないのかどっちなんだ。


 肩の力が抜けたところで。

 刹那。

 

 ヌメっとした血のような赤と奥が見えないほど深い闇が手から溢れ出した。

 なんだこれは! 汚い。きたない。キタナイ! こんな邪悪な物が俺の魔力なのか!?


 赤は生暖かく異物が這い回っているような感触があり、≪≪ナニカ≫≫が脈を打って俺の手から離れようともがいている。俺の側にいて欲しくないが、俺の手から絶対に離してはいけないと本能が叫んでいる。


 黒は冷たいというより無だ。怨嗟の声と苦悶の表情を奥から感じるのに、息遣いは耳元で囁かれるように感じるのに、実際の嗅覚や視覚では何も捉える事ができない。


 こんなものが俺の?あり得ない!だしたら俺は...!

 俺は慌てて目を閉じて、魔力が散るように祈った。目を閉じても這い回る感触と囁く気配は手の平から無くなる気配がない。むしろ強くなっている。

 これ以上は俺の精神が耐えられない。


「消えろおおおおおおおおお!」

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