依頼 其ノ参 真冬の鬼灯 陽炎で揺れる路地裏と少年

 うだるほどに暑い。八月の午後。

 陽炎で石畳の路が怪しく揺れる。

 小路に入れば、ノスタルジックな通りに出る。

 鎌倉とはまた違った、古風な町、京都。

 

 ぼんやりした町並みにゆらゆらと誰かの影が揺れている。目を凝らすと着物姿の女性、その隣に泣きじゃくり顔を必死て拭いている小さな男の子が立っている。白い運動靴に日に焼けた脚が見える。膝小僧にころんだ時に出来たであろう擦り傷ができていて、まだ真新しさで血がじんわりと滲む。手には力強く握りしめただろう紙が握られていた。彼の泣き声は蝉の声にも負けないくらいの声で、なのに消え入りそうな声だった。女性はその隣で大事そうに鉢植えを抱えていた。鉢植えの植物は橙色の見事なホオズキだった。なくなった何かがこの時にぴったりと指定の場所に嵌った。この少年は俺だ。その瞬間に雨が降り出して女性の姿は消え、残された俺は変わらずに泣き続けていた。蝉の声はもう聞こえない。ひとりぼっちで俺はずっと泣いていた。陽炎が上がるほどに暑かった路、雨が降ったことで埃と太陽の匂いが辺りに充満する。同時に俺の胸をしめつけた。


 雨に濡れた紙には何かが書かれていたのだろうか。


 それを、夢の中で少し離れた場所で何も言えずに見ている俺もまた、とても滑稽だった。



 何度もしつこく見る夢は、何かの知らせだったのか。

 それとも、不安や蟠りが産んだ空想か。


 ******


 さすがの元旦だな。いつも賑わう横須賀線の車内がとても疎らだ。着物に身を包み、しゃなりと歩く人もこの時間になると少なくなるな。横浜で下車してブルーラインで新横浜まで行くか、横浜線で行くかで俺は悩む。手土産などで悩むことはないのに、こういう単純なもので妙に悩むのは子供の頃から変わらないのだ。大人になっても変わりはしない。俺は出来るだけ余裕を持って現地に着きたいのだ。どれだけその後に待たされようが、それはたいした苦ではない。自身の遅刻や人を待たせるのはものすごく苦手だが。

 余談だが、昔とある人を駅で四時間待ったことがある。その時は、日にちや時間を間違えたのは自分なのではと、相手を疑うこともしなかった。単純で純粋だったな。ひとりぼっちは苦手ではないが、こうやって色んな思い出に出会うのが元来得意ではない。願いと思いは裏腹だ。そんなものだ。

 帰省するのは何年ぶりだろうか。京都の冬は底冷えするが俺はそれが大好きだった。朝、学校に行く時に玄関を出て空を見上げ息を吐くと白い息が上がっていく。それを確認して気温が10度ないのかと妙に納得して出掛けたものだった。大きく息を吸い込むと肺の中に冷たい空気が浸透していくのも気持ちよかった。変わり者というか、カッコつけているというか。我ながら笑ってしまう。


 そうこう考えている間に俺を乗せた電車が横浜に到着する。結局、横浜線に乗り換えて新横浜に向かうことにした。途中で本を買えるといいな。できれば珈琲と軽食も買えると良いんだけどね。というか年始のこの時期に新幹線のチケットが取れただけで良しと考えなければいけない。しかも行き先は京都。奇跡としか言いようがないな。もう今年の運を使い果たした気がするが。俺はいつもこの調子だからね。なんだかんだと言っても今更だな。


 新横浜から京都まで約二時間。

 東京〜博多行きの、のぞみのチケットを手に、まだ乗車まで時間があるのをスマートフォンで確認して、駅ビルの中で本屋を探す。新横浜の駅ビルはとても広くお土産屋が多く、ショッピングもたっぷり出来る大型施設と言っても過言ではない。俺は読書が趣味なので本があれば移動時間は楽しいものだった。文庫本サイズならコートのポケットに入るし、荷物として煩わしいこともない。気になった数冊の中から一冊を選ぶと、レジ横の栞を一枚手にして店員の男性に手渡す。支払いをしている時に聞き覚えのある声を聞いた気がしたが、とくに気にすることなく、次は珈琲スタンドに立ち寄る。そこで、俺は珍しくタンブラーを手にした。黒とも灰色とも違う、シックな色と持ちやすいスリムなボトルの形に一目惚れして購入する。それと、焼き菓子をひとつ買う。今度は背後に間違いなく聞き覚えのある声に、俺は後ろを振り返った。


「彰さん……いた……はあ……もう……どういうつもりですか!」

 全身で息をするように西口が俺の目の前で両膝に手をつき、息を整えようとして咳き込む。


「蜂谷さん、貴方ってお人は……」

 隣で相も変わらず冷静な表情で、橘が小さくため息をついた。


「ちょっと待てよ。何故、ここにお前らが居るんだ」

 正直に言う。俺はとても驚いていた。それはなんというか、照れくさい気持ちも入り交じったものだった。


「……な……にが……ありがとうですか……はあ……はあ……」

 上目遣いで少し怒った顔をした西口はまだ息が上がった状態で、それでも言いたいことが沢山あるのだろう。俺なんかを探したのか。こんな広い駅ビルで。


「……あ〜」

「もう二度と戻れないみたいな言い方で……ずるいです。僕は彰さんのそういうところが嫌いです……大嫌いです」


「さらっと言い切ったな。いや。今はそうじゃないな。なんというか……」

 俺はしどろもどろでなんと言葉を返せばいいのか困っていた。


「僕は京都まで着いて行こうなんて言いません! だけど……だけど……言いたいことまだまだたくさんあるんですからね!」

「わかったから。もう、わかったから」

「ふふふふ」

「橘。何を笑っているんだよ」

 まったく、この状況はなんだろうね。カップルが別れ際に言い合いをしているような―― なんとも、説明しずらい状況なのは確かだった。


「詳しいことは分かりました。だけどね、この手切れ金みたいなプレゼントと「ありがとう」って言葉で僕が「はい。行ってらっしゃい!」 って言うとでも思ってたんですか? 彰さんはそれが一番いい言葉と思ったんでしょ!」

 んん〜 どうしたものか。本当に恥ずかしいことを俺はしてしまったようだ。頭を搔く俺は、間違いなく格好悪い塊だった。


「それと!」

「うん?」

「お土産は八ツ橋でいいんですよ?」

「やっぱりか……」

「聖護院の森の黒谷参道の茶屋の…… なんでしたっけ? 橘さん」

「ボーイ。それは根拠もないお話だってワタクシが説明したではありませんか」

「そうだっけ?」

「さては…… おまえはここに来るまでの道中で検索したな」

「あ〜 バレました?」

 俺はいつもの西口に戻ったのことに、ほっとしたのか、はたまた気が抜けたのか、笑いが止まらなくなっていた。


「そ、そんなに笑わなくたっていいじゃないですか!」

「おまえはそれでいいんだよ。それで」

 俺は西口の頭を優しく撫でると、さっき買った焼き菓子を西口の手に渡した。


「俺が留守の間をおまえに任せるぞ? 分からないことは橘と賢太郎を頼りなさい。いいね」

「そんなの言われなくても分かってます。僕はもう三月で助手見習いを卒業するんだからね」

「誰がそれを決めた」

「僕!」


 そうこうしていると、そろそろ京都へ行く新幹線の時間のようだ。改札まで二人は見送ってくれた。三番線には新幹線がすでに到着していた。ここから約二時間の京都までの緊張が否応なしにやってくる。指定席の場所を確認し荷物を座席に置くと、ゆっくりとした溜息がこぼれた。


 気がつくと俺は眠りに落ちていたようで、またあの夢を見ていた。見覚えのある壬生みぶの路地と静かな夏の日を。

 京都に着き、実家のある壬生までタクシーを使う。降りた場所はあの頃と変わらない静かな場所だった。

 小さな庭に石畳。綺麗に整った庭の縁台に夜も遅いのに小さな男の子が座っていた。


「よお。来ると思ってたよ」

「兄さん……やっと会えた」

「何か用があってきたんだろ? ってアンタはなにも知らないのか」

「知らないさ。貴方が俺の兄さんってことくらいしかね」

 利口そうな顔は相変わらずで。冬なのに寒さもきっと幽体だと感じないのだろう。半ズボンにワイシャツという出立ちに俺は少し身震いがした。


「母さんもやってくれるじゃないの。アンタに何にも言ってないのか」

「どういうこと?」

「確かにお前の兄ちゃんだけどねえ〜」

「それ以外に何かあるんだね」

「母さんは俺を殺した。いや……言い方が悪いか…… 堕ちたって言えばいいのか」

「堕ちた?」

「咳が出て風邪だと思いたくなくて母さんは民間療法を利用した。ここまでは分かるか?」

「いや……あんまり……」

「結構アンタ鈍いのな」

「うるさいです」

「はははん。まあいいや。昔はホオズキは民間療法でよく使われていたんだよ。乾燥させた根っこをね。ホオズキって酸漿って漢字で書けるの知ってるか? 酸漿薬は咳や痰に効くなんて言われてたのさ。婆さんと母さんが話しているのをここで聞いたから確かだぜ。そこで俺を身篭った母さんは咳を止めようと飲んだのさ。早く治したかったんだろうな。容量も守らずに。初めての子を知らずとはいえ、自らでって……母さんは思ってるみたいだな」

「え? ちょっと待ってくれるか」

「うん?」

 俺の言葉に兄さんは首を傾げた。


「思ってるみたいだなって。それって結局は?」

「自然流産だよ」

「だったら」

「そういうことよ。勘違いのまま、今に至ると」

「母さんは知らないまま……」

「おまえはそれを知ってどうよ?」

「なんて言えばいいんだろう」

「そうだよな。それが普通だ」

 兄さんと俺は顔を見合わせてどうしたものかと、首を傾げた。しばらく話し込んでいると、玄関先に明かりか付いてゆっくり扉が開いた。着物姿の女性がひょっこりと顔を出した。その女性は俺の姿を見るなり声をかけてきた。


「貴方まさか……彰さんなの?」

「お母さん……」

「帰っていらっしゃったのね」

「ご無沙汰しております」

「そうね。そんな所じゃなんでしょう。おうちにお入りなさいな」

「いえ……」

「彰さん?」

 俺の言葉に怪訝そうな表情になり、困ったような低い声になった。


「お母さん…… 兄さんはお母さんのせいで死んだんじゃないよ? あの薬のせいで死んだんじゃないのです」

「……彰さん、貴方それをどうして? お義母様から聞いたのね」

「違います。宗一郎から聞きました」

「彰さん、貴方は何を言っていらっしゃるの」

 益々怪訝そうな表情になり、母の困ったような仕草が、薄暗い場所でも感じられた。


「母さんが兄さんに渡した鏡は俺が持っています。兄さんは俺には重いと……」

「…………」

 母はとうとう言葉に詰まったように何も言わなくなり、俺の話を黙って聞いていた。


「お母さんには見えないと思うけれど。さっきから兄さんはそこに居るんです」

「…………」


「母さんごめんね。俺は生まれてあげれなかった。だけどね。それは彰には関係ないし、俺が生まれてこれなかったのも母さんのせいじゃない。俺がうまく成長してあげられなかったから……本当にごめんね。もうさ。許してあげてよ……自分自身をさ」

 きっと兄さんの声が母さんに届く事はないと胸が苦しくなった。俺の隣に居た兄さんが俺の腕を引っ張り、大きな声を上げた。


「彰。母さんに鏡を渡せ」

「そうか。お母さん……これを見てほしい」

「これは宗ちゃんの鏡……」

「お母さんに俺が見えるかな?」

「貴方が宗ちゃん?」

「うん。お母さん今までありがとう。俺はもう大丈夫だから」

「宗ちゃん……お母さん何もしてあげれなくて……宗ちゃん本当にごめんなさい」

「母さん、俺はもう大丈夫だよ。彰、ありがとうな」

 兄さんの最後の言葉で俺の目から大きな涙が一粒こぼれ落ちた。どうやら兄さんをおくることが出来たみたいだ。


「……彰さん。やっぱり上がっていらっしゃいな。今日はまだお正月ですよ。それから、おかえりなさい」

「ただいま。お母さん」

 玄関に入ると小さな額にくしゃくしゃになった紙が飾られていた。見覚えのある。なんだっけか―――


「それは貴方が描いてくれた私の絵ですよ」

 母さんがゆっくりと目を細めて俺に額を手渡した。思い出した。小学一年生の夏休みの宿題。家の匂いの絵って題で宿題が出ていたんだ。みんなは台所の絵を描いたり、洗濯物を描いたりしていたのに、俺は母さんの匂いが好きだからって母さんを描いたんだっけな。友達に馬鹿にされてあの時、泣いて帰ったんだ。


「彰さん、貴方は玄関先でうずくまって泣いていたのよ。お友達にからかわれて悔しかったのでしょうね。私がいくら声をかけても家に入ろうとせずに、とても困ったのよ。そうしたら夕立が降ってきてね。貴方はびしょ濡れになっても意地でも入ろうとしなくて。雷が大きな音を立てた時に驚いた貴方は石畳に足を滑らせて膝に擦り傷をつくったの。手に持っていた画用紙を捨てて家に慌てて入ってきたのよ」

「そうでしたね」

「貴方が家に入った後に私が拾って乾かしたのだけれど、元には戻らなくてせっかく描いてくれたのにね……」

 母は照れくさそうに頭を搔く俺を見て、俺の手から額縁をそっと受け取る。

「これは私の大事な物ですからね」

 そう言って廊下にしずしずと歩いていく。


「彰さん、貴方今夜はもう泊まる場所を決めていらっしゃるの?」

「あ、いえ。まだ決めていません」

「年始の京都は多分どこもいっぱいだと思うから今夜は泊まっていらっしゃい。あと、お義母さんにご挨拶なさい。お父さんはもうそろそろお帰りになるわ」

「はい」

 そう言った俺はお祖母様に挨拶をする。もう亡くなって何年になるんだろう。そう思い線香に火をつけ挨拶を済ませる。台所に立つ母がお茶の用意をしているのを居間の座椅子に座ったままで黙って見ている俺は、あの頃と変わっていないのだろう。ゆっくりと立ち上がりお茶の準備を手伝う。母さんはこんなに小さかったかな? と、ふと思った。


「彰さん。そういえば、お友達には会えたのかしら?」

「いえ。寺岡には直接は会えませんでしたが奥様に色々と聞きました。元気だそうです」

「そう、良かったわね」

「連絡先を教えてくれてありがとうございます」

「彰さんのご友人よ。教えて差しあげて当たり前でしょう。今思えば、電話番号もお伝えすればよかったと後悔しています」

「いえ。そのお陰で此処に来る機会が出来たのですよ」

「彰さん、お仕事は順調?」

「もちろん。順調ですよ」

「そう。彰さん、瑠偉さんはお元気かしらね」

「あいつは馬鹿みたいに元気ですよ。じいちゃんにそっくりです。破天荒なじいちゃんに似たんでしょうね」

「あらまあ」

 ここでタネ明かしです。西口ルイは本当は「西口瑠偉」という名で、俺のじいさんが外に女を作って出来た子です。所謂「後妻さんの子」でしょうか? 行き場のない瑠偉を面倒見るために俺が呼ばれた鎌倉のあの古民家は、じいさんと愛人の隠れ家だった! というわけです。今や、ルイのお母さんは消息不明。じいさんの葬式にすら来なかった薄情な人だと親戚たちが噂をし、たらい回しにされるならってその時、小学低学年の小さな瑠偉を就職活動中だった俺が引き取ったって感じだな。うん。まあ、詳しくは、またの機会に。


「彰さん…… 貴方結婚するお相手はいらっしゃるのよね?」

「久しぶりに会ってそういうのは、また次の機会に」

「そうね」

 母さんは口元に手を当てて微笑み、玄関で父さんの帰って来た扉の音と、声が聞こえた。


 あれから二日、実家に世話になり、鎌倉の事務所に帰る。橘と賢太郎が出迎えてくれたが瑠偉はリビングのソファーにうたた寝をしているようだ。寝ている瑠偉を起こさないようにテーブルに八ツ橋を置いて、初仕事の準備に俺はダンボール箱に乱雑に入れられた書類の整理をする。窓からそそぐ日差しが暖かく、柔らかな空間にしてくれる。



 此処は鎌倉 霊専萬屋 蜂谷事務所。

 お困りの際は、何卒 静かにご相談にお越しください。


 それでは、失礼致します。


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鎌倉 幽専萬屋 KAMAKURA YUUSEN YOROZUYA 櫛木 亮 @kushi-koma

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