乗り合わせた美女
青瓢箪
乗り合わせた美女
私がその女性に興味を持ったのは、彼女が魅力的だったからに他ならない。
列車に乗り込んだ私の前の座席に座る女性は可愛らしい女性だった。
ドイツ女性には珍しい優しい卵型の輪郭はギリシア彫刻の女神のようで。フランス人かもしれない。
乳白色のふんわりとした肌は血色が良く、肩に流るる金髪は輝くばかりでそれはそれは人目を惹くのに十分な女性だったのだ。
しかし、彼女は帽子から手袋に至るまで全身黒衣に身を包み、あまつさえその水色の双眸には薄っすらと涙さえ浮かべていた。
うら若く美しい喪服の女性が憂いを帯びた表情で目の前に居たのならば、男ならば誰だって目を奪われると思う。
見つめていた私に彼女が気付き、顔をこちらに向けるのと、彼女の背後に座っていた男が彼女に話しかけるのは同時だった。
「可愛らしいお嬢さん。何処からいらしたんだね?」
座席の背もたれに身体を乗り出して彼女を覗き込む男がエールを引っ掛けて若干酔っているのは明白だった。
迷惑な男だと、私はその男を睨みつけてやった。
「泣いてるのかい、可哀想に。良かったらわたしが話を聞こうじゃないか」
無神経な男だ。この全身黒衣の女性が、葬儀帰りで大事な人を亡くしたところだということは分かっているだろうに。
男を更に睨みつけた私の目の前で、彼女は眉を顰めて首を振った。
「聞いていただいても、もうどうにもならないのです。親切な方」
「いやいや、話せば楽になるということもあるさ」
「そんなものではないのです。そんな、到底そんなものでは」
しつこい男の言葉に苦しそうな声で否定した彼女は、美しく白い顔を黒の手袋で覆った。
「いえ、どうせ話したって貴方は私の話を信じない。私を頭のおかしい女だと思うのでしょう。ならば、それならば構わないわ」
大きくため息をつき、
「私の話を聞いて欲しい。全世界の人に私の話を聞いていただきたいわ」
彼女は涙声で訴えた。
「そして、私の息子をどうか許していただきたいのです」
その言葉を聞いて、私は少し落胆した。
背後の男が驚いたように言った。
「息子? もう坊ちゃんがいるのかい、お嬢さん。坊ちゃんが悪いことでもしたのかい」
「いえ、まだです。まだなのです。私の息子はまだ生まれてもいませんが、これから罪を犯すのです」
彼女は手を離し、白い顔を露わにした。
「これは私の息子の未来の話なのです」
彼女の目が神がかったように虚ろになり始めた。その後、彼女は淡々と語り始めたが、その声色は何か空恐ろしく、不気味でさえあった。
「私の一族は代々、占い師です。先を見る力が生まれつき、あるのです。水晶玉の中に未来が見えるのです。今日、祖母の葬儀の後、祖母から引き継いだ水晶玉の中に私には未来が見えたのです。恐ろしい未来が」
そう言って彼女は横にあった丸く膨らんだ花の刺繍のある鞄を、自身の膝の上に乗せた。その中にその水晶玉があるのかもしれない。
「私は未来に男児を産みます。その子は兵士となり、国のために戦う。優秀な兵士です。ですがたった一度だけ。たった一度だけ、敵国の兵士を一人、息子は見逃すのです。その行為は尊いことなのです。息子が優しい子の証拠です。しかし、命を救ったその兵士は悪魔だったのです」
彼女は息を詰まらせて泣き出した。
「息子が助けたその男は本当の悪魔です。多くの善良な人々を殺します。赤子も、子供も、老人も。まるで豚や牛のように扱い、一度に大量に殺すのです。どうしてあんな酷いことが出来るのでしょうか。それは、男が大いなる勘違いにより、信念を持って事を起こしたからです。それは息子のせいなのです。息子がその男を助けた故に。その男は自分がここで死んではならぬ男だったのだと。何か偉業を為すために自分は生かされたのだと。勘違いも甚だしい結果に」
彼女に話しかけた男は彼女の後ろから、この女はイカれている、とでもいうように自らの頭を叩いて私の方を見た。
彼女に憐れみを込めた視線を送っていた私は、男に非難を込めて見返した。
すると彼女は背後の男を振り返り、涙ながらに言った。
「あなたの孫もその男に殺されるわ。汚い馬小屋のようなところに閉じ込められて、押し込められて。挙句にまるでゴミのようにして多くの人と大量に焼かれる」
男は肩をすくめると、大人しく座席に座り直し、退散した。
わたしはどうしたものかと、すすり泣く彼女を眺めた。
突拍子も無い話だが、何故か私は彼女の言葉を信じ、慰めてあげたいような気持ちになったのだ。
列車が速度を落としはじめた。次の駅が間近なのだ。
「息子が哀れでなりません。世界中の人が息子を非難するのです。後世になっても、延々と。何故あの時、息子はその男を見逃したのかと」
「それは結果論です」
私は口に出していた。
「相手が悪人であれ、貴方の息子さんが人命を救うことには変わりない。それは素晴らしいことではありませんか」
彼女は美しく泣き濡れた水色の目で私の目を見つめた。
途端に私の中にまっすぐ彼女が飛び込んで、私は激しく動悸した。
「貴方の息子でもあるのよ。それでも貴方は同じ言葉を言えるかしら」
彼女の言葉が終わらぬうちに、彼女の瞳にたちまち後悔の色が浮かんだ。言葉を失い、驚いた私の様子に、狼狽えたかのように彼女は立ち上がった。
「言うべきではなかったわ」
少し紅潮した頰の彼女の小さい呟きを確かに私は耳にした。
黒衣が私の膝をすり、下車するために彼女が早足で去っていくのを私はぼんやりと見送った。
「変な女だが美人だ。あんた、追いかけないのかい」
気がつくと、先程の無遠慮な男が、先程のように座席から身を乗り出して私を見ていた。
「あの女、忘れていったぞ」
男が指す彼女が座っていた席には、丸く膨らむ花柄に刺繍した鞄があった。
私はあわててその鞄を掴むと、彼女を追いかけた。
水晶玉が入ってるのであろう重みのある鞄の中で、それが脈動したかのようにその時はっきりと動いた。
乗り合わせた美女 青瓢箪 @aobyotan
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