恋する格闘少女の憂鬱
西の大陸を治めるサモネシア王国を目指し、王都を発ったイリアたち。船で海を渡るため、港街オルケニアに向かっていた。
その道中でのこと。旅慣れないカミエルとティナに配慮し、川辺で休憩を取る。街道沿いを流れるそこには、彼女等以外にも旅人や商人が体を休めていた。
「気持ち良いね、ミック!」
「そうだね」
岸辺にしゃがみ、水を飲むカミエルとティナ。二人は顔を見合せ、笑みを溢した。
喉を通る時の清涼感が、火照った体を冷やし、溜まった疲れを吹き飛ばす。また、川のせせらぎは耳に心地良く、初めての旅という独特の高揚感すらも洗い流していった。
だがすぐに、カミエルの意識は目の前のティナではなく、別の方に向いてしまう。その先にいたのは、ルイファスと共に木陰で体を休めるイリア。二人は地図を見ながら、真剣な眼差しで話し合っている。
それを認めると、みるみるうちにティナの顔が険しくなっていく。それが頂点に達すると、刺々しい口調で彼を攻撃した。
「ミック、顔がだらしない」
「え!?」
ビクリと大きく肩を揺らし、勢いよく振り返る。僅かに緩んだ頬は、仄かに赤く染まっていた。咄嗟に手で隠すも、口元も締まりがないだろうことは、嫌でも想像がつく。
それが面白くなくて、ますます顔が険しくなっていくティナ。だがカミエルは、彼女の怒りの原因など見当も付かず、オロオロと手を動かすだけだった。酷く焦ったように、目を真ん丸くして。
焚き火に薪をくべながら、ルイファスは欠伸を噛み殺した。交代して間もないせいか、まだ頭に眠気が残っている。これではいけないと、体の筋を伸ばした。
ちょうどその時、一つの毛布がうねったかと思えば、誰かがのそりと起き上がる。彼は人影に視線を向け、そっと声を掛けた。
「ティナ、どうした? ちゃんと寝ておかないと、明日が辛いぞ」
「うん、分かってる。でも、ちょっと眠れなくてさ。……そっち行っていい?」
ティナにしては珍しく、声は控えめで覇気も無い。彼女はルイファスが頷いたのを見ると、おもむろに立ち上がって彼の隣に腰を下ろした。そして、すやすやと眠るイリアとカミエルの顔を順に眺める。
そしてルイファスは、そんな彼女の顔をそっと観察し始めた。声を聞いて想像はしていたが、やはり、その表情は憂いを帯びている。また、涼やかなターコイズブルーの瞳に籠るのは、焚火とはまた違った熱。
「なんだ、恋の悩みか?」
「こっ、恋!?」
「違うのか?」
意地悪そうに、ニヤリと笑みを浮かべるルイファス。酷く慌てる様子を見て面白がっているようだ。一緒に旅をして間もないが、彼の心が手に取るように分かり、ティナは顔を強張らせる。
すると、彼は小さく笑みを浮かべ、彼女の肩に軽く手を乗せた。
「何も悩むことは無い。大事なのは、自分がどうしたいのか。必要なのは、ほんの少しの勇気と行動だけだ」
「勇気と行動……」
「カミエルがイリアを見てるのは確かだ。それを動かすのは難しいかもしれない。だがもしかしたら、ティナが動くことで何かが変わるかもしれない。そうだろう?」
優しい声色で、諭すような口調のルイファス。やや間を置いて、ティナが頷いた。
子供の頃からずっと一緒だったことが仇となり、恋心を打ち明けることに恥ずかしさを覚えていた。それから時は流れ、いつしか、彼の心には別の女性の影が生まれてしまう。そして何の因果か、その彼女と旅をすることになったのは、つい最近のこと。
日に日にカミエルの気持ちが大きくなることに焦り、それを向けられるイリアに嫉妬し、不安になる。にも関わらず、恥ずかしさを理由にして自ら動こうともしなかった。それでは何の解決にもならないことくらい、頭では分かっていたというのに。
「アタシさ、イリアに恋人が出来たら……とか、割と本気で考えてたんだよね。そしたらミックもイリアのこと諦めて、アタシのこと見てくれるかもって。今のイリアにそんな余裕ある訳ないし、ミックはそんなことしないって分かってるのにね」
自嘲して、眠る二人の顔を再び眺める。辺りに響き渡ったのは、火花が弾ける音だけ。そして、イリアの顔をぼんやりと見つめながら、ぽつりと零した。
「……嫌いになれたら、楽なのにな」
だが世の中、自分が思っていた通りには進まないものだ。事実、彼女と接すれば接する程、その人となりに惹かれていった。それはティナにとって不思議な感覚だった。こうして出会うまでは、絶対に好きになれないと思っていたのだから。
胸の中で燻っていた気持ちを吐き出し、ルイファスの言葉を聞いて納得する。やはり、悶々と悩むのは性に合わない。大きく頷くと、彼の方へ視線を向ける。その瞳は、いつもの明るい輝きを取り戻していた。
「でも、そうだよね。怖がってちゃ何も始まらないし、アタシらしくもないよね!」
「そういうことだ。だが、いきなり変わろうとする必要は無いぞ。少しずつでいいからな」
「うん、ありがと」
「おやすみ!」と軽快に告げ、毛布の中へと戻っていく。しばらくすると、波に揺られているかのような眠気に誘われる。先程まで目が冴えていたなんて嘘のようだ。そうしてティナは、静かに意識を手放した。
それから数日後。街に立ち寄ったイリアたちは、久しぶりのベッドで朝を迎えていた。窓から差し込む日差しが気持ち良い。溜まっていた疲れも一気に吹き飛んだようだ。今すぐ走り出したい程に体が軽い。
イリアより一足早く身仕度を整えたティナは、水を飲もうと食堂へ向かった。鼻歌を歌いながら、木の扉を開ける。そこにいた人物の姿に、ハッと息を飲んだ。
窓際の席に座り、紅茶を飲みながら本を読むカミエル。線の細さと黒く長い髪は、一見すると女性のよう。他にも宿泊客がいるはずなのだが、食堂には彼以外は誰もいないことに、若干の居心地の悪さを感じる。
その時、彼女の視線に気付いたのだろうか。彼は本から目線を上げ、図らずも見つめ合う形となる。そして、にっこりと微笑んだ。
「おはよう、ティナ」
「あ、おはよ、ミック」
「そんな所に立ってないで、こっちに来なよ」
「そ、そうだね」
乾いた笑い声を上げ、そそくさと席に着く。座ったのは、カミエルの目の前。斜め前は避けているようでおかしく思え、かといって隣に座れるはずもない。しかし、彼は何の疑問も抱くことなく、変わらずに笑みを浮かべていた。
それを見ていると、心なしか、ティナの頬が熱くなっていく。鼓動も早まっていく。二人きり、というこの状況が、彼女の胸中を騒がせていた。
だが次第に、この無言の空間が、居心地の悪いものに変わる。そわそわと視線を泳がせ、会話の糸口を必死に探した。そして、あることに気付く。
「そういえば、ルイファスは? まだ寝てるの?」
「うん、そうなんだ。昨日は帰りも遅かったからね……」
「ふーん。どうせ夜遊びでしょ。街に着くと、いっつもそうだし」
白い目で返事をするティナに、カミエルは僅かに頬を引き攣らせる。上手く笑えている自信は無かった。
かといって、本当のことなど言えるはずがない。朝起きた部屋の中に、香水の甘い匂いが残っていたことを。
空気がピリピリと険しさを帯びる。なんとかして話題を逸らさなければ、身がもたない。その瞬間に頭に走ったことを、彼は咄嗟に吐き出した。
「それよりも、イリアさんは? 一緒じゃないの?」
「アタシが出る時は、顔洗ってたよ」
「そ、そうなんだ……」
ティナの顔が険しさを増す。だが、カミエルには原因が分からない。結果として、困ったように視線を彷徨わせるだけだった。
そんな彼を見て、僅かに目を伏せる。勝手なのは百も承知。だが、カミエルの口からイリアの名前が出てくることが、どうしても気に入らないのだ。
そんな彼女の気持ちなど知る由も無く、彼はただおろおろとしているばかり。そんな態度も、彼女をさらに苛立たせる。先程からその繰り返しだ。
不意に、彼女はあることを思い出した。数日前の夜営の時、ルイファスから言われたこと。ほんの少しの勇気と行動。今がそれを発揮する機会ではないだろうか、と。
彼女は下を向き、口を真一文字に引いた。心臓がばくばくと脈を打つ。頬も熱い。それでも意を決して目を固く閉じると、震える唇を開いた。
「あ……あのさ……ミック……」
「何?」
「だから、えっと……その……アタシ……」
「ティナ?」
目を丸くしたカミエルが、じっとティナを見つめている。その視線は、妙に居心地が悪い。そうして気持ちばかりが焦っていき、ついに頂点に達した。
「す……す――好きなもの食べていいってさ! 昨日、ルイファスが言ってたよ」
「そうなの? でも、好きなものを食べていいなんて、何だかちょっと気が引けるな」
「あはは……ミックらしいね」
顔は笑っているが、すっかり肩を落としている。心の中ではため息を吐きたい気持ちで満たされていた。結局、いつもと変わらない態度しか取れなかったのだから。
「……アタシ、イリアを呼びに行ってくるね」
「あ、それじゃあ僕は、ルイファスさんを――」
「ミックはここで待ってて! ほ、ほら、誰か残って場所取っとかないと、混んできた時に困るじゃん」
二つの部屋は隣同士。それはすなわち、そこまでの道中を共にすること。今の彼女にとって、何がなんでも避けたいことである。
慌てて言い繕うティナだが、やはりカミエルは疑いを抱く様子は無い。むしろ、すっかり納得している。呑気に「いってらっしゃい」と声を上げていた。
にっこりと笑みを浮かべる彼に見送られ、彼女は乾いた笑いを残して食堂を後にした。どっしりと疲れがのし掛かってくるのを感じながら。とぼとぼと階段を上がって行った。
光の差す方へ 短編集 藤道 誠 @makoto_f_hikari
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