首吊りの話 第2話
香澄は鬱々とした日々を送りながらも、なんとか高校を卒業して都会の大学へ進学することに成功した。正しいやり方で、誰にも文句を言われない形で家を出ることができたのだ。
香澄は都会で一人暮らしや、やりたかった勉強に励んだ。楽しい毎日があっという間に過ぎていく。このまま首吊り死体に怯えないで済む生活が続くと思っていた。
しかし、1年たった大学二年生の夏、香澄はまた「それ」と出会ってしまった。
サークルの飲み会から帰ってきた後、部屋中に異様な臭気が充満している。香澄はこの臭いをかつてかいだことがあった。一瞬で記憶は呼び起こされた。まさか、そんな……飲み会の酔いが覚める勢いで、靴を脱ぎ、急いで部屋に駆け込んだ。
寝室へと続く扉をあけると、暗い部屋に臭気の塊があった。おそるおそる電気をつけると、中年の太った男が首を吊っていた。今朝はいなかったのに、いつ入った? 臭気のもとである糞尿が、香澄のお気に入りの白いキャビネットをびちゃびちゃと垂れ続けている。男の口からは、嘔吐物が流れ、下で糞尿と一緒に水溜まりになっている。
香澄は発狂しそうになった。すぐさま警察に連絡した。
自分で警察に連絡をしたのは初めてで、状況をどう説明すればいいのか動揺したが、警察は「はいはい」と慣れた口調で対応し、十分たたないうちに香澄の家にやってきた。
「こういうのはよくあることなんですか?」と警察に問い詰めたが、面倒くさい質問というふうに警官は答えた。
「あなたも知ってるでしょう? 今日本で数秒に何人自殺しているか。それがたまたまあなたの家に行ってしまっただけなんですよ」
結局大学時代、香澄は三回引っ越しをした。嫌だったが、両親から教わった「死体を片付ける準備」もやって、汚れや臭いを最小限に抑える工夫はした。香澄は、死体に汚されるのが嫌で、インテリアや物を減らしていくようになり、あまり物を買わなくなった。そして、あまり自分の部屋にも帰らなくなった。
大学三年の春に男をつくり、その男の家に入り浸った。一緒に暮らそうとは言えなかったし、だからといって家に帰ろうとも思わなかった。自分が暮らすところに死体が出るかもしれないと思ったからだ。
「なあ、なんで香澄は俺の家に毎日来るの?」
毎晩のように自分の部屋を訪れる香澄に男は聞いた。香澄は聞かれる度に「会いたいから」と答えた。しかし、実際はそれは二の次で、他人の家にいることによって首吊り死体に怯えなくて済むからであった。
香澄が部屋に入り浸りすぎて男との関係は、徐々に悪化していった。ちょうどその頃、香澄と男は同時に就職活動を始めたが、世間は就職氷河期。香澄は大手企業に合格したが、男は就職試験にことごとく落ちてしまった。
「おまえはいいな。何でもうまくいって」
生ける屍のようになった男は、香澄に吐き捨てるように言った。結局秋に二人は気まずくなって別れてしまった。
春が来ると、香澄は誰もが羨む大企業で、はつらつと働き始めた。今までの生活から心機一転、私はここで頑張るんだ。香澄は新入社員の誰よりも働いて、誰よりも元気に明るく振る舞っていた。
朝のトイレ掃除でも、書類のコピーやシュレッダーでも、どんな雑用も与えられた仕事だと全力でこなした。そんな香澄を見て、社員達は期待の新人が入ってきたと喜んだ。香澄も周りに認められることで社会的に自分の居場所が出来たことが誇りだった。
しかし、香澄は用品庫の整理をしている時に、また首吊り死体を発見してしまう。そして、それは今までの首吊り死体と同じでは無かった。暗くて埃っぽい用品庫に浮かぶその死体は……
(続く)
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