もういいかい?
ももも
もういいかい?
説明がつかない不思議な体験をしたことがあるかと聞かれたら、私は胸をはって答えられる。
いっぱいある、と。
大人になってからはめっきり減ってしまったが、これはそんな不思議体験の中の一つの話だ。
初めて補助輪をつけずに自転車に乗れるようになった年齢は、人それぞれだろう。
早い人は幼稚園ですでに乗れるようになるそうだが、私の場合は遅く、小学2年生になっても乗れなかった。バランスを保ったままこぎ続けるだけだと周りは言うが、ペダルに足をのせたまま倒れて怪我をするのではと怖くて出来なかったのだ。
初めの頃は乗る練習に付き合ってくれた父母も、いくらやっても乗れない私に匙をなげた。そして自転車に乗る練習を1時間以上しないと家に帰ってきてはいけないと言われた日から毎日、私は近くの公園で一人で練習することになった。
自転車にまたがる。しばらく地面を足で蹴りながら進み、勢いをつけてペダルに足を乗せ力をいれる。そのまま漕げばいいと分かっているけれど、一漕ぎもせぬうちに怖くて足をおろしてしまう。
同じ失敗をただただ繰り返した。三日たっても感覚のつかめない私はもう諦め気味で、一生補助輪ありの自転車でも良いではないかと思っていた。
そこへふと、声が聞こえた。
「もういいかーい」
子供の声だった。男の子のものか女の子のものか分からない、高い声。誰かが近くでかくれんぼをしているのだろうかと、キョロキョロあたりを見回したが誰もいない。はてなと首を傾げたが、それ以上声は聞こえなかった。
音がしていないのに聞こえたように感じてしまうことを「げんちょう」というのだと姉が訳知り顔で言っていたのを思いだし、そうに違いないと思った。その日は練習して一時間たっていたので、私は乗れぬ自転車を引きずって帰路についた。
その声がまた聞こえたのは、一週間後の同じ公園でだった。
毎日の少しずつの努力の甲斐があってか前日に、ペダルを三回漕ぐことが出来ていた。感覚をつかめれば上達は早く、初めの段階でペダルを何回も漕ぐことができ、四回目のチャレンジでとうとう足をおろさずにいつまでも漕ぐことができたのだ。初めて自転車に乗れた嬉しさのあまり、そう広くない公園をひたすらグルグルと自転車で回っていた。そんなときに
「もういいかーい」
とまた聞こえてきたのだ。以前と同じ声かどうかは分からない。足を地面に降ろし、あたりを確認したがやはり誰もいない。気のせいかと思い、また自転車を漕ごうとしたときに
「もういいかーい」
と再び聞こえた。それは私に聞いているようであった。
べつに私がかくれんぼをしている訳ではないけれど、かといって聞かれているのに無視するのもなんだと思い、私は言った。
「まあだだよ」
「もういいかい」
声は即座に返ってきた。それはさっきよりも大きく、近くで聞こえた。
あたりの空気がさっと冷え、ぞわりと肌が泡立った。
――ここにいてはいけない。
直感だった。私はその何かから逃げるように慌てて自転車に乗り公園をでた。途中、買い物帰りの母に会った時は心底ほっとした。母は自転車に乗れるようになった私に喜び、お祝いにケーキを買おうと言い、単純な私は先ほどの体験をすっかり忘れた。
あの時の体験をふっと思い出したのは大学生の頃だった。友人とアスレチック公園に行きサイクリングしている時に、なかなか自転車に乗れなかったことを思いだし、そういえばあんなことがあったなぁと友人に話した。
友人は「へぇ、不思議だねぇ」と当たり障りのない感想をもらし、その日はそれで終わった。
だが数日後、友人はすっかり青ざめた顔で私に告げた。
「子供の声が聞こえたの。アルバイト帰りに誰もいない○○公園を通り過ぎた時に、もういいかい、もういいかいって何度も何度も私に言ってきたの」
友人は思い出すだけでも震えが止まらない様子で、今にも泣き出しそうであった。おそらく、公園に近寄らなければ大丈夫だと告げると、私に向けられていた非難の目はすこしばかり剣呑がとれた。それ以来、その話を聞くことなかったから特に何もなかったのだと思う。
後で聞いたのだが、私が自転車に乗る練習をしていた公園は今はなく、大きなビルが建っているそうだ。だからあの声の主は、各地の公園を渡り歩いているのだろう。そして今でも「もういいかーい」って誰かに聞いているのだ。
ふと今でも思う。あの時もし「もういいよ」と答えていたらどうなっていたのだろうか、と。
友人の例を見る限り、ここまで読んでくださったあなたのもとへ声の主が現れる可能性はあるかもしれない。申し訳ないとは思うが関わらないようにすれば、そこまで害はないと思う。公園を通り過ぎたときに、「もういいかーい」と聞こえてきても気にしなければ良い話だ。
けれど「もういいよ」と答えてしまった時にどうなるのかは、私には分からない。
もういいかい? ももも @momom-
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