4.

ようこそ僕のハートへ ようこそ永遠のLittle princess

「眼鏡をはずして、Kissをください」

  まばたきしながら僕を見つめるきみ

Honey cloudy 昼下がり …ぼくは読みかけの本を落としてしまうよ 

ほんのすこしの勇気で ふたつの惑星は近づいた 

ようこそ恋するハートへ ようこそ僕のLittle princess


 エピキュリアン・レコード地下休憩室。貴希の『WELCOME WAKUWAKU 惑星(プラネット)』がかかっている。ALBUMが発売されて一週間も経っていないが、ヒロタカはもう歌詞も、ポップなアレンジの細部もすべて覚えてしまうくらい聞きこんでいる。ビートを足で取りながら、ハミングしてみる。

 鞠矢貴希は俺の大きな夢。晴都は尊敬すべき兄貴分、碧は大切な姉貴かな。…ヒロタカの脳内、トライアングルの底辺を何度も叩くイメージ。チリーン、チリーン、涼し気な金属音。不意にその音に共鳴しない足音が耳に入ってくる。

 …階段から重い足取りで、降りてくる貴希。コーヒーの自販機の前に立ち、二倍の濃さのボタンを押す。

「まーりやさん♪ 二日酔いですか?」

 肩をバン、と叩くと、貴希は紙コップをかばってよろめく。

「なーんかトゲがあるね。ヒロタカちゃん。今日は『覚醒』も打ち合わせ?」

「そーなんだけど。主要メンバーがいなくて話になんない。前代未聞だよ、きむさんが晴都さん起こしに行ってるなんて」

「はは…」

貴希はカラ笑いをした。そりゃすごかったもの、昨夜の飲みかたは。

それを横目で見ながら、ヒロタカは大きく溜息をつき、ビニルのベンチから立ち上がる。

「この際言わせてもらおう。碧さん、俺の中学の先輩で、俺の初恋です」

「は?」

 うぅ、まったくどいつもこいつも、何であんな凶暴チビ猫がいいんだぁ? 想像以上に難関じゃねーか。

「…でも、安心してください。俺は、鞠矢さんや晴都さんと一緒に碧さん取りあうつもりないもん。俺はね、片想いに満足しているんです」

「んー、安心っつーよりさ。戦列に加わらないなんてずるくないかい?」

「そうかな? …でもね、ほんとに彼女の話聞いてるだけのことが、ものすごく楽しいんです。愛読書の話とか、旅行先の夜空に見とれて感動したことに始まってね、…鞠矢貴希がどんなに素晴らしいアイドルでどれほどすごい、音と言葉の表現者かとか。そんなの毎日聞いてたら、俺、影響されちゃって、歌やりたくなっちゃって、今に至ってるんです」

 無邪気にそんなことを正面切って言われると、貴希は照れてしまう。そんな風に自分の知らないところで人に影響与えてるんだな、アイドルってのは。意識しなくっちゃ。

「彼女は自分の感動を、素顔のまま話してくれる。そういう目を見ているとね、ドキドキ、自分の心臓の音が心地よく感じられるんですよ。これって、すごく幸せな片思いだと思う」

「愛、なんだね。恋じゃなく」

自分や晴都の独占欲とは根本から違うもんね。貴希はヒロタカをまじまじと見た。

「でも、この頃の状態、傍から見てて、何だか頭来るんですよ。三人ともはっきりしないからさぁ。ちょっと俺も黙っていられなくなってきた。かつて、彼女TVの中のMARIAに本気で恋してた。手に触れられないような相手に、理性を保てなくなって怖いって。…でもね。晴都さんに出会って、反発し合いながら恋に落ちてく彼女も、俺は見ていた。敵わない相手を追い続けるより、すぐそばにいる人の腕を選ぼうとする自分を許せないって、彼女がどんなに悩んだかも、俺、知ってる」

 めらっ。ヒロタカの背後に一瞬炎が見える。貴希がひるんだその時、

「だめだよヒロ坊、大先輩をいじめちゃ」

 人けのない休憩室に、三人目の来訪者の声。

「あ、きむさん。はるとさんはぁ?」

「だめ、二日酔い。部屋で寝込んでる」

 あ、木村正志さんだ。ビデオクリップでアリスの頭撫でた時の笑顔が、ほわんとしてすごくあったかかったっけ。あのまんまの笑顔で一瞬、あ、本物の鞠矢貴希だなんておどけてみせる。

「ヒロ坊…。晴都はありゃだめだぞ。みぃこちゃんなしじゃ、奴ぁ並大抵のだめじゃ終わらない。ずたぼろになるぞ」

 頭を掻き掻き、木村は困った顔をした。

「…へぇ…」

 貴希はちょっと自分の声が震えるのを感じる。だってさ、想像つかなくて怖い。晴都があれ以上ずたぼろのだめになったとこ。ヒロタカは意外、という顔をした。

「晴都さんが、ですか?」

「ヒロ坊も知らないだろうけどさ、碧ちゃんに会う前の晴都。あいつもいろいろあってね。けっこう遊ばざるを得ないかこがあったの。みぃこちゃんが初めての女ってーわけじゃない。でもあの子は別格なんだ。理屈じゃなくて、晴都にとってのあの子は聖域というかお守りと言うか、心臓かもしれない。…みぃこちゃんは物足りなさそうだけどね、単に怖くて片手間にしか手が出せないんだよ」

「俺よりは手を出してる方だと思うけど」

 ヒロタカがぼやく。貴希も心でうなずく。

 木村は、ふと貴希の方を見てすまなそうに口を開いた。

「こういうことは、当人同士の問題だから、俺は口をはさむべき立場じゃないんだろうけど。やっぱり俺、晴都の仲間だからこう言うしかない。鞠矢…さん、もうしばらく晴都から碧ちゃんを急に引き離さないでくれないかな」

 貴希は“まりや”でいいよぉと前置きして、

「言っとくけどきむさん、俺、童貞だからね」

と笑って言う。

「なんなんだ!そのひとことは」

 一瞬にして木村は耳まで赤くなる。この反応からいって晴都よりはノーマルだね。

「俺、晴都や碧より子供だから。身体で結びつくってのよくわかんない。二人には敵わねーとわかってるんだ。けど、どーてーにはどーてーの考えってものがある」

 独り言のようにそう言うと、顔を上げて何かを決めたかのように続けた。

「きむさんとヒロタカちゃんの気持ちはよくわかった。でもやっぱりこれは俺と晴都と碧、三人の問題なんです。俺たちは普通だったら会える筈なかった三人で。でも心のどこかで強く引き合う鍵があったのかもしれない。そして、本当に今更出会ってしまった。…だけど、“出会いが遅すぎた”なんて言葉では片付かないんです。俺は一瞬にして碧が必要だと思ってしまったし、晴都はもう碧にぞっこんだし。碧はといえば…揺れている。俺と晴都ともう一つ作詞家としてのチャンス。話が大きすぎて三人とも戸惑っている。俺一人安易に戦線から降りるわけにいかないんだ。…ごまかしたくない。時間かけて、納得したい」

 すっかり冷めた貴希の手の中のコーヒーが、温かいココアに取り替えられる。見上げるとヒロタカの笑顔。

「正直なひとだね、鞠矢さん、あなたも」

「うん。今はそれぞれが自分に正直に動くことしか出来ることはないから…時間がたくさんかかっちゃうだろうけど、ごめんね」

 返事の代わりに木村が右手を差し出した。友情っていいもんだなぁ…。彼らとの握手とココア一杯で貴希は体の芯まで温かくなる。

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