1.
「なんで俺が晴都を起こさなきゃなんねーんだ?」
「…? わーっ!!!!」
びっくりして跳ね起きる、晴都。目の前に木村の、へろんとした長い顔。
「なんで俺が、木村のどアップで起こされなきゃなんねぇんだ!!」
「だって、晴都さんが珍しく寝坊するからですよん。約束の時間になっても来ないから、俺だけできむさん起こすの、すっげーたいへんだったんだよ。変だなー?と思って着てみたら、早起きのはずの晴都さんがこれだもん」
ヒロタカはヒロタカで晴都のベッドの掛布団の上にちょこんっと正座している。
「八時か。飯の時間は、まだあるよな」
ベッドから、のそっとはい出る。片頭痛でこめかみが重い。
「お前、目覚ましは?」
「いつも、無しで起きるから、かけてねえ」
ぐしゃぐしゃの頭で、キッチンに向かった。木村のこもった声はともかくだ。ヒロタカの変声期を置き忘れてきたような声さえ、脳まで届くのに時間がかかる。二日酔いってか? まっさか。寝酒の缶ビール一杯で、こんな状態になるなんて、天城晴都らしくねーよ、な。
まいったな。冷蔵庫に頭をつっこんでも、目が覚めない。
「ねーねー、碧(みどり)さんは?」
背後のヒロタカのひと声に、ぐしゃ…晴都の手の中で卵がひとつ、潰れる。
「あれ、みぃこちゃん、帰ってきてないん? まさか昨夜から?」
「だーめじゃないですか、ケンカでもしたんでしょ。せっかく俺が気―使ってきむさんとこに泊まり込んであげてるのに」
「晴都、目玉焼きってさ。タマゴのカラをフライパンで焼くのか?」
木村の声で、我に帰ると、油いっぱいのフライパンの中、白いカラが虚しく踊っている、そして、流しの桶いっぱいの水に、ふたつめの生玉子がプヨプヨと踊っている。
見かねたヒロタカが言う。
「晴都さん…座ってて下さい。俺がやります」
「…頼む」
背中を丸めてこたつのもぐりこむと、溜息と同時にこぼれてしまう言葉。
「行き先、わかってるんだけど…」
「は?」
向かいに座っている木村の細い目が、スタジオで碧に声をかけてきた時の、喬木氏の笑顔に、何故かダブる。あ、なんだか、すごーく腹が立ってきた!
「あいつは、鞠矢貴希の部屋に行くって出かけて、そのまま帰ってこないんだ」
「何ですって!?」
ぐしゃ。ヒロタカの手から、みっつめの玉子が落ちた音。
「ヒロッ…てめぇ、俺の最後の玉子をーっ!!」
晴都の絶叫と同時に、こたつの上の電話のベル。飛び付くように受話器をとる晴都。
『………。』
「碧かっ?!」
電話の向こうで息づく沈黙は、すぐに誰かのものかわかる。その沈黙を絞るような溜息の後、小さく震える声が語り出した。
『……ん。…今ね、まりやのオフィス。喬木さんといっしょ』
「どうして、今まで連絡しなかった?」
『ごめんなさい』
言い訳の一つもせず、素直に謝る態度が、なぜか許せない。
「…で、喬木氏の一件、断ったのか?」
『あたし、引き受ける』
「お前っ、そんな、あっさりきっぱり言うんじゃないっ!」
大きな声を出しながら、晴都自身、いつもの冷静さを失っている自分に戸惑っている。
『あまりたくさん、説明出来ないけど…今、鞠矢貴希には、あたしが必要なんだって思う。やってみたいの、まりやのプロモーター』
(あいつが必要としているのは、プロモーターとしての碧じゃないんだろう?)
その卑怯な一言を、晴都はかろうじて飲み込んだ。それでも、じくじくとした心の痛みは、唇に染み出てくる。
「じゃ、こっちは?」
軽い、笑いの混じる晴都の一言。
『覚醒計画は、ヒロタカだって詞がかけるし』
「俺のことは? ってきいてるんだけど」
碧は迷い迷った果てに、言った。
『晴都は、独りで大丈夫。…でしょ』
ぶつっ! 電話が切れる。目の前にいたら、殴られてたとこかな。
「殴られる方が、ましかもしんない」
碧は右頬を押さえて、受話器を置いた。
「文学少女は独り言が多いっての、ホントだね」
向かいのデスクで、喬木が微笑んで言う。碧も気まずく、力なく、笑った。
「鞠矢がさ、夜中の十二時に電話してきた時にはびっくりしたな。僕が居残り仕事しててよかった。でも、ごめんね。応接間のソファじゃ、よく眠れなかったでしょ」
「いえ、あたしこそすみません。朝まで付き添ってもらって。まりやにも、喬木さんにも気使わせて」
「うん、いいんだ。仕事も残ってたし。それに、さすがに女の子をアイドルの部屋に泊めるわけにいかないしね。…それで、晴都君の反応は?」
「大激怒」
「やっぱりね」
ちっともがっかりしていない喬木の笑顔。碧は何だかむっとしてしまう。
「何がやっぱりですか。あたしはわかんない。晴都がどうしてあんなに怒るのか。…晴都は、あたしのこと片手間に遊んでるだけにしか思えないもの」
「あそんでる?」
「…そう。いつまでたっても子供扱いで。よしよしって頭撫でて、ほめてればおとなしくなると思って。名古屋と東京に離れててもあんまり寂しがらないし。今更、あたしが何やっても気にならないと思ってた」
「ふーん」
喬木は困ったような笑顔でうなずく。
「じゃ、どうして殴られる方がましなんて思ったの? 晴都君に悪いって気持ちがあるってことは…君、晴都君にどんなに大切にされてるか、本当は自覚してるんじゃない?」
「…よくわかんない」
「晴都君は、距離で離れることより、心が離れることがこわいんだよ。わかるようになろうね」
喬木が向こう側のデスクから手を伸ばして、碧の頭にこつんと触れる。碧はそのあとに触りながら、上目遣いで言った。
「あたしの頭って、触りやすいのかなぁ」
「あ、ごめんなさい」
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