3.
仕方なく貴希は、晴都を自分の部屋に引っ張り込んだ。外で飲んでたら、誰が聞き耳立ててるかわからないのに、何言われるかわからない。
「ジーザス、おいで」
ドアを開き、灯りを点けると、灰色の子猫が転がるように飛んでくる。ミィミィ鳴きながら、貴希の足にしつこくまとわりつく。
「なんか、みぃに似てるだろ? ほんとは“みどり”にしたかったけど、こいつオスなんだ。で、みぃが“ジーザス”って付けた」
言いながら子猫を抱きあげる貴希。その無邪気な言い方が、何故か晴都の気に障る。
「いーか、鞠矢貴希。俺はお前のせいで、朝寝坊はするは、朝飯はきゅうりサラダだけになるは、偏頭痛はするはで、今日のライブのリハは滅茶苦茶だったんだぞ」
「なんなんですかっ! その滅茶苦茶な言いがかりは」
「つべこべ言わずに玉子三個と風合碧を返せ」
嘘だ、と貴希は思った。これはあのクールな晴都じゃない。別人だ。貴希はとっさにジーザスを晴都の顔の前に突き出した。
「みぃと寝てたのはこいつだもん。文句はこいつに言ってよね」
キョトンとした目でジーザスが晴都を見つめる。顔をしかめて、ミャアーと鳴く。一瞬のち、晴都は思わず噴き出してしまう。すかさず貴希は叫んだ。
「言っとくけどっ! 風合碧には、俺、何もしていない。初めて会った夜にキスしただけだ。…あの目に吸い寄せられたんだ。あーんまり真っ黒で、瞳が無いから、探そうとしたんだ。そしたら、つい…」
わかるような気がする。…晴都は心では妙に納得した。でも。意地でもこいつには優位を保ってやる! 晴都はジーザスの目にウインクして見せてから、貴希に向き直った。
「そんな少女小説も真っ青の言い訳が通じると思ってるのか?」
「そんな凄んでみせたって、事実なんだからしょうがないだろぉ?」
貴希はふてくされて、ラジオのFMのスイッチを入れた。…あっちゃー、運が悪い。『彼女の25時』がかかっている。…文字通りの四面楚歌。貴希は開き直って妙に明るい声で聞いた。
「俺、ラジオとかの『覚醒』の音しか知らなかったんだけど、晴都ってさ、キーボードなんだって?」
振り向くと、冷蔵庫の前に座り、勝手に缶ビールを二本出している晴都。…おいおい、おごってくれるんじゃなかったっけ。貴希はスタジオ前での晴都の言葉を思い出してムッとする。晴都はまったくおかまいなしで、ホイ、お前の分、とビールを一本投げてよこした。
「時々ピアノも弾く。曲作りもピアノ」
「…嘘みたい」
どう考えても、晴都にはそんな繊細な楽器のイメージ、無かった。
「ん…楽器は一通りできるけど。うちがクラシック一家でね、言葉が話せるようになるのとピアノに初めて触ったのが同じころかな」
こういうことをさりげなく言いながら、ビールの缶を傾ける。普通の奴が言うと、嫌味な奴って感じに聞こえてむかつくんだよなぁ。こいつ絶対かっこよすぎる。
「一度、ライブ見に来い。レコード会社同じなんだからフリーパスだろ」
「うん。勉強させてもらいに行く。『覚醒』は凄いよ、本当に」
「勉強じゃなくてさ、遊びに来い。『覚醒』のライブは楽しいぞぉ」
晴都は自分のバンドの話になるとものすごく機嫌が良くなる。貴希もほっとして、自分の分のビールを一気に半分ほど空けた。
いつの間にかジーザスは晴都の手の上に丸くなり眠り込んでいる。
「こいつ、本当にみぃそっくりなんだな。よくもまあ、こんな猫見つけたもんだ。みぃの身代わりには上出来だな」
「自分から、俺に寄ってきたの!」
貴希は晴都の手からジーザスを抱きあげた。心地よい眠りを妨害されてジーザスは不機嫌そうにひと鳴きする。そら見ろと言わんばかりに晴都はジーザスを取り返してあやしてみせる。
「この際言っておくがな、風合碧と先に出会ったのは俺なんだ」
「おっやぁー? それ以前からあの子鞠矢貴希のファンだったって聞いたけど」
「ついこの間までみぃの存在も知らなかった癖に、よく言うね」
売り言葉と買い言葉に拍車がかかっていく。
「恋は一瞬の想いの深さだよっ! 俺だってこれからあんた以上に風合碧を好きになる…かもしんない!」
「弱気になるくらいなら、大胆発言なんかするなよ! いざとなるとスキャンダルが怖いくせに」
「みぃのためなら怖くないやい」
「歌の文句でしか恋を知らないくせに」
晴都はフフンと鼻を鳴らした。
「ばかやろ! 俺だって、俺だってぇ…」
身もちぎれるような悲恋に泣いた夜もあったんだ。…歌の文句でならそんなとこかな。
「ばかっ、男の前で男が泣くんじゃない! みっともないぞ!」
ぽろ…ぽろぽろぽろ。あれ、泣けてくる。まずい、顔がくしゃくしゃになる。
俺、智子の時の傷がまだ塞がってない。
…そうだよ。あれ、物凄い大失恋だったんだ。三か月前、元幼なじみのいとこ、若手女優濱崎智子の電撃結婚。俺の人生、あの夜で絶対ジ・エンドだって思った。
なのにさ、あの夜みぃに出会ってしまった。俺と晴都の…憧れと現実の恋の間で揺れるあの子の涙が、俺の失恋のかけら、一切合切押し流して、俺が泣く暇を残してくれなかったんだ。
…あれからだよ。何もかも調子が狂ったのは。まだ三か月もたたない今、俺、碧を手に入れたいなんてとんでもないこと思ってる。まだ、はっきりと恋と言えないのに。あのこと一緒にいることが心地よくて、…あの子を傍に置くことばかり考えている。あーあ、俺って浮気者なんだろうか? …でも、罪悪感全然ない。心がひどく乱れるだけ。
「碧もその手で泣き落としたのかよ?」
「ばっかやろぉってば。そんなに器用じゃないよ。あいつのことだとどーいうわけか、泣けてくるんだよぉ」
ああ、これも身に覚えがある。…晴都は貴希の碧への想いに、かつて彼女に惹きつけられた時の自分の戸惑いを見つけてしまう。だからこそ、彼女の前ではスキを見せられないんだ。晴都は溜息交じりに呟いた。
「俺、正直今でも何故、あいつなんだろうって思う。でも」
「飽きない、可愛い、面白い、いとおしい…だろ?」
貴希がぽそっと呟く。こいつらに初めて会った日、晴都はそう言ったっけ。その呟きに応え、晴都はにこりと笑った。
「ちーとばかり面白い女なんてたくさんいるしさ、アイドルなんかにキャーキャー言ってて、子供みたいな奴だったけど。愛しいと思う女はあいつだけだ。あいつを守りたくて強くなろうと思った。…どーして今になって、お前が…よりによって鞠矢貴希が、あいつに同じこと感じてしまったんだろうな?」
「晴都…それ、違うよ。そういうのって、守りたいって言うんじゃなくて独り占めしたいんじゃないの? 晴都以外何も見ない箱入り娘のままでさぁ」
シラフなのか酔っているのか? 貴希に見つめられ、晴都は視線を逸らせなくなる。笑うしかなかった。
「お前、腹立つほどスルドイな」
「わかるよーん。だって俺も同感だもん。独り占めしたいのはね」
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