始まりの門が開く時 後編

(不安が無いって言えば、嘘になる)

 廊下に立ち止まり、そっと目を閉じる。

 今朝、ジャッキーが家に来た。一緒に選抜試験を受けようと言ってくれた。その時の瞳はとても静かで、それでいて固い意志が宿っていた。「もう恋はしない。騎士として生きる」と息巻いていたから、内心はまだ引き摺っているのだろう。それでも前を向こうとする姿は、昨日の酷く落ち込んでいたのが嘘のよう。それが嬉しくて、心強かった。

(でも、私も前を向かなくちゃ。自分の気持ちに、嘘はつきたくないもん)

 そしてジュリアは、数年前の出来事に思いを馳せた。神殿のヒーラーを志すきっかけとなった出来事を。

 その日も彼女は、神殿の大聖堂で祈りを捧げていた。そしていつものように、噴水広場のベンチに腰掛け、本を読んでいた時。ざわめきたつ人の声に顔を上げる。何事かと走り寄れば、おじいさんが胸を押さえて倒れていた。

 体があまり丈夫でない祖母のために独学で薬草の知識を身に付け、医学の本も読んでいた。もしかしたら、自分でも何か役に立てるかもしれない。それより何より、人が苦しむ姿は見たくない。

 そうして居ても立ってもいられず、彼の元へ駆け寄ったはいいものの、苦しそうな顔に頭は真っ白。身を竦ませ、足は固まってしまった。震える唇を押さえることしか出来ず、誰かを呼びに走ることすら出来なかった。

 それから間もなくのことだ。神殿のヒーラーが駆け付けたのは。彼女たちはテキパキと処置をし、あっという間におじいさんの様子は落ち着いていった。その姿に一目惚れをしてしまったのだ。

「試験までに、もっと勉強しなきゃ」

 ゆっくりと目を開いた、その時。キッチンから母親が呼んでいる声が聞こえる。

 ジュリアは慌てて返事をするなり、未だに洗濯物が自分の手の中にあることに気付くと、急いで寝室の扉を開けた。




 燦々と降り注ぐ太陽の光が、少年の紫がかった銀髪にキラキラと反射する。

(ようやく着いたか……)

 陸地に足を付けた瞬間、長かった船旅が終わったのだと実感する。と同時に、別の意味でうんざりと周囲を眺めた。

 海上交易の中心であるシルビス連邦も人は多かったが、この港も街も、溢れんばかりの人が行き交う。人混みが好きでない彼にとって、この状況は正直かなりきつい。絶え間なく押し寄せる人の波に、深く息を吐きたくなる気持ちが抑えられない。

 逃げるように歩いていると、一人の女性と擦れ違った。彼女の流れるような金髪に、ある顔が浮かぶ。彼はハッと息を呑み、振り向いた。だが、女性は人混みに紛れてしまい、背中を見ることも叶わなかった。

(……馬鹿馬鹿しい)

 内心で悪態をつくも、胸は締め付けられてばかり。そんな自分に対して、彼はため息を漏らした。

 今までずっと心の奥底に押し込めていたのに。そのまま消えたと思っていたのに。この地に足を踏み入れてからは胸が騒いでばかりだ。苛々する。

 不意に、振り払うように前を向く。いつまでもここで突っ立っている訳にはいかない。

(あの人が言っていたのは、明日だったな)

 幼い頃、ある事件で両親を亡くした彼を引き取った人。その人の要望を受け、シルビス連邦の魔術学院を退学してこの地にやって来たのだ。聖都テルティスのガルデラ神殿神騎士団の選抜試験を受けるために。

 少年は人混みを抜け、真っ直ぐに街道を進む。街道にも人通りが多く、露店も出ている。それは、苛立つ程に平穏な日常風景。

 不意に、目の前に影が落ちる。血のようにどす黒い羽を持つ、大型の鷲の魔物。

 突然の魔物に、街道にいる人たちはパニックに陥った。その中で少年だけが落ち着き払っている。

「……邪魔だ」

 少年が手を払うと、真っ赤な炎が魔物に向かっていった。詠唱も無く魔術を発動させたのだ。

 いきなりの炎に魔物が避けようとするも、一歩遅い。たちまち炎に呑まれ、断末魔を上げた。

(……始まる。動き始める。ついに)

 地に落ちる魔物越しに、少年は街道の先を見据える。彼の視線の先には、純白の聖都が少年を優しく出迎えようとしていた。思わず、彼は顔をしかめていた。




 窓の外は夜の帳が落ち、部屋には柔らかなランプの光が灯る。その中で、剣の手入れをしていた。

 思わず息が漏れる。胸が逸る。何かしていないと落ち着かないのだ。

(ようやく……ここまで来たのね)

 その時、室内にノックが響く。おもむろに剣を置くなり、扉の元へ。静かに開けた向こうには、一人の女性が立っていた。

 彼女は胸に手を押し当て、心配そうに顔を強張らせる。引き締められた唇は、溢れ出る想いを堰き止めているようだ。

「……イリア」

 沈黙の後、女性は一言だけ声を上げる。悲痛な声を。

 彼女にこんな声を上げさせる原因が、イリアには分かっていた。それでも。進まずにはいられなかった。この道に進むことを、ずっと目指していたのだから。唯一無二の剣を手にしてから今日まで、一日も頭から離れなかった想いを抱いて。

 伏せた目を閉じ、小さく一息。おもむろに目を開いたそこには、穏やかな笑みが浮かんでいた。

「大丈夫よ、ヘレナ姉様。絶対に、明日の選抜試験に合格してみせるから」

「……無理、しないでね」

「ありがとう、姉様。おやすみなさい」

 扉を閉め、イリアは再び剣の元へ。相棒とも言える聖剣は月の光を受け、彼女を静かに出迎える。

 聖剣エクスカリバー。千年前の古の大戦時に初代光の巫女が手にしていた、伝説の剣。その彼女の前に手にした者は、天地創造時のアンティムにまで遡るとされている。

 そしてもう一つ、剣にまつわる伝説があった。聖剣は特殊な魔力を帯びており、その魔力に選ばれた者だけが扱うことを許される、と。その伝説の通り、イリア以外は持ち上げることすら出来なかった。

 幼い頃は、これ等が意味することなど知らなかった。だが、成長するにつれ、周囲の視線の意味に気付いていった。どこに行っても、誰と話をしても、何をしようにも。「イリア=クロムウェルとして」ではなく、誰もが「聖剣の使い手として」見てくるのだ。その事実が苦しくて、寂しくて。いつしか、一部の人間を除き、他人と関わることを避けるようになっていた。

(……いいの。私には、ヘレナ姉様がいる。姉様がいれば、姉様が私を理解してくれれば、それでいい)

 神殿の騎士となり、当世の光の巫女であるヘレナに忠誠を。そして、世界で一番大切な姉を守りたい。ただそれだけを思い、稽古を重ねてきた。その成果が、明日、試される。

 心臓の鼓動が、強く、速くなっていく。何故だろう。明日を思うと眠れない。こんなことは初めてだった。

 逸る気持ちを抑えながら、イリアはベッドに入る。少しずつ芽生える不安に見て見ぬフリをして。




 透き通るような青空が広がり、降り注ぐ太陽の光と熱がしっとりと汗を掻かせる。そんな外気とは別の意味で、ガルデラ神殿は熱気を帯びていた。

 今日は年に一度の騎士選抜試験。世界中から騎士を志す若者が集まって来る。そんな彼等は、神殿の敷地の一角にある建物に集められていた。神殿の騎士を目指して日夜訓練に励む見習いたちの学び舎、その騎士養成学校の一室に。

 不意に、ピリピリとした空気を切り裂くように扉が開かれる。白いロングコートを靡かせながら入室した男性は、この場に似合わぬあっけらかんとした声を上げた。

「さて、午前中の筆記試験ご苦労さん」

 教壇に立つ男性の胸には、神騎士団の紋章。選抜試験で受験生の前に立つということは、それなりの立場にいるだろう。だが、濃い茶色の目を細めて人懐こい笑みを浮かべる姿を見ていると、空気が緩くなっていく。

「にしても……筆記試験とか、頭が痛くなってくるよな」

 「なあ?」と、受験生の一人に話を振る。彼が困ったように曖昧な笑いをしているのを見かねたのか。それとも、本当に呆れていたのか。出入口で控えていた男性がピシャリと声を上げた。

「グレイシス隊長、時間が押しています」

「ん? ああ、悪い悪い。もうこんな時間か。アーサー、例の物を持って来てくれ」

 苦笑を浮かべる上官に呆れながらも持って来たのは、箱だった。箱には穴が開いており、手が入れられるようになっている。アーサーはグレイシスの前に箱を置くと、元の場所に戻って行った。

「さて、午後の実技試験だが……コイツでパーティを決めてもらう。もしかしたらメンバーが偏るかもしれんが……まあ、運も実力のうちというやつだ」

 次の瞬間、室内が騒めき立つ。試験の合否という人生を左右するようなものを運に任せるなど。正気を疑いたくもなる。

 だが、グレイシスの瞳は真剣だ。それどころか、部屋の空気なんてお構いなしに話を進めていく。

「肝心な試験内容だが、森で薬草採取をしてもらう。まあ、言ってみればヒーラー部隊の手伝いなんだが……悪いな、今はいろいろと手が足りないんだ。それもこれも――」

 またしても話が逸れようとしたところで、アーサーの「隊長」の一言で現実に引き戻される。グレイシスが不服そうな顔で睨んでもどこ吹く風だ。

「……アーサー、お前は本当に細かいな」

「隊長が大雑把なんです。早く話を進めてください」

「分かった分かった。……あー、どこまで話したか? おお、そうだそうだ。森で薬草採取をするところだったな。森の中に入ってもらうからには、魔物に襲われることもあるだろう。だが、お前たちは騎士志望なんだから、当然戦えるな? まあ、それぞれのパーティに騎士を一人付けてやるから、死にはしないだろう。もちろん、ギリギリまで手は出さんがな。それじゃあ早速、そっちの列の奴から引いてもらおうか。引いたらパーティ毎に分かれてくれ」

 グレイシスの一声で、受験生たちは一人ずつくじを引いていった。

 知人や友人と離れて落胆する者。方や、同じパーティに組み込まれて安堵する者。運命を共にする、見ず知らずの受験生と早くも親交を深めようとする者。悲喜交々な声があちこちから聞こえてくる。

 そうして最後の一人が引き終え、全員が四人一組になったのを見て、グレイシスはまたも不服そうな顔をした。

「なんだ、意外とバラけたな……つまらん」

「グレイシス隊長」

「さて、ヒーラー部隊から依頼された薬草はコイツだ。俺は専門外だから名前は知らん。明日の正午までに持って来い。説明は以上だ」


「ではこれより、実技試験を開始する!」

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