首吊りの話

紅林みお

首吊りの話 第1話

 香澄が初めて首吊り死体を目撃したのは、十四歳の夏だった。


 学校から家に帰り、いつものように居間の障子を空けると、部屋がいつもより暗いことに気がついた。何かが光を遮っている。


 最初に目に飛び込んだのは、不自然な場所にある人間の脚だった。汚れた靴下をはいている二本の脚がぶらぶらと左右に揺れているのだ。


 見上げると、首を吊った人間がいた。首にロープが食い込んで、皮膚がシワシワになって首が伸びて、舌と眼球が飛び出している。お面のひょっとこのような表情だ。長い黒髪の中年の女性だ。


「お母さん! お母さん! お母さん!」


 香澄は絶叫して、母親を呼んだ。その後のことはよく覚えていないが、確か母が来て、母も驚いた顔をして、すぐに警察を呼んだ気がする。


 違う部屋にいるように言われたが、警察が死体をビニールシートでくるんで、えっさほいさと運び出しているのを見てしまった。ビニールの裾から、信じられないほど白くなった人間の手が出ていた。隣で妹が泣いていた気がする。香澄は、何度も自分の首を撫でた。あんなふうに自分の首の肉も伸びてしまうのではないかと怖くなったのだ。


 知らない人が知らないうちに家に入ってきて、首を吊っていた―――そんなショッキングなことがあるだろうか? 


 警察の現場調査によると、勝手口の鍵が空いており、そこから家族が皆仕事や学校へ行っている昼間を狙って侵入したらしい。香澄の家は田舎にあり、施錠に緩い家庭であった。父と母、妹も驚きを隠せないようで、しばらく家庭に暗い雰囲気が漂っていた。


「このはりがロープをかけるのに、ちょうどよかったんでしょうね」


と、母がため息をつきながら、ロープがかかっていた天井を見て言った。なぜかどこか誇らしげだった。香澄の家は立派な木造だった。ロープを巻き付けられそうな柱が何本も存在し、はりが太いのだ。自殺にはもってこいの場所だ。


 その数ヶ月後に、また香澄は「それ」を見た。

 

 じりじりと、太陽が照りつけて、朝顔が咲いていた植木鉢が干上がっていた。香澄は、その死んだ朝顔を、学校から無理矢理家に持って帰らされていた。朝顔を庭に捨てて、家で麦茶でも飲もうと台所に向かった。しかし、香澄はすぐに麦茶を口にすることは出来なかった。


「お姉ちゃん」


 先に台所にいた妹が泣きそうな顔をしていた。妹が見つめるる先。今度は、台所で首を吊っている人間がいたのだ。初老の男性で、足元にみじめに抜けた白髪と、黄色い尿、どす黒い便が散乱している。死体には蠅が十数匹群がって、老人の鼻の中に入ったり、口の中から出たりしていた。腐りかけていた。


 母は、「そんなにうちが自殺しやすいのかしらね」と飽き飽きしながら警察に連絡していた。  

 

 香澄はその日の夜、家族に

「これ以上うちで自殺されないように、施錠を徹底しよう」


と提案したが


「香澄は気にしすぎだ」

「死にたいやつは死なせとけばいい」

と呑気な答えしか返ってこない。


 妹は、スイミングに通い始めて、食欲が収まらないのか、首吊り死体を見た後なのに、すきやきをもりもり食べていた。母も父も、すきやきの肉が絶品だと楽しそうに頬張っている。香澄は、なぜ皆死体を見てもそんなに呑気でいられるのか理解できなかった。

 

 そのまた数ヶ月後、今度は二階にある両親の寝室で首吊り死体が出た。施錠を徹底していたはずなのに、どこから入ったのか? と香澄は怖かったが、それよりも怖かったのが、両親が死体を慣れた手つきで片付け始めたことだ。「こうして置くと、警察の人が楽だから」と、死体の下にゴミ袋をひいて漏れた糞尿をまとめやすくしたり、消臭剤をまいて匂いを分散させないようにしたりしている。

「この家族はおかしい」と香澄は思った。


 その数ヶ月後、今度は香澄の部屋の隣にある、妹の部屋で首吊り死体が出た。日々通うスイミングで筋骨隆々になった妹は、


「あたしの部屋で自殺するなんて、いい度胸してんな!」


と、死体を見てがはははと笑った。そして、両親に教えられたとおり、ゴミ袋をひいたり消臭剤をまいたりして、警察が到着するまでの間、その部屋で呑気にコンビニのからあげ棒とおでんを食べていた。

 

 死体が徐々に自分の部屋に近づいてきている。香澄はその事実に気がついた。最初は一階の居間、次は階段近くの台所、その次は母と父の寝室で、直近は妹の部屋。恐ろしくなって、香澄はホームセンターに行って材料を買い集め、自分で鍵を作って部屋に設置した。自分の部屋に出入りする時は必ず鍵をかけるようにしていた。


 しかし、ついにその数ヶ月後、香澄の部屋でも首吊り死体が出た。鍵は、なぜか壊されていた。

 香澄は思った。

 「この家を出よう」


(続く)

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