心霊写真

 喫茶店のテーブルいっぱいに並べられた写真を、砂原一臣はうさんくさそうな眼つきで睥睨した。どの写真にも、なにかしらが映っている。白い影だったり、顔に見えないこともない模様だったり、赤い光点だったり、位置のおかしい手足だったり――。

「どうだ? 本物はあるか?」

 テーブルの向かいに座った楪義人ゆずりはよしとが、好奇心を隠しもせずに、砂原をうながした。黒いサングラスをかけて、アロハシャツを着た、見るからに軽薄そうな男だ。昔からの付き合いでなかったら、砂原は関わろうとも思わないだろう。

「これ、全部フィルム?」

「もちろん。おまえ、デジタルカメラの心霊写真は全部ダメだって、そう言ってたじゃないか」

「ダメっつーか……。そっちの真贋は、俺にはわからないってだけだよ。専門外だ」

 デジタルは魂を駆逐する、というのが砂原のまぎれもない実感だったが、その感覚に、普遍性があるのかどうかなどわからない。

「全部インチキなんじゃないのか?」

「だから専門外だって。知らねーよ」

「気難しいね、霊能者は。同じ心霊写真だろ?」

「霊視者がみんな、同じ霊を見てると思うなよ」

「その理屈がよくわかんねーんだよな」

 わかんないだろうよ、そりゃあな――砂原はおなじみの疎外感をまた感じたが、疎外感を無視するのにも、もう慣れた。初めから、理解を期待しなければいいのだ。

 店員を呼んで、アイスコーヒーを頼む。その女性店員は、注文を復唱しながら、テーブルに広げられた怪しげな写真の数々をじろじろと眺めたが、何も言わなかった。

「まともな霊視者なら、だれだって、ある疑問に取り憑かれている――」

 店員が離れると、砂原は話を続けた。

「自分に見えている霊は、本物なのか? 自分が見ていると信じるものは、ただの幻なんじゃないのか? 自分はもしかしたら、単なる頭のおかしい狂人なんじゃないのか? ――絶対に、その疑いは晴れないんだよ」

「頭がおかしくたって、いいじゃないか。面白いビジョンが見えるっていうならな。毎日がパーティーだ。羨ましいかぎりだよ、まったく」

「……やっぱりおまえ、何もわかってねーわ」

「そりゃあな。だって俺、霊なんて見えねーし」

 楪はこともなげに言う。そういうさっぱりしたところが、話しやすいといえば話しやすい。いささか腹の立つことでもあるが。

「霊が見えようが見えなかろうが、自分と他人が同じものを見ている保証なんてどこにもない。さっきの店員、どう思う?」

「いきなりどうした? そうだな。なかなか可愛い人だと思ったよ」

「そうか。俺には顔が見えなかった。黒い影でびっしり覆われていてな。のっぺらぼうにしか見えなかった」

「――本当か?」

「本当だと思うか? 確かめようがあるか?」

「なんだよ、どっちなんだよ」

「そんなことはどうでもいい。あの店員には、俺たちってどう見えてると思う?」

「陽気な男前と陰気なぼんくらか?」

「んなわけねーだろ。いや、まあ、知らねーけど。怪しげな男たちだなとか、あの写真はなんだろうとか、まあそんなところか。といっても、派手な迷惑行為でもしなけりゃ、単なる客たちの一部だ。コーヒーだけで何時間も粘りやがって、とか、そんな感想はあるかもしれないが、基本的にはどうでもいい、記憶にも残らない薄い存在だろう。俺たちにとっても、他に関わりでもなけりゃ、店員なんて希薄な存在だ。幽霊みたいなもんだ」

「お待たせしました。アイスコーヒーになります」

 さきほどと同じ女性店員が、写真で埋まっていないテーブルの一角にアイスコーヒーを置き、会釈して立ち去った。

「黒い影って、本当か? 改めて見てみたが、やっぱり可愛かったぞ」

「おまえ、たぶん永遠に霊なんて見ないんだろうな。そっちの方がよっぽど羨ましいよ、まったく。ああ、もう、俺も自分が何を言いたかったんだか、よくわかんなくなっちまった……」

「わかるよ。要は、人間はだれだって見えているものが違うってことだろ。店員と客でも違うし、男と女でも違うし、普通の人間と霊能者でも違う」

「よくわかってんじゃねーか。ついでに言えば、男と男でも違うし、女と女でも違うし、霊視者と霊視者でも違うってことだ」

「でもおまえ、霊能者同士でつるんで、ボランティアだかなんだかやってんだろ?」

「まあな」

「同じ霊、見えてんだろ? だったら……」

「確かにな。でもさ、客観性があるかなんて、わからないよ。極端なことを言っちまえば、俺も他の霊視者も狂人で、たまたまその狂気が重なっている、近接している、そんなところなのかもしれない。俺たちのボランティアも、空疎な茶番なのかもしれないよ、マジに。集団ヒステリーみたいなもんだ。子どものごっこ遊びと同じだ。でもまあ、いまのところは、見えるものをある程度は共有できている。それでさ、これは俺の偏見かもしれねーが、家族だとか集団だとか国家だとか、そのなかでの常識ってやつも、似たようなものじゃないかと思ってる」

「あ、そう。まあ、そんな大風呂敷は置いといて。で、最初に戻るけど。この写真のなか、本物の霊、いるのか?」

「どれどれ……」

 楪の並べた写真を、一枚一枚、砂原は手にとって見ていく。

「あくまで俺の基準だ。俺に見える霊に限った話だからな」

「はいはい、わかったよ」

「偽物、偽物、偽物、偽物――」

 そう言いながら、砂原は不合格の心霊写真を弾いていく。

「やっぱりダメか。なかなかないもんだな」

 楪は残念そうに言って、ジンジャエールを飲む。

「本物だったところで、おまえにとってはどうでもいいだろ」

「どうでもよくねーよ。霊能者お墨付きの、箔がついた心霊写真は、ずいぶん高く売れんだぞ。おまえにも何割か入るんだからさ、真面目にやれよ、一応これもバイトなんだから」

「じゃあ、嘘でもなんでもいいから、本物ですって、コメントとか適当にでっちあげればいいだろ」

「それがね、不思議と売れないんだな。やっぱり本物が認めた本物じゃないとな。霊は見えなくても、心霊写真の価値はわかるのかな。本物だけの、ヤバい空気があるらしい」

「心霊写真なんて、大半がレンズだのピンボケだの多重露光だのの問題だろ。デジタルが主流になってから減ったのがいい証拠だ。おまえは何を根拠に俺の言うことを信じるっていうんだ」

「幼なじみじゃないか」

「バカバカしい……あっ」

 砂原の、写真を取る手が止まった。

「なんだ、どうした」

「これは……」

 砂原の手にした写真には、病院の玄関が映っていた。夕暮れの時間帯に撮られた写真。ガラスに、女性の顔らしきものが浮かんでいる。

「本物?」

「……言っただろ。霊が本物かどうかなんて――」

「おまえの基準でかまわん」

「……本物だ」

「でかした! 今日はおごりだ。もっとコーヒー頼んでいいぞ」

「コーヒー限定かよ」

「幼なじみでも、そう甘くはない」

「ケチくせえな……」

 しかしとりあえずはお言葉に甘えることにして、砂原はアイスコーヒーを飲み干し、店員を呼んだ。

「ご注文でしょうか」

「アイスコーヒー、もう一杯おねがいします」

「かしこまりました」

 女性店員は、黒い影に覆われた可愛らしい顔で、砂原の注文を繰り返した。

 砂原は、病院の映った写真をじっと眺めた。この街にいくらでもある、寂れた、ありふれた廃墟のひとつ。夕焼けに染まった廃病院は、それ自体が霊のような建物だった。

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