想いを伝えるために守らなければいけない制約 ―キミはどこに―

流々(るる)

恋の季節

 好きな相手へ想いを伝えるには、必ず守らなければならない制約がある。


 

 強弱をつけながら奏でている、せせらぎの涼しげな音が耳に心地いい。

 ここは僕がお気に入りの場所だ。

 梅雨が明けた途端、容赦なく突き刺すように照り付ける陽射し。

 けれど、川面かわもへ覆いかぶさるように枝が伸びているここなら、柔らかな幾筋もの木漏れ日に変えてくれる。

 川からあがり、手ごろな岩を見つけて腰を下ろした。

 目の前をきれいな瑠璃色のイトトンボが横切っていく。それを目で追った後に、体が濡れるのも気にせず戯れているキミへ視線を移す。


 彼女と僕は同じ地で生まれた、幼馴染。

 たくさんの仲間に囲まれていた中で、ずっと彼女のことを見てきた。

 このせせらぎで一緒に遊んだことも、昨日のように思い出す。

 川べりに近いところでしぶきを上げたり、みんなで追いかけっこもした。

 初めて深みに入るときにはちょっと怖くて誰もが尻込みしていたのに、キミは嬉しそうにはしゃいでいたよなぁ。

 そのしなやかな肢体に、子どもながら憧れを抱いていた。とは言っても、その頃の僕にはどうしていいかもわからず、キミの存在がまぶしすぎて文字通り手も足も出なかったけれど。

 そんな風に過ごすうちに、いつの間にか仲間たちは少しずついなくなっていった。

 理由は何となくわかっている。それでもみんな気づかないふりをしていた。

 ただ僕はキミが残ってくれることだけを願っていた。

 自分がいなくなってしまうかもしれなかったのに。

 そして、僕はキミと一緒にこうして自由を手に入れたんだ。


 しばらくすると遊び疲れたのか、脚から水を滴らせこちらへ向かってくる。

 彼女は少し離れて腰を下ろした。

 この微妙な距離感がもどかしく、せつない。

「あのさぁ」

 ごく自然な感じを装って話しかけてみた。

「もう、この辺りで暮らしている仲間も少なくなったよね」

「そうだね」

 濡れた体も気にせず、顔を上に向けている。

 そこからじゃ空は見えないのに。

「俺さ、ここが好きなんだ。このせせらぎには思い出もたくさん詰まってるし。もちろん、僕たちの」

 最後は彼女の方を向いたのに、返事はない。

「上流の方へ探検に行ったときのこと、覚えてる? もし迷っても、ここを下ってくれば大丈夫だからってキミが言って」

 同じ姿勢のまま彼女は空を見上げている。

「あの時も楽しかったなぁ。段々と流れが速くなって進めないところも出てきたり。いきなり大きな魚を見つけたのには驚いたよ」

 まだ何も言ってくれない。聞いてるのか、いないのか。


 この距離で聞こえていないわけがない。

 無視されてる?

 何か考え事をしてるのかな。

 またイトトンボが横切った。もぉ、気になるなぁ。

 キミは全然動かない。

 寝ちゃった? まさか……。

 ひょっとして、ほかの誰かのことを考えているのかも。いやいや、ダメダメそんなことを考えちゃ。

 今日は僕の気持ちを伝えようと決めたんだから。


 風に揺れる葉の間から差し込む光が、常に形を変えている川面に反射した。


 キミの視線の先を追ってみた。

 空じゃなくて、クヌギの枝を見てるのかも。

 そう言えば……。

「あそこから飛び降りたこともあったよね」

 彼女が見ている方向へ視線の先を合わせてみた。

「タケルが言い出してさ。実は俺、初めて木に登ったから少し怖かったんだ。うまくつかまれないし、枝の先まで行くと結構揺れるし。あの時もキミが最初に飛び降りたじゃない? 女の子なのに勇気があるなぁって憧れちゃったよ」

 あ、それっぽいことを言っちゃった。

 反応が気になって、横目で彼女を伺う。

 相変わらず、なんか他人事と言った感じで、こちらを見る気配もない。

 あまりに無関心すぎるでしょ、僕のこと。

 これは確実にふられる。そう理解するまで何秒もかかってしまった。

 気持ちを伝えてさえもいないのに。


 なんかどうでもよくなってきた。

 イトトンボ、うざい。

「僕の歌って結構イケてない? イケてるよね。川の響きとハモったりしたら、かなりイケてると思うんだよなぁ。キミだって、絶対気に入ってくれる自信があるのに」

「ねぇ、一平くん」

 せっかく声を掛けてくれたのに、投げやりな気持ちが止まらない。

「聴いてもらったことあったっけ? ないよね。夜になったら星を見ながら、この川辺で歌ったら気持ちがいいだろうなぁ。キミのために歌いたかったな」

「ねぇ、一平くんったら」

 身体を半歩近づけるようにして、こちらへ向き直った。表情は読み取れない。

 黙ってしまった僕に言葉を続ける。

「さっきからキミ、キミって……。キミちゃんなら、まだ泳いでるよ」

 へ!?


 ええーーーっ!!


 あぁ……やってしまった。

 僕の眼のことなんて言い訳にはならない。よりによって、好きなのことを間違えるなんて。キミちゃんに思いが伝わる訳ないよ、これじゃ。

 もっと早く声で気付けよ、一平! と、今さら自分を怒った所でこの大失態は取り返せない。

 しかし、キミちゃんじゃないのなら誰だ? あの声はヒカルちゃんか?

 呆れてるんだろうな、冷たい視線を浴びせられてしまいそう。

 それとも、キミちゃんのことが好きだというのがバレちゃったから、陰でこそこそ笑われるパターンか。もう、我ながら情けない。

 恥ずかしくて彼女の顔をまともに見れず、今度は僕がクヌギの枝を見上げた。

「あのぉ……ヒカル、ちゃん?」

「なぁに」

 よかった、合ってた。

 また違ってたら取り返しがつかないところだったけれど、とりあえず心の中で小さくガッツポーズ。

「ごめんね、キミちゃんだと思い込んで話しちゃって」

「気にしてないよ。よく見てなかったんでしょ」

 彼女は軽く笑ってくれた。

「ヒカルちゃんがずっと黙ってたし、全然気づかなかった」

「あわてんぼうの一平くんらしいよ」

 とりあえず、話題を変えておこう。


「さっきは何を見てたの?」

 あらためて彼女の方を見た。

 ちょっと小首をかしげている。

「あぁ、あれね。瑠璃色のイトトンボが翔んでたでしょ。視界に入ってきたら気になっちゃって、捕まえたくなったの」

「アイツかぁ。目立つ色だし、気になるよね」

 そんな話をしていた僕たちの前を瑠璃色の影が横切る。

 彼女もそちらに視線を移した、その時。



 突然、視界が真っ白になった。



 見上げると白い紗のような天幕が掛かり、波のように揺らいでいた。

「えっ、何!?」

 驚いて飛び上がろうとしたヒカルちゃんへ、ゆったりとうねるように紗が迫っている。

「危ないっ」

 彼女を護ろうと、咄嗟に背中へ飛びついた。

「きゃぁっ!」

「大丈夫?」

「ちょっと、一平くん! どさくさに紛れてどこ触ってるのよ」

「いや、ヒカルちゃんを護ろうと」

 彼女の湿った肌が手の平に吸い付く。

「だから、そんなとこ触らない……あぁん」

 もう、そんな声を出されたら本能が揺さぶられるじゃないか。

 ヒカルちゃんのこと、好きになっちゃいそう。

 あれ、ひょっとすると僕が好きだったのはキミちゃんじゃなくて彼女だったのかな?

 それにしても、この体勢――気持ちいい。


 まてよ。

 これって、先輩から教わった『思いを伝える制約ポーズ』じゃ……。

「危ないから、もうしばらくこのままで……ね」

「……ずるいよ……一平くん」

 ヒカルちゃんがおとなしくなった。

 そんな彼女がさらに愛おしくなる。

 僕が護ってあげなきゃ。

 それにしても、この白いベールは何なんだ。



      *



「お父さん、早く来て!」

 小学一年生くらいだろうか。

 麦わら帽子をかぶった男の子が、大きな声で呼んでいる。

「どうした?」

 黒いポロシャツを着た父親が声を掛けた。

「小っちゃいトンボを採ろうとしたら、カエルを捕まえたよ」

 白い虫取り網を押さえたまま、誇らしげな笑顔を見せる。

「どれどれ」

 川辺にしゃがんで、網越しに覗き込む。

「これはアマガエルっていうんだよ。よく二匹も捕まえられたね」

「ずっと動かないで、トンボが来るのを待ってたの」

「カエルは動かないものを見るのが苦手らしいからね」

「どうして、このカエルさんたちはおんぶしてるの?」

「えーっと……」

 男の子の問いかけに、父親は一瞬困った表情を浮かべた。

「もうすぐ卵を産む準備をしてるんだ。このまま逃がしてあげようよ」

「うーん……それじゃ、写真撮って」

「オッケー」

 父親はスマホを取り出し、網を外してアマガエルたちと息子を一緒に撮ってあげる。

「バイバーイ」

 男の子の声に送られ、二匹のカエルは重なったまませせらぎへと入って行った。




               ― 了 ―

 

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想いを伝えるために守らなければいけない制約 ―キミはどこに― 流々(るる) @ballgag

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