第百四十六話 秘策
暗黒大陸南方。奴隷と犯罪者の都市国家グラムフィル。
荒れた大地に点在するあばらや。国家と呼ぶには、それどころか都市と呼ぶにはあまりにも貧弱で、活気というものが一切存在しない、人が住むにはあまりにも過酷な土地。
元々が大陸各地の政治犯や犯罪者、脱獄奴隷などの避難場所として興ったその都市は、かつての彼らが抱いていたギラギラとした野心とは裏腹に、今はただ大勢の無気力な敗北者たちを生きながらえさせる死と終わりを彷彿させる地となっている。
その様な敗北者たちが流れ着く終わりの地で、一人の男がただただ己の境遇を嘆き、嗚咽していた。
「う、うあっ……うああ……」
男……と呼ぶには些か年齢が若い。
短く切りそろえられた髪は黒色で、身につける服はこの国にしては上等……それどころかこの世界ではあまり見かけぬ意匠を有している。
中学生くらいだろうか? 何が悲しいのかその男子は先ほどからみすぼらしい宿の一室でただひたすらに苦渋に満ちた声を漏らしている。
「もうダメだぁ。やっぱりダメだったんだ」
涙が止めどなく溢れ、薄暗い部屋に絶望の声がまき散らされる。
その男の名は……。
「こんなクズが勝負に勝てる訳なかったんだ。俺はいつもそうだ。肝心な時に勝てねぇ。いや、普段ですら勝てねぇのに、肝心な時に勝てる訳ねぇんだよ!」
その男の名は、
「ごめんなぁ、ソアリーナ。ごめんなぁ、フェンネ。期待してくれていたのに、俺に任せろって言ったのに、情けなくてごめんなぁ! 死にてぇよぉ、もう死にてぇよ!」
イラ=タクトに敗北した後の繰腹の人生は、敗北者のそれにふさわしいものだった。
一切姿を見せることなく戦いに挑んだ彼は、己の配下である魔女のエラキノを失い、危うく能力まで奪われる結果となった。
最終的に拓斗が危機状況に陥ったために彼自身にその刃が届くことはなかったが、敗北したという事実は覆せない。
「それに……ああ、ダメだ。またあの光景を思い出しちまう。もうお前もいねぇのに、なんで俺はまだのうのうと生きてるんだ? 俺が作り上げた、最強の女だったのによぉ! 設定も、口調も、服装も、能力も……全部全部俺が作った。何にもできねぇ、ギャンブルで負ける事しかできねぇ俺が初めて作った最愛の女だったのによぉ!!」
そして彼の敗北を許さぬ存在がいた。
TRPGの担当神――ダイスの神だ。
かの存在は今回の不甲斐ない結果に憤慨し、繰腹が持つ能力の大部分を封じたのだ。
その上で彼を少年の姿にし、この地に放り込んだ。
ここで朽ちるも良し、立ち上がり再起を図るもよし、ダイスによって気まぐれになされた裁定ではあったが、少なくとも繰腹の命が繋がったのは確かだ。
もっとも、彼本人はすでに心が折れている状況だったが……。
「死にてぇよぉ! 死なせてくれよエラキノ! もう俺を死なせてくれよエラキノォォォ!」
だがそんな彼にも、残されてるものは確かにあった。
「うるさぁぁいっ!」
「ごはぁっ!」
強烈な蹴りが繰腹の腹部に炸裂し、その体躯がゴロゴロと壁まで転がっていく。
突然の事に驚きつつも、涙で顔をぐしゃぐしゃにゆがませた繰腹はその下手人へと顔を向ける。
それは――彼がよく知る少女だ。
「いつまでもウジウジと情けないったらありゃしない! 曲がりなりにもプレイヤーなんでしょ!? 能力の大部分を封印されちゃったし、ペナルティでショタ化したけど、まだちゃんとゲームマスターなんでしょ!?」
魔女エラキノ。
TRPGの魔女で、繰腹が作り出したNPC。彼が最も信を置く唯一にして無二の配下。
かつての戦いにて彼女の存在は確実に失われた。そして現在繰腹はGM権限の大部分を封印されており、キャラクターの蘇生を行う事ができない。
これが意味するところはどこにあるのか? だがその答えはすぐ分かることとなる。
「うう、ごめんなエラキノぉ……」
「懲罰キック!」
「ぐはっ! なっ、なにすんだエラキノ!」
エラキノ――と呼ばれた少女の蹴りが再度繰腹の腹に直撃する。
NPCである彼女の攻撃をまともに食らえばいくら繰腹がプレイヤーとは言え重傷を負うことに間違いはない。
にもかかわらず涙目で文句を言える辺り、手加減しているのは間違いなかった。
どうやら彼女の目的はこの情けない男への叱咤と言ったところらしい。
その細い腕を組みながら、不満ですとばかりに顔をしかめ繰腹を睨み付けている。
「気合い注入だ! それにいい加減コレをエラキノと呼ぶのはやめろ!」
そう、少女は繰腹に何度も言った。にもかかわらず彼はふとした折りに間違えるのだ。
決して目を背けてはいけない事実を。
「ここにあるのはただの残り香、魔女という設定の残骸。ダイスの神が消すの面倒がって放置してるバグで残った抜け殻」
目の前で在りし日のようにたたずむ少女は、もう彼が知るあの娘ではないということ。
それはとうの昔に失われ、ただ彼の目の前にあるのはその残影だということを。
エラキノは……。
「――エラキノは、もう死んだんだよ」
彼の目の前から消えてしまったのだから。
「うっ、うううう……」
繰腹が涙をこぼし、またうずくまる。
本来なら彼はこのような感情を抱かなかった。そもそもエラキノの出自は特殊で、彼がGMの能力を利用して何度も試行錯誤で生み出してきた存在でしかない。
22番目に作ったエラキノ。彼が心血注いでようやく完成に至った、22番目のエラキノ。
ただそれだけだ。
だがそれが良くなかった。今まで何もなすことができず、何も生み出せず、自己肯定感がどん底に落ちていき、プライドがボロボロに朽ちていた男が初めて他人に誇れる作品を作り上げたのだ。
だから彼は22番目のエラキノ――もう失われた彼女の事を忘れずにいる。
いくらこのザンガイと呼ばれる少女が諭そうと叱ろうと、ただめそめそ情けなく遠くへ行ってしまった女を忘れず泣き続けるのだ。
もう繰腹慶次という男には何もない。
それはとうの昔、あの日に全部失われてしまったのだから。
しかし運命は彼の退場を許しはしなかった。
時間が来る。
――戦いの時間が。
「おら立て! 気合い入れて行くぞ! コレはエラキノと違ってオマエへの好感度ゼロだからな! 甘えられると思うなよ! 準備ができたらすぐ出発だ!」
かつてエラキノだった者の残骸。
中身のないはずの少女は、あの日のあの娘と同じように意気揚々と拳を振り上げると、さぁ今から始めるぞとばかりに気炎を上げる。
その様子をぼーっと眺める繰腹に気力は一切感じられない。
ただ状況に流されるままだ。
「うっ、出発ったって、どこいくんだよ? 宛てなんてねぇよ……」
「は~、オマエはそんなことも分からないの? 仕方ないからコレが教えてやるよ。ソアリーナとフェンネを見つけるのさっ♪」
「……は? なんでだよ?」
初めて繰腹は目の色を少し変え、咎めるように質問する。
マイノグーラとの決戦以降、彼女たちの行方はしれない。彼女たちのことだから生きているだろうが、どこにいるか、何をしているかは一切判明していないのだ。
それに今更どの面で会えというのだ。
ともに平和な世界を築こうと無邪気に語り合ったあの日々を思い出すことすら辛いのだ。
何もしてやれなかった彼女たちに、何もない男がどう詫びろと言うのか?
不甲斐ない自分への怒りが、思わず強い言葉になって出てくる。
その態度にザンガイはうれしそうに笑った。
「んなもん尻拭く為に決まってんでしょ♪ あっ、もしかしてオマエってばこのままこの犯罪都市にこもってやり過ごすつもり?」
うっ、と言葉に詰まる。
このままではいけないことはとうに理解している。今まではザンガイがどこからか用意してきた資金でなんとか生きながらえる事ができていた。
だがこれ以上この生活を維持できないことは彼でも分かる。
むしろギャンブルで幾度となく痛い目を見てきた繰腹だ。金の重要さは痛いほど理解しているし、このままではいずれ破綻するのは間違いない。
それに……このままでは自分どころかきっと――。
「そうはいきませんよねぇ~? だってぇ、放っておいたらサキュバスの軍勢がこっちにもやってきちゃいますもんね~♪ そうしたらぁ、きっとソアリーナとフェンネもひどいことになっちゃいますよねぇ! あ~あ、誰かさんがヘタレたおかげで、今も怯えて隠れてる二人の聖女がぬちゃぐちゃエロ同人みたいな目にあっちゃう~♪」
「ぐっ! うっ、うう……」
繰腹の瞳に涙が浮かぶ。どうやら全陣営会談で何もできず怯えていたことを思い出したらしい。
情けない男が、また情けなく泣きわめこうとしている。
「だから立てって言ってんだよ。なんども言うが尻を拭け。男気を見せろ。エラキノが死んで良かったと思える人間になれ。ダサい生き方はするな。運命に勝て、神が見ているぞ」
「くそが……」
発破が聞いたのか、それともなけなしのプライドに火がついたのか。
先ほどまでの弱々しい態度に変化が訪れる。
床の上でブルブルと震える繰腹、やがて彼は大声を上げながら立ち上がる。
「あああああっ! ちくしょうがーっ! やるよ! やりゃあいいんだろ!? やってやるよぼけぇぇぇ! 俺は天下のゲームマスターだぞ! どいつもこいつも調子くれてんじゃねぇよ!!」
ここまで言われて、ここまで馬鹿にされて終わってたまるか。
もはや意地と言うよりは自棄だ。
だが彼が前を向いたことは間違いなく、どういう形にしろこの最初の一歩が重要だ。
がぁっ、と自分を鼓舞するかのように叫ぶ繰腹を見てザンガイはカラカラと笑う。
「おっ、いい感じじゃ~ん! じゃあその調子で破滅の王もぶち殺そうね♪」
「ひっ! 破滅の王! イラ=タクト! う、うわぁぁぁぁ!!」
だがすぐにまた元の木阿弥。
どうやら彼にとってイラ=タクトの名前は禁句らしい。
先ほどと同じようにまたうずくまって自己嫌悪に入ってしまった。
「はぁ、ダメだこりゃ」
ため息を吐き、お手上げとばかりに両手を挙げるザンガイ。
その仕草は、中身がないただのバグによる入れ物の割には、やけに感情がこもっているように感じられた……。
◇ ◇ ◇
一方その頃、繰腹の心情など一切知らない拓斗は、その彼を持って乾坤一擲の作戦としようとしていた。
つまり……繰腹慶次との同盟関係の構築である。
この方策を伝えられたアトゥは、あまりにも予想外の作戦にしばらく意識がついていかなかった。
あれほどまでやり合った相手である。敵にはなれど味方になるなど思いもよらなかったのだ。
むしろ将来の危険因子になると早期発見の上で排除をするとまで考えていたのだから。
だが拓斗の考えは真逆にあった。
アトゥが拓斗の方針に逆らうことは基本的にはない。だが果たしてうまくいくのだろうか? 率直な疑問を自らの主にぶつける。
「まさかゲームマスターとレネア神光国の聖女たちの引き入れとは、かつて敵対した間柄ですが、可能でしょうか?」
「どうだろうね? 繰腹くんについては全種族会議の中で探りをいれた感じではどうも心折れているって雰囲気だったから強気でいけばなんとかなるかな? って考えている。ゲームマスターの能力は強力だから、こちらがある程度妥協してでも協力を打診したいね」
拓斗の判断としては、意外といけるというのが結論だ。
これは優から聞いた各陣営の目的の件も後押しとなっている。TRPG陣営――つまりレネア神光国へ潜入していた際、彼らは一貫して平和な国作りを行おうとしていた。
無論その過程で行われてきた虐殺や決断が全て正しかったとは言い切れないが、彼らが比較的善意で動いていたことは間違いない。
繰腹に他の目的があるのならあのような行動は許さなかったはずだ。だが繰腹はGMとして一貫してエラキノや聖女たちの行動に協力的であった。
もし、彼も神宮寺優や自分と同じように平和を求める心が少しでもあるのなら、当たってみる価値はあると判断したのだ。
「繰腹くんが何を望んでいるかにもよるけど、全く無理な話って訳でもないと思うよ」
ただ残念なことに、繰腹の魔女であるエラキノは拓斗が撃破してしまっている。
そこが懸念点だ。拓斗が繰腹の立場だったら、絶対に許しはしないだろう。
何らかの妥協点か、もしくは手土産が必要になってくる……。
(その辺りは本人を見つけてから考えるか。あと欲を言えば聖女も欲しいけど……厳しいかもしれないなぁ。二人ともかなり真面目なタイプだし)
二人の聖女も無論仲間として引き入れたい気持ちはある。
だが彼女たちは難しい気もしていた。この辺りは最低限敵に回らなければそれで良しとしようと拓斗は方向性を決める。
「かつての敵と手を組む。王道な展開で実に面白いじゃないか。可能性は未知数だけど、彼らと同盟を組めたらきっと敵同盟に劣らない巨大なものになるよ」
ゲームマスターの能力は強力だ。
アレがあればいくら正統大陸連盟が強大であろうとも、いくらでもやりようはある。
拓斗と、優、そして繰腹。プレイヤーの数ではこちらの方に分があることになるのだから……。
「なるほど、そのようなお考えでしたか! そういえば、ダークエルフ達に人物の調査を念押ししていたのはそのような意図があったのですね」
「うん、もちろん面白い人材が発掘できたらなってのもあるけどね」
いくら乾坤一擲の作戦といえど、見つからなければ始まらない。
暗黒大陸にいる可能性は高いが、万が一サザーランド経由で他の大陸にでも逃げられていたら1年という期間で見つけるのは困難を極めるだろう。
とにもかくにも、彼らの居場所を見つけるのが第一歩だ。
あらゆる作戦は、全てそこから通じることになるのだから。
「一年間、まずは雌伏の時だ。とはいえ、退屈だけはしなそうだね――」
破滅の王が薄く笑う。
一年後に起きる戦乱。
その戦いはこの世界を揺るがす巨大なものになるとなるであろう。
それだけは間違いなかった。
異世界黙示録マイノグーラ ~破滅の文明で始める世界征服~ 鹿角フェフ @fehu_apkgm
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