首吊りの話 第3話
しかし、香澄は用品庫の整理をしている時に、また首吊り死体を発見してしまう。そして、それは今までの首吊り死体と同じでは無かった。
用品庫の中でぶら下がっていたのは、あの日別れた男だった。今までは全く知らない人が死んでいたが、今回は違う。知っている人間、それも自分の元恋人の死は香澄の心に大きな傷をつけた。
「どうして? どうして死ぬの? どうしてここで……」
死体は何も答えてくれなかった。ただ、いたずらに腐臭をまき散らし、香澄の心をかき乱すだけだ。
泣き崩れる暇もなかった。香澄が悲鳴をあげたのを聞きつけて、会社の上司や先輩が用品庫に駆けつけたからだ。
「あの……」
真っ青な顔をした香澄を見て、同僚達はしばし立ちすくんだ。自分のせいでまた死体がやってきてしまった。しかも自分の元恋人が。香澄は弁解する気力も残っていなかった。
「またか。最近多いんだよなあ」
香澄はその言葉に耳を疑った。
「去年から数えるとこれで四十人目だな」
四十人目? 何が? そう思っていると、上司や同僚が慣れた手つきで死体を片付け始めた。母や父、妹がやったのと同じように、死体の下に新聞紙やゴミ袋を広げて、汁が垂れないように死体の口と目にガムテープを乱雑に張り、消臭剤をまんべんなく吹き付ける。
香澄はその様子を見て、自分だけではなく、いろんな人がこの経験をしているのだと気がついた。
「杉本さん、どうして先輩達を手伝わないの」
「そんなんじゃ用品庫担当失格だよ?」
香澄が事務作業と同じ要領で、死体の片付けをてきぱき出来ないことに、先輩達は業を煮やしているようだった。しかしなぜ、そんなことを手際よくできる必要があるのだろう。死体を片付けることが? それも、元恋人の死体を……それが一人前の社会人だと言わんばかりに、かいがいしく動き回る上司達を見て、香澄は我慢の糸が切れた。
「なんで皆平気で片付けられるのよ!」
香澄は、泣き叫び、会社から飛び出した。
“おまえはいいな。何でもうまくいって“
首を吊った彼がいつか言った言葉を香澄は思い出した。
うまくなんかいってない。そう見えるだけだよ。勝手に決めつけて、勝手に一人になって、勝手に死んだ。そんなのずるい。ずるいよ。
だが、そんな彼の心境を理解出来なかったのは誰だ? 自分だ。あんなに彼の家にいたのに、彼と一緒にいたのに。首吊り死体のことばかり恐れて、私は生きている彼のことを何も考えようとしなかったんだ……
“だから彼は死んだのだ”
香澄の頬に涙が伝い、走る度に風に消えていった。しかし、誰にも見られることはなかった。もう、あの頃と比べると彼女の街に人はほとんどいなくなっていたからだ。誰もいないオフィス街を抜け、寂れたシャッター街と潰れたショッピングセンターを通り、香澄は人知れず家路についた。
部屋に戻ると、予想通り首吊り死体があった。香澄よりも年下の女性。死に顔は酷かった。地獄をこれでもかというほど味わってきた表情をしている。香澄は条件反射で、ゴミ袋に手を伸ばしたが、止めた。
片付けても、片付けても出てくる。私が死体を片付ける意味はあるのだろうか? そんな考えが頭を巡り、香澄は死体をそのままにして布団に潜った。
会社に行かなくなり、携帯の電源を切ってしまった。元恋人から取り上げてそのままとってあった睡眠薬を多量に飲み、毎日眠って過ごした。その間に、香澄の部屋に確実に死体が増えていった。
がちゃがちゃとドアや窓が外され、誰かが侵入してロープをかけ、首を吊って死んでいく。香澄はその音を何度も聞いたが、布団をかぶって見ようとしなかった。香澄は眠り続けた。生きながら死んでいるようなものだった。いっそ自分もいつか……いつか彼らのように首を吊って楽になりたいと思った。
ある日、ドアをがちゃがちゃと空ける音がした。「ああ。また首吊り希望の人が入ってきたんだ」そう思って目を閉じていたが、どうやら違うようだった。
「香澄! 大丈夫?!」
布団を引き剥がされたが、光は入ってこなかった。真っ暗な部屋の中で、おぼろげに母の顔を香澄は認知した。
「お姉ちゃん! しっかりして!」
妹もいる。彼女達は連絡のとれない香澄を心配して、はるばる田舎から訪ねてきたのだ。ふらふらになった香澄は、死体だらけの真っ暗な部屋の中で「これだからお姉ちゃんは駄目なんだよ!」「社会人なんだから、もっとしっかりしてよ!」「皆頑張ってるんだよ?」と筋骨隆々の妹に諭された。
「換気換気!」と窓を妹が開けると、ぶわっと大量のハエが青空に飛び立っていった。今までカーテンを閉めていて暗いと思っていた部屋は、大量のハエが張り付いていたため暗かったことがわかった。生きているハエと死んでいるハエがいて、妹や母親が死んでいるハエを片付けている。やや湿気を含んだ死んだハエは、箒に絡まってしまいうまくとれないようだ。何度も何度も箒で引っ掻いて、ハエが濡れた灰のごとく潰れていく。
「お姉ちゃんもぼさっとしてないで手伝ってよ!」と、箒とちりとりを持たされる。そのまま無表情で立ち尽くしていると、母がご飯を食べろと、手作りのお弁当を持ってきた。「要らない」と答えると、「じゃあ、死ぬの?」と聞かれた。
黙って弁当を食べると涙があふれてきた。悲しかったけど、香澄はお弁当が凄く美味しかった。懐かしくて安心する味だった。「あんたはこれからどうするの」と、母親がため息をついて聞いた。
妹がテレビをつけると、ニュースで日本地図が赤くなっていて「自殺者4000万人突破」と出ていた。妹が「あはははははは!」とわざとらしく大声で笑って、チャンネルをお笑い番組に変えた。「お姉ちゃんの好きなコンビが出てるよ?」と、自分を元気づけようとしているのがわかった。香澄は涙をこらえて、すっかり筋肉の無くなった身体を震わせた。
「私達も死体を片付けるから」
妹と母が、死体の下にゴミ袋や新聞紙をひき、回収の準備を始めている。表面上は笑っているがとてもやりきれない目をしていた。
“どうして気づかなかったんだろう”
香澄は二人から目を背けることが出来なかった。そうだ。彼女達は……こうやってずっと生きてきたんだ。彼女だけじゃなく、死んだ恋人も、会社の人達も、全て、全ての人がずっとこうやって、首吊り死体と向き合っていたというのか。
「あんたはどうするの」と、母親が、死んだハエを片付けながらもう一度香澄に聞いた。香澄は久しぶりに空を見上げた。まだ死体の腐乱臭をまとった黒いハエが飛び回っている。
「私は……私は……」
END
首吊りの話 紅林みお @miokurebayashi
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